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ぜーたのブログ一覧

2020年02月29日 イイね!

【回想】高校3年生

運動会に関わる2つの大きな罪悪感を覚えています。


【応援旗を持って行かなかった】

実は2年生の時にも運動会で使うクラスの応援旗を作るのを担当しました。
その時はクラスで数人、その中に私も訳あって選ばれました。
絵を書いたのはもう一人のクラスメイトでしたが、絵の具を使って塗る際は私が積極的に行いました。

元々、私は絵を書くのは得意でしたから、一生懸命書いたその旗は自分の中で自信作でした。
確か放課後も残ったりして、かなり頑張って描き上げたと思うのですが、お陰で私のクラスの旗は学年で最優秀賞を取る事が出来ました。
運動会当日、私のクラスが選ばれた時は、何というか高揚感に包まれて『どうだ、やってやったぞ!』という思いでした。
クラスメイトも喜んでくれて、私も素直に嬉しい気持ちでいっぱいでした。

翌年、私はその記憶があったせいか、自ら手を上げて立候補しました。
確か他にはやりたい人間がおらず、私一人だったと思います。
元々引っ込み思案な人間なので、一緒にする事を気まずく感じる人もいたのだと思います。
私は寂しい気持ちもありましたが、逆に一人で自分の好きなように描けるので、気が楽でした。

その年は月間ジャンプの漫画をコピーして描きました。
あまり好きな漫画ではなかったのですが、応援用の旗には向いてるデザインでしたので、それに決めたのだと思います。

大まかに下絵を描き終えた頃、私は上手く描けてない思いに苛まれました。
もっと完璧に書きたいという気持ちがありました。
そのままの状態で学校に持っていきクラスメイトに見せると『カッコよくて、なかなか良いんじゃない。』と言われましたが、私はもうやる気が無くなっていました。

その後、色を塗ってある程度作業を進めてみましたが、私は自分の書いた絵が気に入らないのと、去年のように何度も絵の具を塗り重ねる事に面倒臭さを感じていました。
旗は布に描くので、勿論やり直しは利きません。

途中で投げ出した私は運動会当日も旗を持って行きませんでした。
自ら立候補した事も忘れて、責任を放り投げたのです。
勿論クラスメイトからは『何で持って来なかったと?』とか『書いてたやつはどうしたと?』と責められます。
『何や、あいつ。』みたいに舌打ちする人もいたと思います。

他のクラスの旗が紹介される中、私は何を考えていたのか、もう覚えていません。
残ったのは、強い罪悪感のみでした。


【肘を捻挫した】

運動会と言えば、組体操があります。
元々、力の弱かった私はピラミッドの土台で崩れ、補助に回されます。
体育の教師から『でくっとや?できんとや?』と怒られますが、どうしたら良いかわからず黙っている事しか出来ませんでした。

二人組でするサボテンの練習がありました。
その中で軽い方の人間が上になり、もう一人の肩の上に乗る練習をしていました。
私は体格を比べてもう一人の同級生を持ち上げる方になったのですが、力がなく持ち上がりません。
仕方がないので、今度は肩の上に乗る方に代わりました。

最初から凄く恐怖心があったのですが、何回か成功した後、やはり怖くてバランスを崩してしまいました。
私は肘と腰から地面に叩き付けられました。
痛みと真夏の暑さで気分は最悪です。

その後は保健室に行き、すぐかどうかは覚えていませんが、父に迎えに来てもらい、整形外科に行きました。
同級生のお父さんがやっている地元の整形外科で言われた事は『骨折よりも酷い捻挫』という事でした。
骨が弱ければ折れていたようですが、私は小さい頃からいりこや牛乳などカルシウムやタンパク質の多いものを積極的に食べさせられていたので、骨が丈夫だったのでしょう。
今でも骨折した事が一度も無いのですが、その時も捻挫で済みました。

ところがこれが思ったより辛いのです。
痛み止めを飲まないと耐えられない程の痛みで、腰を打ったせいで気分が悪いのもあったのか、夜中はうなされていました。
全治1か月という診断で、しばらくは大げさなギブスをして生活する事になりました。
幸いにも左手でしたので、大きく困る事はなかったように思います。

ところで罪悪感というのは、私がギブスをしているので、気を使って教室に入る時にドアを開けてくれた女の子がいたのです。
私は別にそこまでしてもらう程ではないという気持ちがあったのと、あまり喋った事のない女の子だったので、顔も見らず、『ありがとう』の一言も言えませんでした。
状況判断能力がない性格と言えば言い訳になりますが、女の子の気遣いを無視するような傲慢な人間だと思われてしまったかも知れません。
女の子に対する罪の意識が消えません。


