改元を挟んだ10連休。空路で3年ぶりに高松で2泊3日。
今回のお目当て”ことでん”こと高松琴平電気鉄道を走る
「レトロ電車」と「還暦の赤い電車」
「レトロ電車」は普段月1回の運行日に臨時ダイヤで運転されますが、5/3~5の3日間は「還暦の赤い電車」ともども特別ダイヤによる特別運行が行われました。
高松に到着した後、空港バスと電車を乗り継いで仏生山へ直行。
旅行初日の5/3はレトロ電車運転日です。
構内ではレトロ電車が入れ換えを行っているところでした。
120号(左)と300号(右)
500号(左)と23号(右)
最近の臨時運転の基本は、琴平線の車両工場がある仏生山と琴電琴平の間を往復。
通常は2両編成で行われますが、GW期間はすべて連結されて4両編成に。
いずれも
製造から90年を超えた骨董品です。
そして、琴平線の仏生山から琴電琴平までを一往復。
その後で初対面した「還暦の赤い電車」。
赤くなる前には何度か乗ってるんですが、やっぱり京急カラーがよく似合います。
ただ、この日はお休みだったようで、仏生山の構内で入念に洗車されていました。
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2日目の5/4は「還暦の赤い電車」の特別運転日。
琴電の現在の主力は京浜急行からの移籍車が中心ですが、京急旧1000形も讃岐の地で1080形・1300形として第二の車生を過ごしています。
うち、琴電1080形のトップナンバー1081-1082編成に、クラウドファンディングにより京急時代の
赤に白帯を再現したラッピングがなされました。
最初は長尾線を一往復。
1080形は琴平線用のため長尾線用の方向幕が入ってないようで、幕は白幕で窓に長尾行きのサボを掲示していました。
その後は琴平線へ
ここで、高松築港寄りに元京急旧600形の琴電1070形を連結して4両編成に。
琴電1070形は前頭部が貫通式に改造されているので京急時代の面影は薄れていますが、側面2扉はそのままです。
1070形の車内。京急ではクロスシートでしたが、ここでは長いロングシートを設置。
乗務員室を覗くと1070形の模型が置かれていました。
一方の赤い1080形。
こうやって見ると京急線を走ってるかのようです。
京急旧1000形は約20年にわたって製造されていましたが、琴電1080形はその初期型なので昭和34年(1959年)製造。
レトロ電車だけでなくこちらも製造から60年経つ古い電車で、”還暦”の赤い電車と呼ばれる所以です。
途中、滝宮駅の構内踏切の前で。
大師線を少し思い浮かべましたが、こちらは長閑な風景の中。
「準急」は停車中のサービス表示。
かつては琴平線に準急が走っていた名残で種別幕が残っているようです。現在は普通電車のみの運行。
1080形の車内。
薄緑色の内壁と青いシートは京急時代のまま。還暦の赤い電車だからというわけではなく他の1080形も同様です。
仏生山に戻り1070形を切り離し。
入れ換えで側線に転線する1070形。
2両編成の2本が残ってますが、2扉なので最近は運転される機会も少なくなっています。
赤い電車の1080形も構内を移動。
今度は京急の広告ラッピングがされている1083-1084編成と連結。
こちらは京急の新1000形に準じた塗り分けのラッピングがなされていますが、丸みを帯びた京急旧1000形だと見慣れない雰囲気。
前面の向かって左側にはけいきゅんが置かれています。
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3日目の5/5は再びレトロ電車の運転日
ただ、朝の一往復は、23号が還暦の赤い電車を携えた変則編成で運転されました。
琴電琴平で元京急700形の琴電1200形と並びます。
1080形は制御器とブレーキが旧式のものに変更されており、旧型車との併結が可能になっています。
今はレトロ電車がイベント用に残るのみですが、かつては多種多彩な旧型車が走っており、柔軟な運用を行うためには不可欠な対応でした。
琴平から仏生山に戻ると、23号が還暦の赤い電車から切り離され・・・
レトロ電車だけの4両編成へ。
先ほども先頭に立っていた23号は4両のうち、唯一、近鉄から譲渡された車両。
元々正面5枚窓で側窓の上には飾り窓がある優雅なスタイルだったらしいのですが、重なる改造でこうなりました。
ただ、車内にはニス塗りが残っており、側扉の両脇の飾り柱も往時をしのばせます。
琴電琴平に到着後に23号がいったん切り離されます。
ここで3両編成になって、琴電琴平~滝宮間を一往復。
GW期間ということで、細かい趣向が凝らされています。
琴平へ戻ると、今度は23号を仏生山寄りに連結して4両編成に戻り仏生山へ。
これが今回のGW期間ではレトロ電車特別運転のラストになります。
そして、仏生山への到着が近づくと車内で驚きの発表が・・・・
レトロ車両廃車計画
製造から90年を超えて老朽化を進み、安全運行のためのコストは膨大で維持が難しくなったためとのこと。ついにこの日が来てしまいました。
23号が来年5月、500号が来年9月まで。残りの120号と300号は再来年5月まで。
茶一色の300号は作業車として残すようですが、他の3両は引き取り手がなければ解体されてしまうようです。
目指せ100年なのかと思っていただけに、このタイミングでの引退発表は意外でしたが、ただ、90年を超えても時速70kmで疾走できるコンディション保っているところに、仏生山工場の技術力を感じます。
今回もひたすら乗って今や貴重な吊り掛けサウンドを堪能しましたが、あと2年、できればもう一度くらいは乗りに行ければと思ってます。
Posted at 2019/05/08 22:36:44 | |
鉄道 | 日記