もう一つの世界。
SFの世界では割とよく出てくるワードの一つで、物理屋の人達の良い研究材料。
とはいえ、日常生活では馴染みがあるはずもなく、いわゆる『普通の人達』からしたら眉唾物の事柄だろう。
でも、私の場合はちょっとだけ違った。
全然常識無いくせに、妙なところに詳しいおとーさん。
そのおとーさんが話してくれた、たくさんの話の中に、そのもう一つの世界についての話があった。
正直、あたしも『普通の人達』ではないという自覚はある。
だけど、こんなことまで普通から外れなくても良いんじゃないかと思う。
そう、それはある日の午後。なんとなく自分の部屋の扉を開けたことから始まったのだった。
虹口舞衣の消失
自分の部屋に入るのに何か考えなければいけない、という人は世界中探してもそれほどいるわけじゃない・・・はず。だからその日も、あたしは特に何を考えるでもなく、いつものように自分の部屋に行くのにその扉を開けた。
カチャ、という音と共に扉が開き、あたしは一歩踏みいれた。
「へ?」
するとどうだろう。そこにいつも踏みしめてる部屋の床の感触はなく、あたしは転げ落ちるようにその『穴』に踏み込んでしまったのだった。
「はにゃぁぁーーー」
ヤバい、と思った時にはもう手遅れ。あたしの体は、どことも知れない空間を自由落下していた。というより、しているように感じられた、という表現の方が正しいかもしれない。
視界に映るものは何もなく、ただ感覚的に落下しているのが感じられるだけ。
そしてその感覚もつかの間、視界にまばゆい光があふれる。
あたしは出れるな、と直感的に感じた。
―ゴンッ!
やはり自由落下している感覚は正しかったようで、光に包まれたと思ったら、あたしは何かにぶつかって受け止められていた。
「あいたたたた。えっと、ここは?」
自分がどこにいるのかを確認すべくあたりを見回す。
やけに本の多い本棚、部屋の真ん中にあるテーブル。そこは見慣れない部屋だった。
そして一つだけ見覚えのある顔が。
「あれ、おかーさん?」
そこにいたのは、あたしもよく知る母だった。・・・やけに若々しかったが。
「はい?」
おかーさん(?)は、素っ頓狂な声を出して首をかしげる。
うん、可愛い。見た目はやけに若いけど、その声やしぐさには見覚えがある。
「おかーさん、あたしよ。舞衣。分かる?」
「あの、『分かる』も何も、私にはまだ子供なんて居ないのですが・・・。それに、そんな年じゃありませんっ!」
うん、本当に分かってない。
これはどうやら、昔のおかーさんらしい。
「あの、それはさておき、下で苦しそうなんですが・・・」
おかーさん(?)は、あたしの下を指さす。そこには、男の人が一人倒れていた。
で、その人も、やっぱり見覚えのある人だったわけで。
「あ、おとーさん。ゴメンね」
「・・・色々文句を言いたいところだが、ひとまず置いとく。まずは退け。重い」
その声、そして失礼なことを平気で言ってるところ。間違いなく、この人はあたしのおとーさんだわ。
「あ、ごめんごめん。今退く」
そういってあたしはおとーさんの上から移動した。そしてやけに若い二人と相向かう形でいったん座ることにした。
そして一呼吸おいて、おとーさんが話し出した。
「さてと、だ。いろいろ聞きたいことはあるんだが・・・まず最初に、誰だお前」
ま、ここは自己紹介と行こうじゃない。
そう思ったあたしは、まず挨拶と行くことにした。
「えっと、あたしは虹口舞衣。二人の子供・・・のはずなんだけど」
「虹口?」
「遙乃、お前さん妹か何か居たっけか?」
「いいえ、私一人っ子ですよ。それに、従姉妹とかも居ませんし」
「とするとホントに遙乃の娘なのか・・・言われてみりゃ、確かによく似てるが・・・」
「似てる、というのは否定しませんけど、私に子供なんて居るわけないじゃないですか。それに仮にいたとして、こんな大きな子供がいるわけないですよ」
「そりゃそうだよなぁ・・・」
ふたりしていろいろ話している。同じ部屋にいるあたり、ふたりは付き合ってるのか、結婚してるのかな。
「ね、あたしも二人のことも聞いていい?」
「おう、悪い。俺は上野悠夜」
「私は虹口遙乃です」
「かみつけ・・・ってことは、まだ結婚する前なのね」
「そこだ。さっきから『おとーさん』『おかーさん』と言ってるが、お前は俺と遙乃の娘になるのか?」
「うん、少なくともあたしはそういう認識で、これまで生きてきたはずなんだけど」