【恋心】

卒業が近付く頃、私は自動車学校に通っていました。
高校3年になってから初めて同じクラスになった女の子がいて、新しいクラスになった頃から気になっていました。

卒業まで告白出来なければどうしようとずっと考えていました。
結局、片思いのまま、終わってしまったのですが、その後何年も未練を引きずり続ける結果になりました。

純粋な恋心というのは、多分それが最後だったと思います。
高校を卒業して田舎を離れ、世の中の事を知っていくと、もう純粋さはなくなります。

今となってはその子を思い出す事は殆どありませんが、たまたま最近Facebookで見付けると、早々と結婚して子供が何人かいるようでした。
普通に嬉しい気持ちになりましたが、何だか自分も相手も当時と今では別人のように感じます。
いつの間にか動揺する事もない、冷めた大人になりました。


基本的に高校3年間はつまらなかった記憶しかありません。
退屈で面白くないのに、酷く反応しやすい、無意義な高校生活でした。
Posted at 2020/02/29 23:27:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2020年02月13日 イイね!

【回想】幼稚園の話1

私が通っていた幼稚園は隈府小学校の隣にある『第一幼楽園』でした。
今は『菊池第2さくら幼楽園』と名前が変わっていますが、珍しい呼び方の『幼楽園』の部分は変わっていないようです。
市営からの民営化に伴い、平成24年4月1日から幼稚園名が変わったようです。

色々と覚えている事があります。


『挨拶をしない私』

当たり前ですが、朝登園した時と帰り帰宅する時に先生に挨拶をします。
しかし、私は一度もそれをしなかったのです。
勿論、先生は挨拶をしてくれます。
しかし、私は恥ずかしがってなのか、言葉が出なくてなのか、一度も挨拶の時に心を開く事はありませんでした。
送り迎えをしてくれていた母も『こら、挨拶ばせんか!』と軽く怒っていたような気がしますが、それでも私は嫌だったのでしょう。

心を開けない、引っ込み思案、人見知り、発達障害、私の性格を表す言葉が色々見付りますが、思い出してみると幼稚園の頃からそういう傾向があったと思います。
幼稚園には2年通いましたが、それまでは自宅で育てられていたので、人との関りが少なく、コミュニケーション能力が育たなかったのかも知れません。
また1歳半からは本家を出て、核家族の世帯になったので、両親以外に心を開くのが苦手だったのでしょう。
家ではうるさい位に騒いだりしていたのに、外に出ると臆病になる性格でした。


『水泳で泳げて嬉しかった』

当時の私は他の子は出来るのに私は出来ない、という劣等感を感じる事がありました。
水泳もその一つで、私は泳ぐのがとても苦手でした。
なので水泳の時間は楽しいと言えるものではなかったのですが、ある時先生が『飛び込んでごらん』と私に声を掛けてきました。
勿論、プールの中で頭から水の中に潜る事ですが、それを私がしてみると先生がとても褒めてくれたのです。
そして、手を繋いでバタ足で泳がせてくれたり、ビート版を使って泳がれてくれました。
私がそれを出来るとその度は先生が褒めてくれて、私はとても嬉しかった事を覚えています。

失敗談として、パンツを履いたまま水着を着た事です。
水着への着替え方もわからず、周りが当たり前のように着替える中、私は不安でいっぱいでした。
それだけなく、わからない事、馴染めない事、幼稚園時代を通して私が一番感じる事でした。


『仲の良かったタカトシ君』

コミュニケーションを取るのが苦手な私にも仲の良い友達が一人だけいました。
いつから一緒に遊ぶようになったのかきっかけは覚えていませんが、よく二人で話したり、遊んだりしていました。

今思うと、実はその子のお母さんはその幼稚園で先生をしていたので、もしかしたら先生が気を利かせて、自分の子供にいつも一人でいる私に声を掛けるように言ってくれたのかも知れません。
確か小太りで迫力がある先生だったと思います。


『取られた粘土』

いたずらっ子というのはどこにでもいます。
ある日、人の粘土を取って回る男の子がいました。
他の子も少しずつ取られていたようですが、何と私のは全部取られて無くなってしまったのです。
気が弱い私は何も言えずにオドオドしているだでした。
泣いたりはしなかったと思いますが、悲しさとどうしたら良いのかわからない気持ちでいっぱいでした。
しばらくして先生が気付いて、他の子から粘土を少しずつ集めて、私の分を戻してくれたのが救いでした。


