
1980年代の終わりごろ、俺は当時 福井市から転勤先の敦賀市まで高速道路で通勤していた。
ある日、仕事を終えていつものように北陸自動車道を敦賀ICから福井ICに向け北上していた時だ。つまり時間は多分19時とか20時頃・・・もう忘れてしまったが、冬では無く暖かい季節だったと記憶する。
丁度、南条SAを通過した辺りでふとバックミラーを見ると、数百㍍ 後続の数台の塊の中から一台のヘッドライトの灯りが バックミラーの右端から左端へ一気に流れるのが見えた。その流れた速さからして、殆ど減速されずに かなりのスピードで追い越し車線から路肩へ突っ込んで行った様だ。
(きっと怪我してる!)
俺は路肩に車を停め、数百㍍後方へ向けて必死で走った。
遠目に見てその車の下部からチラチラを炎も見える!
近づくにつれて炎はより大きくなっていたが、俺は構わず駆け寄って行った。
その車は3代目シビックの白い3ドア・・・車は180°回転して敦賀方向を向いており、あろう事か ガードロープが丁度ルーフの真ん中を貫いてしまっていた。
いったい どうやったらこうなるんだろ!!
ガードロープも考えてみれば高さ的におかしいが、左右ドアのサッシュだけが立っていたのをハッキリ覚えている。
そしてどこかで 似た様な状況の事故写真(つまりルーフの前から後ろを棒やロープが貫きドアサッシュが生き残っている)も見た覚えがあるのだ。
さて炎は段々大きくなっていたが、土手の下から全身血まみれの若い男がフラフラと現れた。
「大丈夫か!!」
彼は血だらけの泣き顔で
『大丈夫じゃ無いっすよ~』
と弱々しく答えた。
(あ~、とにかく既に逃げていて・・・生きてて良かったぁ!)
とホッとしたのを覚えている。
俺は路肩の緊急用電話の受話器をとったが、ガードロープに突っ込んだシビックの段々大きくなる火炎にも 誰も止まってはくれなかった。
俺が興奮気味に「早く救急車と消防車を!!!!!早く!!!」
と叫んでいるのに電話に出た薄ノロは 『はぁ・・はい何キロポストですか?』
何か緊急事態と言う感じがしない呑気な対応。
俺はキレ気味で「早くせんかい!ゴルア!!」
と叫んだ。
消防が到着して消火活動を始めたが、中の一人が
『最初の火はどの辺りから出てましたか?』
「多分、左リヤ辺りだったと思います。」
こんな会話も覚えている。
その後シビックの彼がどうなったかも知らないが
それにしても、路肩で燃える車に誰も止まってくれない事に世間の冷たさを感じたのだった。
Posted at 2025/05/11 12:36:17 | |
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