「・・・そういう返し方するあたり、悠君の子供であると言われて納得いきますね」
「いや、そんなことで納得するなよ」
変な所で納得するおかーさん。結婚前とはいえ、仲が良いふたりにちょっぴり安堵した。
「ってことはだ、お前さんは未来から来たってところなのかな?」
「目の前の現実を全面肯定するなら、そういうことになるでしょうね」
「ふむ、そう聞くと知的好奇心をくすぐられるな。未来から来た、というが、実際問題どうやってきたんだ?」
「それですよ。タイムトラベルなんてお話の中のことだけだと思ってました」
「あ~、それね。あたしにもよく分からないのよ。いつものごとく自分の部屋に入ろうとして、ドアを開けたら、いきなりよくわからない空間に落っこちちゃってさ」
「そりゃまたなんつー非日常的な事態だな、おい」
「んでもって、気付いたらここにいたってわけ」
「襖からいきなり飛び出してくるなんて、どこのドラ○もんですか、あなたは・・・」
「襖・・・あ」
そういっておとーさんは立ち上がって、襖を開けた。
「布団はあるな。だが・・・」
そう、布団のある段の上側によくわからない『穴』が開いていたのだった。
「こっから出てきたのね、あたし」
「だな。どれ・・・」
そういっておとーさんは穴に手を入れる。
「フムン、特にこれといって何も感じないな。ホントに穴だな、こりゃ」
「えっと、ではこの穴をくぐっていけば元の世界に戻れるのではないですか?」
同じくその『穴』を眺めつつおかーさん。
「でも、それは無理なんじゃないかなぁ」
あたしはそうぼそっと言った。
「あら、なぜですか?」
「あたしは言うなれば自由落下状態でこっちに来たわけよ。ということはさ、単純に戻ろうとしても届かないんじゃないかな」
「あ~」
うん、そんな気がしてたのよね。
「それにさ」
すっとあたしは『穴』の奥を指さす。
「あれ。たぶんあたしの元の世界の出口、もしくは入口だと思うけど、その光がだんだんと小さくなってる。そういう意味でも帰れないんじゃないかな」
「げ、マジか・・・」
「あらあら・・・」
そしてのぞき込む二人の前で、だんだんと小さくなる光は限界を迎えたように消えていった。
「というわけで、しばらくここに置いてくれない?」
「おめーは、緊張感や不安ってもんはねーのか」
襖を閉め、勝手に座椅子に座ってくつろいでいたあたしに、おとーさんは呆れ顔だった。
「そりゃあ、帰れそうにないってのは、不安ではあるわよ。でも、せっかくの奇跡体験じゃない。楽しまなきゃ損よ♪」
「あのですね・・・」
おかーさんも頭を抱えている。
「まあまあ。こーなっちゃった以上、ジタバタしても始まらないって。無人島に一人で漂着、って訳でもないんだしさ、何とかなるわよ」
「そりゃそうだが・・・」
「ほらほら、二人からしたらまだそんな実感ないんでしょうけど、親族みたいなものよ。妹が遊びに来たとでも思えばいいんじゃない?」
「それはこっちのセリフなんですが・・・まあいいでしょう。放り出すわけにもいきませんし、とりあえず泊めてあげましょうか」
「さっすが。話分かるね、おかーさん」
「もう。あなたは、少しは自分の置かれた環境を理解しなさい」
とりあえず何とかなりそうだ、と思ったあたしは心の底で安堵する。
不安ももちろんあるが、それよりも好奇心が抑えられない。
自分が世界中の学者たちが涎を垂らして羨ましがるであろう現実に置かれているのだ。
幸い、ここには頼りになる父と母が居る。まあ年齢は異なるが。
とりあえず、何とかなるでしょ。
ぐ~。
「なんだ?」
「あ、ごめんあたし。あはは、お腹すいちゃった」
「そういえば、もう晩御飯に良い時間ですね」
気付けば窓の外も暗くなっていた。考えても見れば、元の世界では夕方で、あたしはまだ晩御飯食べていなかった。
「うし、じゃあ飯にするか」
おとーさんはそう言うが、実際ご飯を作ってるのは、おかーさんである。
「はいはい。すぐ用意しますから、ちょっと待ってくださいね」
しばらくして、おかーさん特製の料理が出てきた。
今日のメニューは、事前に作っていた肉じゃがのようだ。
「わ、おいしそう」
「今日は肉じゃがで正解でしたね。これなら分けられるので、舞衣が居ても問題ありません」
「んだな。さて、いただきまーす」
早速食べ始めるおとーさん。
「はい、めしあがれ」
おかーさんの反応も見事なまでに自然である。
・・・この人達、まだ夫婦じゃないのよね?
