
一週間の癖か5時に目が覚めて寝れずにいた土曜、
いつものルーティンから
新聞を。
自分も人身事故(=海中転落)で一時間の足止めはあったけど5時間はキツイなぁ(・・;)
最大の足止めは鉄道関連ではなくR31パサタボに乗ってた時、名神で事故通行止め&渋滞100キロ超えで3時間動かなかったことかな。
でもどこから新幹線高架へ?
タグボートに押され青森桟橋へ入港する青函連絡船大雪丸。
出港から二時間、「海中転落者がありました。救助の為停船します。」と津軽海峡で停止。
救命艇を下ろし
捜索。
船上からは転落した方の姿が見え「こっちこっち!」の声があちこちから上がるも救命艇から見えないのか潮の流れが早いからか近づけず、救助断念。
海上保安庁へ託すと放送があり航行再開。
1987年8月2日の出来事でした。
ちょいと出動し
伯備線井倉駅へ。
これを買いに来ましたが、
缶バッジは売り切れ、20日以降入荷とのことで記念券のみ購入。
表側の写真は井倉駅とは関係ない木野山駅最寄りの有漢川鉄橋じゃな(*^-^)

帰路へ。
帰宅後、買い物に行くとの事で便乗。
スーパーへ。
ドライブスルーでこれを買って昼飯に。
美味かったけど😋、思ったより腹にガツンと来ました(^。^;)
帰宅し、“間に合うかも”と相棒に乗り換え、旭川を渡り
ここまで来れば大丈夫じゃな。
まずは先行の普通電車で試し撃ち。
ターゲットが来ました。
毎度お馴染みレール輸送列車です。
今日は乗らないって言ってたな~。
三段に積まれた新しいレール。
この後、向日市のレールセンターで溶接(フラッシュバット溶接)するんだったかな?
TIG&アーク溶接なら原発関連の職場に居た時にやってたなぁ(懐)。
帰路へ。
水分補給&排出をしつつ
セルフで給油も。
ENEOSアプリを使えば地元のフルサービス店より10円/Lほど安いんよなぁ。
で、帰宅。
三女のアサガオは順調、親父のヒマワリは一つしか芽が出なかった…。
晩飯後、みんなの動物園を見て、のりちゃん決まらなかったけど、ある意味良かったのかな。
風呂上がりに久しぶりに新潟交通のHPを覗いたら、大阪~新潟線「おけさ」が廃止になってたのか…。
JRで同じ区間を走ってた夜行急行「きたぐに」。
新潟と岡山の行き来に重宝してました。
グリーン車や
二段式寝台のA寝台を連結、家族で乗車の際はA寝台を、
自分一人の時は三段式寝台のB寝台に乗車してました。
↑のA寝台は窓の上に小判型の上段寝台用の覗き窓が一つありましたが、三段式B寝台には中段、上段用の二つあり、
(※上側の小窓からチラッと浴衣が見えてます)
通常!?の窓から中段寝台の底部が見えてました。
こっちが分かりやすいかな?
ハンガーが見えてますが、中段寝台の底の形状の関係で窓側に隙間があり、その空間へ頭を突っ込んで外を見るのが下段寝台の特権でした。
その分、広かったですから。
ちなみに「きたぐに」とは色が違いますが、こちらが正しい寝台電車のオリジナルカラー。
新大阪での新幹線接続特急として誕生した車両なので新幹線に似せた色になってました。
後に臨時列車へ格下げされた「きたぐに」もいつの間にか廃止に…。
臨時列車時代はA寝台は無く、編成も短くなり廃止を予感させる姿。
新潟を走ってた夜行列車もことごとく消え去り…。
新潟と新宿を結んでた快速「ムーンライトえちご」。


稀に通常とは異なる車両が使われたことも。

上野と青森を結んでた寝台特急「あけぼの」は深夜帯ながら新津駅から乗車も出来、

大阪と札幌を結んでた寝台特急「トワイライトエクスプレス」も同じく新津駅で客扱いをしてました。
五泉市に本社がある蒲原鉄道(今は名前が変わってたっけ?)はまだ村松~新潟線の高速バスを受け持ってるのかな?
人生最高レストランを見たら
今日一日が幕を閉じます。

~おしまい~
Posted at 2023/06/11 00:35:23 | |
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日常