ツイッターで、
数人の方とおこなった
運転についてやりとりから
自分なりに
考えたことをまとめておきます。
ということで
本日はかなり長文になります事を
あらかじめお断りしておきます
悪しからずご了承ください。
さて
土曜日、あいの風プロムナードにバイクで向かったんですが、
優先道路進行中、直交する道路の一時停止標識を無視し(多分60km/h以上のスピードで)ハイエースが横切りました。
タイミング悪かったら死んでた(←ぼくが)ので頭きて追っかけたんですが
県外ナンバーの車で道に不慣れなうえ、西日で止まれの標識見落としたようです。
ここは適当な一時停止をする車が多いので常々気をつけてるのが幸いしました。
特にバイクVS車の場合、相手がいくら悪くても痛い目みるのは
こちら(=バイク)なので油断できません。
乱暴な言い方になりますが、実感としては、20km/hやそこらのスピード超過よりも、
停まらず目の前に飛び出してくる車のほうがよっぽど重大事故に直結するリスクが高いです。
『車は急には止まれない』けど『バイクはさらに急には止まれない』からです。
でも
うちの近辺では、ネズミ捕りはひんぱんにやってますが
あんまりやってないんですよね一時不停止の取締り。
そのせいかもしれないんですが、
町なかとか我先に飛び出してくる無法地帯になってます。
止まれの標識で一時停止したら後ろの車にクラクション鳴らされたとか実話です。
まるで停まると損するとでもいわんばかりの有様です。
ぼくは命もお金も惜しいので、たとえこっちが優先道路であっても
交差点では臆病です。
まあこの動画の時もそうですが、ぼくは
基本的に相手が止まらないものとして備えています。
なにしろ
ひどいのになると、こっちを見もしないで合流してきますからね
ー携帯片手にね。ぼくの後ろにはなんにもいないのに・です
わざわざ目の前に割り込む意味がわからない。結局そのへん含めて
なんにも見ていないわけです。
更に言うならそういう車は、その先で右折かましてくれる率も高い
ほんと自分の事しか考えてない
苦笑いしながら毎日鍛えて太くしてます。
堪忍袋の緒を
・・・なんなんでしょう?
思えば、アクセル踏むだけで走る楽なクルマばっかりだから
携帯いじったり化粧したり片手を窓からだらしなくぶらさげたり
漫然運転・注意力散漫・自転車感覚の
『走る凶器』が増えちゃうんじゃないですかね?
どんな自信に裏付けられてるのかは知りませんけど、
運転片手間にして意識を向けてる対象が、あんたにとって
生命財産を差し出すに足るものかと問い詰めたい。
往々にして周りの人のフォローで無事に済んでるケースだと思うんですw
うんてんって別に、『運を天に任す』の略じゃないんですけどねえ。
クルマ売るためにちょっと敷居を下げすぎてる気がしますねー色々と。
歩行者自転車などが混在してる中で、こんな危ないものを走らせてるのに、
メーカーが次々打ち出してくる『安全装備』って
その自覚をなくさせる方面の改悪になっちゃってる気すらします。
運転支援技術とか、本当に運転してる人間のためになってるの?って事です。
中高生とかが無免許で乗り回して事故るとか。操作があまりに簡単だから、知識や技術なんてほとんどなくても走らせられちゃう証明ですよね。
まして、例の事故の教訓から、なんで通学路の速度規制って話になっちゃうのか理解に苦しみます。
どう考えてもそこじゃないだろ原因はwww
むしろああいった事故を本気で根絶するつもりだったら
AT免許のほうを難しくするとか、免許取得後
何年か無事故無違反じゃなきゃAT車に乗れないとかすべきじゃないんですかね。割と真剣にね。
要は事故を起こさない&遭わないためになにをすべきか、どういう意識と自覚をもって、運転という行為に向き合うか、
その覚悟と姿勢じゃないでしょうか。
ハンドル握ってる間、運転という行為から意識を逸らさない集中力。
メーカーが支援しなければならないのは、
そっちを高めるための工夫じゃないのかなー。
ぶつかった時の安全を確保する技術も大事、
ぶつからないための技術も大事
でもなにか肝心なことが抜けていませんか?
だから、『事故自慢』や『ツイてないアピール』をする人については
それって違わない? と声を大にしたい。
そういう人って
短期間で何度も事故に遭いそうになった事に関して、
運不運以前に、何か問題はないか
何か自分サイドで更に気をつける工夫はできないのかと問いかけても
「自分に落ち度はない」
の一点張り。ひたすら自分の立場を正当化しようとするので話がかみ合わず
堂々巡りです。
あのね
落ち度がない
のではなく、
落ち度が"見えていない"
ことに気がついてほしい
はっきり言うと、
予測運転が出来ていないんです。
それを自覚し、意識を変え、欠点を補う努力をしなければ
また同じような事故を起こす。
あたりまえの話なんです。
これは、常々ぼくが自分自身に言い聞かせている事でもあります。
とにかく
ぼくもあなたも含めてほとんどの人は運転がヘタなのである。
それを認識しないと何も変わらない。
免許の色がゴールドだろうが二種免持ちだろうが
運転歴数十年だろうがそんなことは一切関係ない
思い上がってはいけない。
卑屈になる必要はないけど、謙虚にならなきゃいけない。
不完全でミスをするヘタクソが、
他人の命を簡単に奪うことのできる乗り物で
ヘタクソで溢れた危険極まりない公道という名の地雷原を
来る日も来る日もギリギリの紙一重で走っちゃってるというのが
現実の姿なんです。だから
これまで何もなかったとしたら運が良かっただけの話です。
そこを自覚しないと何も変わらない。
よく言われてることですが―
こっちの信号が青だから左右からなんも出てこないだろう
なんて過信してたら、命がなんぼあっても足らない。
(自転車歩行者だって撥ねかねない)
そういった事実を前にして、
どんなに理屈こねても、その理屈が正論でも、
事故をおこせば全く意味がない。
被害者だろうが加害者だろうが
怪我すりゃ痛いってことに変わりはない。
では
リスクを抑えるため何をしているか?
なのですが、たとえばぼくは
「あ、今なんか俺おかしかったな」
とか
「これっていやな流れだな」って感じた際、
意識を締めるようにしてます、より慎重な方向へ。
あるいは休んだり、ルート変えたり
して意識を仕切り直すことにしています。
まあ正直まだカッとなったり、無茶もやりますけどね。
そりゃ
腹が立つことだってある。
仕返ししてやりたいような奴もいる。
でも
所詮公道上に勝ち負けはないわけだし
無法を前に理屈など無力です。
死んじゃったらおしまいです。
理不尽な思いをし、ストレス溜めてでも
無事帰宅することを最上とする。
結局、乗り物を「コントロールする」ってのはそういう事なのかなあ。
と思うに至っています。
おうちに帰ってただいまを言うまで運転は終わっていません
自分も衰えていくし環境も変わり続ける。
この先も運転を続けるつもりだったら生き残る為の意識と術を磨かねばいけない。
リスクも含めて自分の意志でコントロールしたいものです。
できる能力があるうちは。。(←主観的になっちゃうけど
お互い慢心せず、今日も明日も生き延びましょう