まあ、それはさておきお腹が空いた。
あたしも食べることにしよう。
「それじゃあたしも。いただきまーす」
「どうですか?」
「うん、おいし♪ おかーさんこの頃から料理上手かったのね」
「ふふっ、食べてくれる人が居るからですよ」
おとーさんのことをチラッと見るおかーさん。
ふふっ、可愛い。
でも、おとーさんはその視線に気づかず、食事に夢中になっていたのだった。
鈍感なのは相変わらずなのね。
さて、食事が終わって夜である。
おかーさんの部屋にはベッドが一つあるのみ。あたしはどこで寝たもんかしら・・・。
自他共に認めるファザコンであるあたしなのだが、それは元の世界でのおとーさんでの話。
流石に、ほとんど同い年のおとーさんと一緒に寝るという選択肢はなかった。
・・・まあ、おかーさんの邪魔もしたくなかったしね。
「ちょっと待ってろ」
おとーさんに相談すると、そう言って自分の部屋へ戻っていった。
「何かあるの?」
おかーさんに尋ねる。
「悠君の部屋には予備の布団があるのですよ。私の部屋にはありませんから」
「ってことは、おとーさんは布団派なのね」
「曰く、『ベッドは実家で使ってたから飽きた。それに、布団で片付けた方が、部屋が広く使える』だそうで」
「あっはっは。言ってることは昔から同じなのね」
「向こうの悠君も布団で寝ているのですか?」
「そう―。・・・あ~、あんまり先のことは話さない方が良いかしら」
「あ・・・それもそう、ですね」
今の今まですっかり忘れていた。これがホントに過去の世界へ来てしまったということならば、あまりこの世界に干渉するべきではないのだ。
昔見た映画でやってたわね。過去の世界に介入してしまった結果、自分の存在が消えてなくなりかけてしまうってヤツ。
おとーさんから聞いたことのあるタイムトラベルの話では、タイムパラドックスが起きるとか、別の世界へ分岐するとかいろいろあったけど、結局どれが正解なのかはわからないままだった。
そりゃそうよね、未だあたしの世界でさえ、タイムトラベルは実用化されていないんだから。
少し、自重しないといけないかしらね。
「おーい、開けてくれ~」
玄関からおとーさんの声が聞こえてくる。
「あ、今行く~」
立ち上がろうとしたおかーさんを制止し、あたしは玄関に向かった。
「はい、おまたせ・・・って、デカい荷物ねぇ」
「おいおい、お前の布団持ってきてやったんだぞ。ほれ、中に入れさせてくれ」
「はいはーい」
おとーさんの持ってきた布団セットは、ただそのままという訳ではなく、持ち運びができるようにケースに入れられていた。・・・サイズがバカデカかったが。
たぶん、敷布団とかまでセットになっているのだろう。
「持ってきてもらっといてなんだけど、あたし寝袋とかでもよかったのよ?」
「あのな、剣一とかが泊まりに来てるのと違うんだ。布団くらい使っとけ。お前も女だろ」
「あっはは。しばらくそんな扱い受けてなかったから、すっかり忘れてたわw」
「・・・私、あなたの将来が心配になってきましたよ」
まあせっかく用意してくれたんだし、ありがたく使わせてもらうとしよう。
そんなわけで、気を使ったのか、おとーさんは布団を運び終えると、そくささと部屋に戻っていった。
「という訳でここからはお愉しみたーいむ」
「何を言っているのですか、あなたは」
「ふっふっふ。おかーさん、一緒にお風呂入りましょ♪」
「一緒に、って。うちのお風呂場そんなに広くないですよ?」
「いいのいいの。裸の付き合いってヤツよ」
「あのですね・・・」
ここでおかーさんの若い時のばでぃを知ってれば、あたしの将来的な劣化具合が予想つくってもんだからね。
「ほらほら、あんまり遅くなるとお肌に悪いわよ。早く早く」
「もう、仕方ありませんね・・・」
ゴネ徳ゴネ徳。
てかさ、おかーさんこんなにチョロくて大丈夫かしら。
まあいっか。じっくりと拝ませてもらいましょ。
結論。
あたしの勝ち。未来は明るいわ。
過去の世界滞在2日目。
「・・い・・・きて・・」
「ん・・むにゃ」
「ほら舞衣。起きてください」
「あと5分・・・」
「いいからもう、起きなさーい」
「っっ!!」
布団を引っぺがされた。
「もう、強引だなぁ・・・あれ、ここは?」
いつもと違う光景に戸惑うあたし。
「起きないあなたが悪いんですよ」
目の前にいたのは、何とも若いおかーさん。
その姿を見て、意識がはっきりしてきた。
そうだ、あたしは過去の世界(?)に来てたんだった。
