
勝った瞬間から栄光は過去になる。
それをいちばん理解しているのは選手自身です。
オリンピックはオリンピックゲームスというように、
いろいろな競技を集めた4年に1度のゲーム大会。
これからは通常のシーズンに戻り、
ゲームとは別のチャンピオンシップに向けて、
すでにシーズンは後半に入っています。
オリンピックで負けた選手だけでなく、
オリンピックに出られなかった選手の方が圧倒的に多いわけで、
すでにそういった選手は気持ちを切り替えて、
次の大会、そして来るべき4年後を目指しています。
そんなわけで、
次に大会に向けて緊急連絡を取る必要があり、
競技関係の方に連絡をしたところ、国際携帯の音。
まだ平昌? まさか閉会式まで?
と、思ったらちゃっかり出ていました(笑)。
階段式やら記者会見等今日まで行事は続くらしく、
オリンピックは競技以外の拘束時間も長い(笑)。
その間にも着々と練習をしている選手がいわるけですから、
いつまでも栄光に浸っているヒマはないのです。
とはいえ、平昌オリンピックは、
日本人にとってとても印象に残る大会になりました。
なによりも長野オリンピックから20年。
あのときの経験や感動がこういうところに結びつきます。
カーリング男子の両角選手は、あのアメリカ戦を生で見ていた。
それを解説しているのが、当時のスキッパーの敦賀さんです。
アルベールビルで伊藤みどりさんが銀メダルに終わり、
金を獲るため野辺山合宿が始まり、
その一期生には荒川静香さんと本田武史さん。
長野を経験し、その後のフィギュアスケートの今につながっています。
小池都知事がさんざん言っていたレガシーの意味も、
なんとなく理解できた人もいるでしょう。
もっとも言ってる本人が本質を理解していたかは疑問ですが(笑)。
フィギュアスケートやジャンプ以外にもたくさんの競技にスポットが当たりました。
個人的にはバイアスロンに、もう少しスポットを当てて欲しかったとは思いますが、
ネットでの放送なども含め、多くの競技を見られる環境ができつつあります
平昌を通して、2020東京が身近に感じられるものもたくさんありました。
私も東京に参加したい!と思う人も多かったでしょう。
ちなみに今からアドバイスをしておくと、
いちばんチャンスは全国の都道府県を回る聖火ランナーです(笑)。
最終的に東京に入るわけですが、
それまでの間全国をいろいろ走るので、多くの人が参加できます。
ちなみにアテネ五輪のときにも、記念として東京のみ走りました。
長野オリンピックのときには、
抽選で選ばれた1名+もう1名(友達等)、
走る地域の学校の子どもが6名ほど。
自分の子どもが聖火ランナーになれる可能性があるわけです(笑)。
これから平昌パラリンピックが開催されますが、
東京にとって、実はパラリンピックがキーだと考えています。
特に高齢化社会を迎えている日本にとって、
単純に外国人を迎えるということではなく、
これからの日本にとって暮らしやすい社会とは何か?
大会を通してメッセージを伝える役割があります。
インフラ整備も含めた社会変革の機会となっています。
今や車いすマラソンの第一人者として活躍する
土田和歌子選手も、
リレハンメルからアイススレッジの代表として活躍していました。
今年から彼女、パラトライアスロンに転向するそうですが、
コストナー選手と並ぶ、現代の偉人です。
競技にかける選手の思いはオリンピックもパラリンピックも同じくらい熱い。
ただ、ゼロから競技を始めるという点で、
努力の量ではパラ選手の方が上かもしれません。
その熱量はまさに
NO LIMITS。
オリンピック・パラリンピックの最大のよさは、
選手だけでなく、大会に関わる人間に投資され、
大会を通して成長を促す点。
それが何十年後かの日本の活力につながる。
2020東京にはそんな意味があると思っています。
Posted at 2018/02/27 09:33:17 | |
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