『出来る気がしない切り抜き』

画用紙をハサミで切り抜く工作の時間がありました。
ニックネームで『ターボ』と呼ばれていた同級生がいて、その子は颯爽と切り抜きを作って先生に見せに行くのです。
それを見ていた私は、こんな難しくてそんな事出来ないと感じていました。
他の同級生も次々に出来て、私が強く劣等感を持つ出来事でした。

ちなみに小学校に入ってからは、工作も得意になって、人より上手な意識があったので、そのような事は無くなりました。
今でも工作は大好きです。


『訳を言えと殴られる』

ある日、滑り台の階段を登った所で因縁を付けられました。
後々も悪ガキで有名になるK君ともう一人誰かがいたと思います。
私が何をしたのか覚えていませんが、『訳を言え』と言われて私が困っているとお腹を殴るのです。
お腹をガードする余裕も無かったので、それが物凄く痛いのです。
同じ事を何度も言われて、何度も殴られました。

所謂『イジメ』だと思います。
ちなみに小学校に入ってからも、私は呼び出されてイジメられるという経験を何度もする事になります。


『トカゲがいる建物』

園内に普段は入られないようにしてある建物がありました。
登り棒の奥で、相撲場?の隣だったと思います。
何かの時間の時に入った記憶がありますが、何の授業で何をしたのかは覚えていません。
覚えているのは、トカゲがいっぱいいた事です。
柵の奥に花壇のようなものがあって、そこを覗くと緑色の光沢を持ったトカゲがいました。
1匹だけでなく何匹もいるし、いつ見てもいるのです。
チョロチョロと動き回り、草むらから出てきたり隠れたり。


『同級生の女の子』

私の父とその子のお父さんが同級生で仲の良い友人でした。
いつもは母と歩いて幼稚園に通っていたのですが、知り合いという事でその子のお母さんの車に乗せてもらって送ってもらう事がありました。
3ドアの軽自動車でしたので、助手席を前に倒して後ろに乗り込むタイプでした。
私がその子と特に仲が良かった訳ではありませんが、両親同士は仲が良かったです。

小学校以降はその子とあまり関りがありませんでしたが、一応知り合いという感じはありました。
高校生位になってから、父とその子のお父さんが誤解から喧嘩した話やその子のお父さんがうつ病になって練炭で自殺した話を聞きました。
仲の良い友人を亡くした父はやはり悲しそうでした。


『自殺した同級生』

仲の良かった『タカトシ君』の他にやや仲の良かった『T君』という子がいました。
普段はタカトシ君と遊んでいたと思うのですが、たまにそのT君とも遊んでいました。
すきっ歯が特徴的だったと思います。
幼稚園の頃は仲も良かったのですが、小学校以降も学校は同じでしたが、特に関りがありませんでした。

私が専門学校生位の時だったと思いますが、その同級生が自宅で硫化水素を使って自殺した事を聞きました。
テレビ等でも硫化水素自殺が話題になっていた時期でした。
そういえば、幼稚園の頃は明るい性格だったのに、小学校以降は何となく暗い雰囲気になっていたような気がします。
幼稚園の頃は仲が良かった同級生だったので、後でその話を聞いて少し感傷的な気持ちになりました。


『不気味な音楽』

サビが『ドッキドキの~一年生~』という歌詞の曲があります。
年長クラスになると、よく音楽の時間に歌っていて、私はとても不気味な印象をもっていました。
調べてみると正式な曲名は『ドキドキドン!一年生』というらしいです。
今聞いてみても確かに変な曲調で、それもそのはず、実はこの曲、長調の曲なのに途中から短調に転調するのです。
幼稚園で歌う曲は明るい曲が多い中、変わった曲調だったので、印象に残っています。


続く。
Posted at 2020/02/13 20:29:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 戯言 | 日記
2020年02月10日 イイね!