ここはかつてのおかーさんの部屋という訳だ。
「おーい、何やってんだ。のろのろしてると遅刻すんぞー」
玄関から聞こえてくる声は、これまた若々しいおとーさんの声。
「遅刻?」
「私達、今大学生ですから。今日は朝から授業があるんですよ」
そういえばそうだった。
・・・まてよ、おとーさん達が出掛けるのは良いんだけど、その間あたしは何してたらいいんだろう。
「入るぞ」
ぬっ、とおとーさんが部屋に入ってくる。
テーブルの上には朝ごはんが用意されていた。
その数、三人分。おとーさんの分も入ってるらしい。
食事を共にするのはもはや日常らしい。
食後、おとーさんが話しかけてきた。
「さてとだ、俺達が居ない間は・・・家に居るのも辛いだろ。とりあえず1000円渡すから、適当に飯食うなりしててくれ。とはいえ、あまり悪目立ちするようなことはするなよ」
「ありがと。でも良いの?」
「ほっとくわけにもいかないだろう。それに、身内っちゃ身内なんだ。それくらいのことはするさ」
「そういうことです。見知らぬ世界に来て不安かもしれませんが、私たちが付いていますからね」
「―まあ今日は居ないけどなw」
「ありがと。おとーさん、おかーさん」
そうして、二人は出掛けて行った。
安心した。年が違うけど、やっぱりあの二人はあたしの両親なんだ。
大丈夫。きっとどうにかなるわ。
さて、落ち着いたところで動き出すとしよう。
せっかくなので、過去の世界を探検してみたい。
でも、あまり干渉しすぎては良くない。故に、おとーさんの自転車を借りて、見物がてら軽くサイクリングに行ってみることにした。
軽く走ってみるが、走ってるクルマが古いと思うだけで、そんなに違和感はなかった。
かつて見た昭和の時代の写真から見比べたこの平成時代は、変わりっぷりに驚いたものだが、この時代からあたしの時代でみると、そう大きく変化していなかったからだ。
確かに、街並みは変化しているし、あたしの時代には大きく技術は進歩している。でも、未だに車が空を飛ぶことは無いし、ガソリン車だって健在だ。余程のブレイクスルーが無い限り、一度確立した人間の生活様式は大きく変わることは無いのだろう。
ただ、完全に違和感が無い訳じゃない。写真で見た平成時代とはちょっと違う気がするのだ。
写真で見たせいだろうか。生で見ると違うものである。
タイムトラベルなんて誰も経験したことがない訳で、実際その時代に行ってみるとそんなものなのかもしれないわね。
そんな感じで、変わらず存在しているコンビニでおにぎりを食べつつ、サイクリングを終えた。
夜の話である。
「さて、昨日は突然の出来事だったんで、いろいろこんがらがっててスルーしてたがな」
「どったの、おとーさん」
「それだ。その『おとーさん』って呼び方何とかならないか」
「私もそれ気になってました。確かに、あなたの時代ではそうなのかもしれないですけど、今の私達はまだ夫婦ではないのですから」
「そもそも、同い年の娘が居るってのも変な話だろ」
ふむん。言われてみればそうかもしれない。
「それは分かったけど、じゃあなんて呼んだらいいの? 流石に名前で呼ぶってのは違和感バリバリなんだけど」
「よろしい。ならば、にぃにと呼べ」
「・・・それ、自分で言ってて恥ずかしくならない?」
「・・・冗談のつもりで言ったが、かなり恥ずかしい」
おとーさんが頭を抱えてる。
ま、こういうおバカな所は相変わらずよね。
「ま、外ではお兄ちゃん、お姉ちゃんとでも呼ぶわよ。家の中では、このままでいいでしょ」
「う~ん・・・まあ仕方ないですね。そういうことにしておきましょうか」
過去の世界滞在3日目。
「もう、起きなさーい」
「むにゃむにゃ・・・」
今日も今日とておかーさんに叩き起こされているあたしだった。
「ほら、もう悠君ですら起きてるんですよ。早く起きなさいったら」
しょーがない。起きるとしましょ。
しっかし、こっちに来てから朝が辛い。元々朝型という訳でもないけど、どーにも起きられないのよね。
慣れない過去の世界と布団に、安眠できていないのかしら。
「朝ごはん用意しておきましたから、食べててください。私達は、今日授業で外出ますので早いんです」
「りょうかーい」
「それと、お昼ご飯用にお弁当作っておきました。どこか出かけるなら持って行ってくださいね」
「あーい」
甲斐甲斐しい母である。
この頃から、その体質は健在なのね。おとーさんと付き合ってるせいなのかしら。
『おーい、遙乃。出るぞー』
