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2024年05月16日

45年前のロードスター誕生のきっかけ

45年前のロードスター誕生のきっかけ 誕生35周年を迎えたロードスター(北米ではミアータ)ですが、45年前の誕生のきっかけになったエピソードをドイツ・マツダが紹介しているそうです(関連情報URL)

元ネタはここ

タイトル画像は35周年記念ロゴ(自由に使っていいそうです)

海外の車系YouTube とかみてると Bob Hall 氏とオリジナル・ロドスタのデザイナー Tom Matano 氏(日系アメリカ人)はロドスタの生みの親として(諸説あるそうです)時々登場しますが、そのきっかけが紹介されているサイトが公開されたと聞いて、読みにいったけどドイツ語だから読めないよ〜(苦笑

何かで聞いたことがあるのですが、開発時に日本・アメリカ・ヨーロッパと3拠点アイデア・コンペしたそうですが、ご存じの様にカリフォルニア・デザインスタジオ提案の古き良きイギリスのライトウェイトFR案が採用されたのは良かった。
日本案(FF? 現代からみると何でやねん?笑)だと短命に終わっていたかもですね。。。
スポーツカージャンルの中でロードスターが今も続いているのは当時のライトウェイトスポーツというコンセプトや文化を復活させるという世界規模での偶然なのですね。

以下、ドイツ・マツダのサイトを翻訳機にぶっ込んでみました(機械翻訳はまだまだ不自然ですね。。。英語からのは結構いけるときもあるのに。。。):

45年前: 記録破りのロードスター、マツダ ロードスター MX-5の誕生

・1979年、マツダMX-5(NA)の開発は、ブレインストーミングから始まった。
・チョーク画を核に:世界で最も成功したロードスターは落書きから生まれた
・人馬一体、絶好調:新型「マツダ ロードスター 2024」は、さらに濃密なドライビング体験を提供する

1979年の春の日、広報担当のロバート(ボブ)・ホールと、当時マツダの研究開発部長だった山本健一という2人の参加者は、まったく想像もしていなかったが、それは自動車の歴史を塗り替えることになるブレインストーミング・セッションだった。この2人の自動車専門家の会話から、マツダMX-5が誕生したのである。MX-5は史上最も売れたロードスターであり、広島の型破りな自動車メーカーの永遠のブランドアイコンである。実際、1989年に発売され、現在に至るまで4世代にわたって開発され続けているMX-5は、マツダブランドの象徴をまさに体現している。完璧なバランス、俊敏性、軽さ、そしてマツダが「人馬一体」と呼ぶドライバーとクルマの完璧な一体感によるドライビングプレジャー、さらには効率性と信頼性である。45年前、山本健一がモータージャーナリストのボブ・ホールに「ホールさん、次はどんなクルマを作りましょうか?

流に逆らって考える:手頃なロードスターの再発明

1979年、アメリカ人ジャーナリストのボブ・ホールが山本健一と会ったとき、日本の桜は新しい活力、新鮮な生命、そしてビジョンを象徴していた。2人はまず、革新的なロータリーエンジン、革新的な軽量構造技術、51対49%というほぼ理想的な重量配分で最高のドライビングプレジャーを実現した車両レイアウトを備えた、当時の新型スポーツクーペ、マツダRX-7の成功についてじっくりと話し合った。

その勇気は実を結び、マツダRX-7(FB)は1980年代のスタイルアイコンとなり、45万台以上を販売した世界で最も成功したロータリーモデルとなった。ボブ・ホールと山本健一が出会ったとき、その華々しいキャリアはすでに始まっていた。対談の最後、山本が「マツダが次に作るべき大胆なクルマは何か」と尋ねたとき、ボブ・ホールが「RX-7よりもさらにフォーマットも価格も低いスポーツカー」と答えたのは、まったく不思議なことではなかった。小型で軽量な、クラシックなブリティッシュ・ワインド・イン・ザ・ヘアーのロードスターだ。

ボブ・ホールはチョークを手に取り、山本のオフィスに掛けられていた大きな黒板に向かい、1960年代に成功を収めたイギリスのロードスターのアイデアを未来に受け継ぐ、手頃な価格のオープン2シーターをシンプルかつ明快な線でスケッチした。後にアメリカ人のボブ・ホールは、彼の父親がイギリスで兵役に就いていたときにエアリーな2シーターへの愛着に目覚めたため、いわばそのようなロードスターで育ったのだと語っている。実際、戦後数十年間、北米はロードスターの最も重要な販売市場に発展した。コンバーチブルがニッチな存在でしかなかった日本とは対照的である。しかし、1970年代の終わりには、イギリスの多くのスポーツカー・スペシャリストによって生産された手頃な価格のロードスターでさえ、ほとんど絶滅していた。

マツダは、市場の逆風をものともせず、あえて小型ロードスターを復活させるべきなのだろうか?結局のところ、山本健一のもとでマツダはすでに小型軽量ロータリーエンジンを数百万台市場に投入し、成功を収めていたのだが、他メーカーはロータリーエンジン搭載モデルを廃止していた。1979年8月、ボブ・ホールはカリフォルニア州ペブルビーチで開催されたコンクール・デレガンスで、マツダRX-7のリード・デザイナーの一人である田中俊治に会った。1980年4月、富士山と太平洋の間にある箱根山脈のパノラマコースで英国製トライアンフ・スピットファイアを体験した山本健一は、ついにロードスターウイルスに感染した。