【回想】夢空間の話

 菊池市にあるショッピングプラザ『夢空間』の回想です。
 まず調べてみたのが、オープンした日の事。毎年、大創業祭が行われているようで、日付は7月13日。何周年なのかを確認して、創業年を逆算してみると、どうやら1995年になるようです。
 1995年、私は小学3年生です。7月13日と言えば、夏休み前の少しウキウキしている時期かも知れませんね。
 オープンした初日だったかどうかは覚えていませんが、私も買い物に行きました。家族皆で出掛けた記憶があるので、父・母・私・妹揃っていたのだと思います。
 印象深いのは、人の多さです。オープンしたばかりでセールが行われていたのでしょう。それは身動きも取れないような人混みでした。
 今は当時とレイアウトが変わっていますが、当時は店内に入っている食料品店サニーの隣に洋服屋がありました。(現在はセリアがある場所。)洋服屋の前からサニーの前に続く広い通路が印象に残っています。
 当時はサニーの前に今で言うフードコートのような所がありました。フードコートと言える程の店は無く、ちょっとした軽食を販売している売店等がありました。
 フードコートの前にゲームコーナーになっており、初めて訪れた日は少しそこで遊んだ記憶があります。 
 フードコートの隣が薬局で、子供の私が一番興味が無い場所でした。
 夢空間が出来る前は、菊池市で割と大きな店と言えば、寿屋、マルカ、キャニオン辺りでした。夢空間が出来た場所には元々ぶどう畑がありました。私の本家は夢空間の裏にあるので、夢空間が出来る前の様子も結構覚えています。また、寿屋へ325号線沿いを歩いて買い物に行く時の通り道でもありました。
 そういえば、325号線を挟んで反対側にあったレンタル屋の『伽羅奢(がらしゃ)』はいつ頃出来たのでしょう。覚えていないし、インターネットて検索しても情報が古過ぎて見付かりません。
 夢空間が出来てからは、よく母と一緒に出掛けました。買い物よりもフードコートで軽食を食べた事やゲームコーナーで遊んだ事の方がよく覚えています。
 ゲームコーナーでも特にコインゲームに夢中になっていました。ジャンケンのゲームで大当たりが出ると、何とコインが50枚出てきます。コインの排出口の蓋が開かずにコインが取れない程の枚数なのて、店員を呼んで取って貰ってる子供もいました。
 ペンタのバスケゲーム、魚釣りゲーム、私はめちゃくちゃハマっていました。コインゲームコーナーのすぐ奥に100円で遊べる画面を見ながら冒険するようなゲーム機がありました。バスケットボールのゲームの隣です。怪しい雰囲気のそのゲーム機の音声で流れる『デジャヴュー』という言葉を覚えた気がします。
 今の菊池市には大したゲームセンターがありませんが、当時は夢空間内、キャニオン内、寿屋の屋上に割と大きめのゲームセンター(コーナー)がありました。私はとても好きでどこもよく覚えています。
 学校の決まりで『子供だけでゲームセンターに行ってはいけない。』というものがあり、毎月行われる『地区児童集会』で決まりを守れなかった人は手を上げなければならなかったのですが、私は維持でも手を上げなかったのを覚えています。決まりは守れてなかったのですが、悪い子になるのが嫌だったのでしょう。しかし、それでも先生にバレていて怒られるのてはないかと、内心ドキドキしていました。反対に『斜め横断をしてはいけない。』という決まりは罪が軽い気がして、そっちに手を上げて誤魔化していました。
 自宅から夢空間へ歩いていく道の途中、スーパーの『スーパーU』がありました。そこの駐車場にゴミ収集車が停まっていて、その臭いが凄いのです。もう少し歩くと、今度は蚕の製糸工場があり、そこも臭いが凄いのです。嗅覚というのは、記憶に残りやすいらしく、映像とセットで思い出されます。
 夢空間から見て隈府小学校側にサウンドスペースというカラオケ屋があります。元は確か平屋の家が建っていました。住居だったのかどうかはわかりませんが、私が覚えている頃から空き家になっていたと思います。
 夢空間の駐車場を挟んで、その反対側はトウモロコシ畑でした。すぐ近くにクラスメイトの住んでいるアパートがあり、よく遊びに行っていました。夢空間へ続く裏道が、まるで冒険しているようで楽しかったのを覚えています。
 何の為に生まれたなんて、考える事もなく、父がいて、母がいて、妹がいる。本家に行けば祖父と祖母がいて、学校に行けば友人がいて、日が暮れれば、いつものアパートに帰る。
 思い出してみると、とても懐かしいのです。忘れないうちに文字に残しておきたいと思い、ブログが書いてみました。
 また色々と書きたいと思っています。
Posted at 2020/02/10 20:33:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | ローカルネタ | 日記

プロフィール

「私は基本的に政治に無関心なので、政治に文句言うこともない。世の中は移り変わるのが当たり前なのだから、それに合わせて上手に生きていけたらと思うだけ。」
何シテル?   11/19 20:02
ぜーたと申します。 自動車が好きなのですが、日に日に弄る頻度は下がっています。 私が唯一登録しているSNSがみんカラです。 適当に思う事を呟いてい...
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