「あ、はーい。それじゃあ舞衣、行ってきますね」
「うん。いってらっしゃーい」
そう言って、おとーさんとおかーさんは出掛けて行った。
二人が出掛けて行ったあと、あたしは部屋でうなっていた。
世話になっている分、掃除でもしようかと思ったのだが、その点おかーさんに抜かりはなかった。正直、朝ごはんの分を洗い物すること以外することが無かったのだ。
恐るべし、おかーさんの女子力。もっと言っちゃうと嫁力。
あたしもおとーさんと似てモノはあまり片付けられない体質なのだが、この点は見習わなければならないだろう。
というか、おとーさんがだらしないから、世話焼き体質全開で女子力を上げていったのかしらね。
することも無いので、また過去の世界を見物・・・と思ったのだが、今日は休んでいくことにした。
過去の世界への介入を危惧したのもあるが、なんだか体がだるいのだ。
朝起きられないというのも、これが一因かもしれない。
過去の世界というわけで、医者にかかる訳にもいかない。ここは無理をしないでおくことにした。
とはいえ、することが無いのは暇でしょうがない。
そんなわけで、今日は寝坊助の一日なのだ。
うん、しょうがないよね。
夕方である。
うとうとしていると、おとーさんが帰宅してきた。
おかーさんの部屋にいる所に来たから、帰宅というのも変な話だけれど、隣の部屋なわけだし、大して変わらないから、こう呼んでおく。
まあそれはいいとして、今回はおとーさんだけ先に帰宅したらしい。
「遙乃か? 生協寄って本見て、その後買い物してくるってさ」
「一緒に行かなかったの?」
「いつもならそうしてるところだが、今回は大事な客人が居るからな。様子見に行ってやれってさ」
「そっか。ありがと」
「なに、お前の話がホントなら、お前は俺の大事な娘だ。実際、こう話してて他人って気がしないしな」
「うん」
頭をぽんぽんと撫でられる。
こういう時、やっぱりこの人はあたしのおとーさんなんだ、と実感する。
なんというか、すごく安心するのよね。
「なんだ、しおらしくなっちまって。らしくないぞ、初日の勢いはどうした?」
そう言って、おとーさんはワシャワシャと頭を撫でた。
「ちょっと、髪が乱れるんだけど!」
「ははっ、それくらいの方がお前らしい」
「んもう・・・」
「悪かったよ。しかし、こう撫でてるとやっぱ遙乃の娘なんだって実感するな。撫でた感じの髪質とかそっくりだ」
「そう?」
「ああ。ようやく実感した。お前は、俺と遙乃の娘なんだな・・・」
そう言って、おとーさんはおかーさんが帰ってくるまで、あたしの頭を撫で続けていた。
夜である。
こっちに来てからは、おとーさんに借りた客人用の布団を使わせてもらっていた。
今日もそのつもりで、おかーさんが布団を用意しようとしていた。
「あ、まって」
「どうかしましたか?」
「あのね・・・今日は、一緒に寝ても良い?」
「一緒にって、私のベッド狭いですよ」
「いいの、それでも。なんとなく、一緒に寝たくなっちゃってさ」
「ふふっ。分かりました。では、今夜は一緒に寝ましょうか」
そんなわけで、あたしはおかーさんのベッドで一緒に寝たのだった。
ちょっとだけ、おかーさんの胸に顔をうずめる形で抱き着いてみた。
あまりこういうのは、あたしのイメージとキャラに合わないと自分でも思ったけど、こっちの世界に来て3日、帰れる保証もないわけで、ちょっぴりホームシックにかかっていたのかもね。
そんなあたしの頭を、おかーさんは優しく撫でていてくれた。
二人とも、こういう時はよく似てる。
感じるのは、大きな安心感。
そして、おかーさんの胸に抱かれながら、あたしは眠りについたのだった。
「う~ん・・・」
過去の世界滞在4日目。あたしは、おかーさんのベッドで寝込んでいた。
熱は無い。吐き気も無い。食欲はまあある。でも、動けないのだ。
だる気ともいえるが、ちょっと違う。昨日からその症状はあったのだが、明らかに今日は酷くなっている。
「お水、飲めますか?」
おかーさんがコップを差し出してくる。それくらいなら何とかできそうだ。
「ありがと」
コップを受け取り、水を飲む。
しかし、昨日までとその水の味が違っているように感じられた。
あたし、どうしちゃったのかしら・・・。
ピンポーン
チャイムが鳴る。
「あ、俺出るわ。遙乃は舞衣を頼む」
「はい。お願いします」
そう言っておとーさんは玄関に向かった。
「はーい、どちら様・・・っておい」
なんだか驚いているおとーさん。誰が来たのかしら?