LWSプロジェクトが正式に始動するまでの間に、必要なパズルのピースがひとつはまった: 1981年春、マツダはカリフォルニア州アーバインに研究開発センターを開設し、同年、マツダUSAはロードスター復活の立役者であるボブ・ホールを従業員として採用した。次の段階として、マツダは1982年の調査から、アメリカの自動車ファンが走りの楽しさを確実に保証する小型で手頃なロードスターを熱望していることに気づいた。1983年1月、アメリカ人デザイナーのマーク・ジョーダンズがアーバインでマツダ323/ファミリアをベースにしたコンパクト・コンバーチブルの開発に着手し、その4ヵ月後、ロードスターファンを自認する山本健一がマツダ株式会社の社長に就任すると、モットーは突然、"オフライン、ゴー、ゴー!"となった。

破壊的な "オフライン "プロジェクトから世界で最も人気のあるロードスターへ

マツダにとって「オフライン」とは、既存のモデル・シリーズを一新することではなく、従来の常識を覆す破壊的なプロジェクトを意味した。そのため、未来のロードスターに関する初期作業の大部分は、就業時間外の駐車場で行われた。この「オフライン」チームは、非常に創造的な仕事をしたため、プロジェクトはすぐに通常の開発への「青信号」を与えられた。35年前の1989年春、その成果はマツダMX-5(北米ではロードスターとして知られるミアータ)として発表された。

世界で唯一のロードスターとして、マツダ ロードスターは120万人以上の購入者の心を掴んできました。それを可能にしているのは、50:50の完璧な重量配分と、余分なグラムを徹底的に排除した軽量構造戦略により、開発され続けた「人馬一体」のドライビングプレジャーである。軽量かつ俊敏な初期型Mazda MX-5/Miataは、レースのトップアスリートとなった。Miata(NAおよびNB)では、長年にわたって北米の週末に1,500人以上のジュニア・レーサーおよびプロ・レーサーが優勝を競い、これは世界記録である。

伝説をさらに魅力的に マツダ ロードスター 2024

マツダMX-5は長い間、ひとつの生き方の象徴であり、このカルト的なロードスターは暫定的なライバルのほとんどよりも長生きしてきた。LEDヘッドライトとテールライトはよりシャープな光学系を採用し、インフォテイメントをアップデートすることでコネクティビティを向上させ、そして何よりも魅力的な「人馬一体」のドライビング体験を提供する。新しいトラック・モードは、ファブリック・ソフトトップのロードスターと折りたたみ式固定ルーフのRFが用意された便利な2シーターのドライブをさらに楽しくします。また、ソフトウェアベースのキネマティック・ポスチャー・コントロール・システム(KPC)により、コーナリング時の走行安定性が向上している。その他にも、マツダ ロードスターが他のどのロードスターよりもファンに愛されるよう、数多くのアップデートが施されています。

ロードスターの王様の歴史のすべてを知りたければ、アウグスブルクにあるマツダ・クラシック - オートモービル・ミュージアム・フレイ展を訪れるべきだ。貴重な特別シリーズを含め、マツダ ロードスターの全世代を見ることができる。このマツダミュージアムでは、開館時間や展示品に関する情報をwww.mazda-classic-frey.de。

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Posted at 2024/05/17 08:12:25

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この記事へのコメント

2024年5月17日 8:46
X508ベースだったのなら、やはり走りに特化してた訳では無かったようですね。
この情報は知らなかった🤔
コメントへの返答
2024年5月18日 5:55
僕はX508が何かわからなかったのでググってしまいました(苦笑
2024年5月17日 9:06
元ネタにある黒板画…コスモスポーツやFC3Sなど、往年のマツダ車のデザインを感じますね♪
mx-5はもう文化ですね☺️
コメントへの返答
2024年5月18日 5:57
このLWS(後のロドスタ )案の前にマツダにはコスモスポーツもRX7もありますものね。実は世界一スポーツカーを売る会社ですね。
2024年5月18日 18:25
おお! 
なんと、x508(FA4 ファミリアAP(アンチ・ポリューション=公害対策))の頃にライトウェイトスポーツを志向していたとは!
ファミリアは1980のBDからはFFなので、X508ならばむしろFRでロドスタの原型ってことになりますね?!
たしか、BDファミリアの時代に東京モーターショーにカブリオレに改造した試作品?が出て、その後、BF型で前期カブリオレのBFMS、後期BFMR、続いて、RX7のFC3S、満を持してのNA6!の経緯は把握していましたが。。。
コメントへの返答
2024年5月19日 19:53
さすがファミリア・スペシャリスト!詳しい!

トヨタでいうKPスターレット(確かFR)みたいな感じでしょうか

マツダはロドスタの前にもFRのスポーツカーをロータリーでも作っていて素晴らしいですね
2024年5月19日 15:56
ロードスターを生み 今まで進化させ続けたマツダに感謝です。
ついに私もオーナーになります☺ 納車は9月頃ですが…
mx5ミアータさん 皆さん どうぞよろしく
コメントへの返答
2024年5月19日 19:56
おぉぉ〜
ロドスタ オーナーになられましたか!おめでとうございます!

楽しみですね。ぜひブログでご紹介を!

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「ドジャース VS ヤンキース戦を観に行ったよ http://cvw.jp/b/482021/48462614/
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