K茂くん。青森は野H地出身のK茂くん。同じクラス。
2年か3年の夏休み明けだったか、見せたいものがあるから、『(下宿先に)来て。』と、言われ行ったら、TAMIYA1/12ビッグスケールのタイレルP34完成品がテーブル代わりのこたつの上に鎮座してた。
(F1に興味ないのに)よく作ったな…程度に感心すると、『バカ、そこじゃなく、此処を見ろ!』と。で、見てやった。センターカウルのネームがPETERSONになってた。『良いだろ、でもあげないよ』。いや要らないけど。
当時、青森新幹線は勿論、東北新幹線も無い時代で、青森から持ってくるのが大変だったろう。色々と修復したみたいだけど、見せたいだけで持って来たこいつは、良いヤツだなと思った。
1977年春に上京、クタクタのAUTOSPORTの3/15南米F1特集号をバッグに突っ込んで、勉強関係は辞書すらなく、他には着替えが少々。東京駅まで迎えに来てくれた兄と義姉には、あまりのお気楽さに呆れられた。
この年の夏休み迄は、この兄夫婦が暮らしてた東大和のアパートに同居し、夏休み明けに熊谷に引っ越した。そりゃそうだ、最初の子供が生まれたばかりで、20代の若夫婦のアパートは二部屋で、そのひと部屋を使ってたのだから、邪魔だったろうね。
初秋の初レースで初F1は、ここから始発で、富士スピードウェイ迄電車で行った。
熊谷に住んだ1年半程は、ここまでの定期券は継続して、最初の数ヶ月は洗濯物とかを週末に持って帰ってたが、その内、バイトと遊びで、ひと月に1回位となり、兄夫婦、両親の期待通り?のダメ人間振りが開花した。
先のK茂くんは、その途中駅の高崎線桶川駅に程近い下宿先に居て、時折行ってた。。途中下車が正しいのか!?…しかし、いつから遊ぶようになってたんだっけな。
この学校は、教養課程2年間が熊谷校舎で、専門課程の2年間は大崎(五反田)校舎となるのだが、東京に行く為には必修単位を取らないといけない。
でもこのK茂くんは、その前に板橋のアパートに引っ越して、スタンドでバイトし始めた。で、直ぐにギャランGTOを買って、時折、皆で深夜ドライブした。ある週末、その場の流れで長野へ帰省の女子を送って行くこととなり、計5人(男4人)で行った。因みにK茂くん以外の4人は同じサークル仲間で、ここでも人の良いK茂くんは女子との距離感が掴めぬまま、途中でスピード違反で捕まって迄、長野まで行った。
その女子の家に着いたら、夕食時で、そのまま歓待され?ご馳走になり、風呂も頂き、で、そのまま泊まった。
翌朝、おバカ4人組は、丁寧に朝食までご馳走になり、軽井沢経由で戻って来た。お土産は、軽井沢警察署で買った“ゆっくり走ろう軽井沢”のステッカー。
そのGTOも、それから暫くして廃車。バイトも終わり、愛車に給油しようとしたら、やけに座面が低いと‥で、よくよく見たら、シート下が腐って、落ちてたと‥笑った。
で、このK茂くんは、懲りずに、再びGTOを愛車とし、お決まりの湘南コースヘと深夜ドライブ。。しても、懲りずに買う方も買う方だが、それに乗る方も乗る方だと、周囲から笑われた。
こんな事をこの本のお陰で思い出した。
そうだ、後ろめたいことがひとつ。
K茂くんは地元で就職し、卒業式前には研修が始まるので、卒業証書を送ってくれと頼まれた。が、その卒業証書は、卒業式終了後の祝の酒場をハシゴしてる間に、自分のと一緒に失くした。まぁ、失くしてなくても、住所聞いてなかったので送れなかったけど。
そういえば、このK茂くん、1年の夏休みに帰省したら、高校の時に付き合ってた彼女に赤ちゃんが居たそうで、しきりにオレじゃないと言ってたけど、違うというのも何だかマヌケで‥動揺の仕方も何故か可笑しくて、ずっと突っ込んでは笑ってた。まぁ、ヒデェ〜友達ではある。でも、良い奴だったな。元気で居てくれれば良い。自分の家族と一緒に。(^_-)
Posted at 2026/09/04 16:38:43 | |
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