「すみません、お邪魔します」
そう言って入ってきたのは、なんとあたしだった。
おとーさん達と違って、年もおんなじ位に見える。
制服のせいで、印象は違ったけどね。
「え、あたし?」
「ええ、あなたですよ。私も舞衣です」
「んな分かりにくい会話してんじゃねえよ。とりあえず説明しろ」
おとーさんが言う。
そんなわけで、あたしはベッドに寝たままだったけど、テーブルでの会談が始まった。
「改めまして、銀河連邦宇宙艦隊・時空維持管理部、時空探査艦レラティヴィティ所属、上野舞衣特務中尉です。一応、初めましてになりますね。お父さん、それと・・・お母さん」
おかーさんを見て、一瞬詰まるもう一人のあたし。
はて・・・かみつけ? 名字が違うってことは、何かあるのかしら。
「おいおい、ツッコミどころ満載の挨拶だな。しゃべって大丈夫なのか、それ」
「後で記憶を消させてもらいますから。今はとにかく理解してもらう方が先決かと」
「映画のM○Bかよ・・・まあ、了解した」
「なんだかよく分かりませんが、もうよく分からない事態には慣れましたよ・・・。私も、了解です」
「りょうかーい」
うなずくあたしたち。
「さてとだ、まず聞きたいのは、なんでまた別の世界の舞衣が来たんだ?」
「はい。ではご説明します」
・・・なんだか自分じゃない自分が前に居るのも気持ち悪い。言葉遣いもあたしっぽくないし。
まあ、それはさておき、もう一人のあたしが説明した事の顛末はこうだった。
「まず根本的な話をしましょうか。虹口舞衣さん、あなたが体験したのはタイムトラベルではありません。並行時間流間移動です」
「タイムトラベルじゃない・・・素直に過去に来たわけじゃないってことね」
なんとなく感じていた違和感。やはりそういうことだったのね。
「そのとおりです。では、この話を理解する上で必要不可欠な、多元並行時空と時間流概念についてですが―」
「あれだろ、確率時空分岐することで、無数の並行時間流が生まれていくってヤツ」
「あら、よくご存じで」
「その辺のことはある程度な」
「では、話は早いです。私も、そこに居る“虹口舞衣”さんも、それぞれ別の経緯を辿った時間流世界、いわばパラレルワールドから来たのです」
「あの~、私ちんぷんかんぷんなのですが・・・」
おずおずと手を挙げるおかーさん。
うん、だいじょうぶよ。普通の人にはわからないはずの話してるんだからね。
大体、なんでおとーさんがこの突拍子もない話を理解してるのかも謎なんだから。この時代では、そこまで時空理論は発展してないはずなのよ?
「えっとだ、『パラレルワールド』って言葉は聞いたことある?」
「似てるけどちょっと違う世界、でしたっけ」
「うん。そんなイメージでおっけ。多元時間流世界も言葉を変えただけで、似たようなもんだ。違う経緯を辿ったいろんな世界が、並行して存在してるってこと。時間流ってのは、過去から未来に向かって流れる時間の流れを一本の川に準えた概念のことだ」
「・・・わかったようなわからないような。とりあえず、話を先に進めてください」
「では話を戻しますね。この時間流同士は基本的に並行的に流れており、一部の例外を除いて基本的に交わることはありません。しかし、稀に時間流同士の間に存在する虚数空間に揺らぎが発生し、そのせいで時間流同士がわずかに接触することがあります」
「知ってる。所謂デジャヴってやつの原因だろ」
「そうです。通常、この程度の接触であればデジャヴを感じさせたり、ある種の幻惑を生じさせたりする程度で、ままある現象なのですが、今回は比較的大きなうねりによる接触があったようです」
川の流れが完璧に直線にならないように、時間流も時折“うねる”ことがある。その結果、二つの時間流がぶつかり、接触部分にトンネルが穿たれた、ということらしい。
「んで、二つの時間流がぶつかってトンネルができた結果、あたしがこっちに来ちゃったのね・・・。でさ、それはいいんだけど、なぜあたしの方がこっち来ちゃったわけ?」
「それは、各々の時間流の持つ確率ポテンシャルエネルギーが違っているからですよ」
「確率ポテンシャルエネルギー?」
「要は、その世界の存在確率といったものですね」
「どれだけその世界が存在しやすいか、ってこと?」
「世界の存在する必然性、とも言えますね。確率は無数にあるようで、実際には結構数は少ないものなんです。無限の可能性とは言いますが、起き得ないこともあるわけで、実際にはそれぞれの確率ポテンシャルエネルギーによって分岐数は収斂していくものなんです」
あ、だめだ。おかーさん頭から湯気出てる。
「えーっと・・・整理すると、どういうこと?」
なんとなくわかったような気もするが、解説をお願いすることにした。
「言葉よりこっちで見た方が分かりやすいですかね」
そこに居る” もう一人のあたし” は、テーブルの上に指で□を描いた。すると、そこに映像が浮かび上がってくる。・・・便利な機能があるものねえ。
「時間流の分岐と収斂についてのイメージ映像です」
もう一人のあたしが示した
「この時代だと・・・牛乳パックを想像してみてください。片方には満タンに、もう片方には1/4だけ水が入っています。これをホースでつなげると」
「多い方から少ない方へ水が流れますね」
表示されたアニメーションに沿って、おかーさんが言う。
「そう、要はこれと同じことが時間流世界同士の接触でも起きるんです。今回の場合、こちらの世界より、”虹口舞衣さん”の世界の方が確率ポテンシャルエネルギーが大きかったため、こちらの世界への一方通行な時間流間移動が発生してしまったわけです。水と同じく、穴が開けば、時間流もエネルギーの均衡を取ろうとしますからね」
つまり、デジャヴやある種の幻覚は、確率ポテンシャルエネルギーの違いによって、向こうの世界からエネルギーが流れ込んできた結果、デジャヴとして発現する、という訳らしい。
「それでお前さんはこの舞衣を連れ戻しに来たって訳か」
「はい。やることはそうなのですが、事はそう単純ではありません」
そう単純ではない、って何かあるのかしら。
「どういうことですか?」
「ただの時間流間移動だけならいいのですが、虹口舞衣さん、あなたは特異体質のようですね。あなたを起点に、元の世界から確率ポテンシャルエネルギーの大幅な流出が起きているんです」
「エネルギーの流出?」
「あなたの存在そのものが時空トンネルとして機能してしまっているのですよ。また、余程あなたの世界のエネルギー量が多かったのでしょう。こちらの世界へ異常なエネルギー流出が観測されています。その結果、この世界は異常加速を初めつつあり、崩壊しかかっているのです」
「ふむん、本来持てる確率ポテンシャルエネルギーの許容量を超えたって訳か。詰め込み過ぎた風船が破裂するのと同じだな」
「・・・なるほど、分かりやすい例えですね」
「こちらの世界での時間基準において、あと1時間以内に元の状態にまでエネルギーを還元させないと、周辺の万を超える時間流を巻き込んで大崩壊現象が発生すると予測されています。そうなった場合、あなたの元の世界にとどまらず、私の世界まで消滅の危機に瀕しているんです」
うは、そんなことになっていたとは。
もしかして、あたしのこの体の異常もそれが原因なのかしら?
「大体分かったわ。それで、あたしはどうしたらいいの? とはいえ、あんまり何もできそうにないけど。今朝から体が動かないのよ」
「すぐにあなたを元の世界に戻し、時空トンネルを塞ぐこの世界へのエネルギー流出を止めます。然る後にエネルギーバランスの是正措置を行い、事態を鎮めます。虹口舞衣さん、あなたの体の不調は、この世界への順応ができなくなりつつあるためです。元々あなたはこの世界の住人ではありません。あなたの時空パラメーターがこの世界と異なっているため、世界があなたを拒否しつつあるのです」
「世界が拒否、ね。寂しいこと言ってくれるじゃない」
「おい、流調に説明してる場合じゃないだろ。早く作業に取り掛からないと」
「いえ、皆に事態を理解してもらうことも重要なんです。認識による世界の確立も重要な安定要素の一つなので」
「認識した瞬間に世界が確定するってやつ? どっかの思考実験であったわね」
「そういうことです。なので時間が迫ってはいましたが、しっかりと説明する必要があった訳です」
「そっか。で、あたしはどう戻ったらいいの?」
「こちらを」
そう言って、もう一人のあたしは、あたしの胸にバッジのようなものを付けた。
「対象をロック・・・うん、上手く行った。では、これであなたを元の世界に転送します。上野舞衣よりレラティヴィティ、目標の時間流転送を実行」
どこかへ通信するもう一人のあたし。
すると、あたしの体が光に包まれていく。
「パラポジトロニック光・・・これであなたも元の世界に戻れます」
「あ、まって。おとーさん、おかーさん」
あたしは二人に向かって手を伸ばす。
「大丈夫。お前が俺たち二人の子供なら、何年後かにまた会える。だから大丈夫だ」
「そう・・・ですね。寂しくなりますが、また会えますものね」
伸ばしたあたしの手を握りながら、おとーさんとおかーさんが言う。
「さ、離れて。危険です」
そういうもう一人のあたしは、少し寂しそうな顔をしていた。
「うん・・・それじゃ、短い間だったけど、ありがと。またね、おとーさん、おかーさん」
多分、あたしも同じような表情をしていたのだろう。滲む世界に、瞼を閉じる。
それが、あたしの見た、この世界の最後の記憶だった。
「・・・ろ・・・るぞ」
「むにゃ・・・あれ?」
「起きろっての。遅刻するぞ」
「おとーさん?」
「何言ってんだお前」
目を開けた先に居たのは、見覚えのあるおとーさんだった。
「あれ? ここどこ?」
「どこまで寝ぼけてんだ。ここは、お前の部屋だろーが」
見渡せば見慣れた自分の部屋。壁に飾ったポスターも、本棚の大量の本やプラモデルもそのまんまだ。
「夢?」
「ああ、夢だろうな。だがそろそろ現実に戻ってこないと授業に遅刻するぞ。智未の奴もとっくに出て行ったんだからな」
「に゛ゃーーー」
大学までの道を自転車でかっ飛ばす。
信号待ちの時、携帯で日付時刻を確認してみたら、あたしが向こうの世界に行った日の翌日だった。
つまり、単に一晩過ぎただけ。
あれは、ただの夢だったのだろうか。
一日悩み続けてしまい、全く授業が頭に入っていなかった。
帰宅後、二人に尋ねてみた。
「ねえ、おとーさん、おかーさん」
「なんだ」
「どうかしましたか?」
「二人とも、以前あたしと会ったことがある?」
「何言ってんだ? 生まれてこの方ずっと一緒に暮らしてきただろうが」
「そうですよ。今まで20年間ずっと一緒に居たではありませんか」
「そっか、そうだよね。変なこと聞いてゴメン」
「大丈夫か? 疲れてるんじゃないか?」
「ううん、大丈夫。そんなことよりもさ、お腹すいちゃった。晩御飯まだ?」
「そろそろできますよ」
「うし、智未呼んで来い。飯にするぞって」
「あーい」
その日のご飯は、肉じゃがだった。
あの日食べたのと同じメニュー。
その味は、あの日食べたものと同じものだった。
完
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○登場人物
虹口 舞衣(にじぐち まい)
『未来から来た娘』
20歳
信州大学理学部在学中。
学年一の奇才であり、時空を超えた異常事態にもいち早く順応している。
ファザコン。
上野 悠夜(かみつけ ゆうや) 『過去の世界の父』
20歳
信州大学理学部在学中。
なぜか時空理論に精通している。でも、専攻は地質学。
遙乃とは、中学~高校時代の先輩後輩の仲だった。
部屋が隣であるため、通い夫状態。
虹口 遙乃(にじぐち すみの)
『過去の世界の母』
21歳
信州大学理学部在学中。
文系から理転して合格した。
誰にでも敬語で話す系女子。
ごく一般人のため、今回の事態に全く付いていけてない。
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