翌日の夕方のことである。
「さーてと、今日の授業はこれで終わりっ」
「お疲れ様でした。では、帰りましょう」
授業を終えた二人は、慣れた様子で二人並んで帰路についた。
この頃、二人は基本的に徒歩で大学へと通っていた。
二人とも自転車を所有していたのだが、遙乃が徒歩派であったことと、互いに話せる時間を取りたいことから、が大きな理由であった。
「この後は何かすることあります?」
「いえ、特には無いので、昨日買ってきたカレーを作ってみようかと思います」
悠夜の問いに対し、力を入れるポーズを取りながら答える遙乃。
「そうだった。晩御飯が楽しみだなぁ。あ、何か手伝った方が・・・」
「助かります。では、・・・あ」
何かを思い出したのか、手を口に当てて驚いた様子の遙乃。
どうしたのかと、悠夜は遙乃を覗き込む。
「手伝うのは良いですけど、それだとどちらかの部屋に」
「そうでした・・・」
お互い真っ赤になる二人。
当然、二人とも異性の部屋に行ったことがあるわけではない。
そして、この年の男女が互いの部屋に行くことは、通常の関係ではまずないことである。
それを思い出した二人だった。
「えっと、じゃあうち来ます? 流石に女の子の部屋に行くというのは」
意を決した悠夜は、遙乃を誘った。
もっとも、自分が行くよりかはマシ、と言った消極的な理由だったのだが。
悠夜にとって、遙乃の部屋に行くというのは、まだハードルが高いらしい。
「そ、そうですね。ではお邪魔させていただきます」
「じゃあ俺米炊いとこうかな」
「お願いします」
そう言って、二人は一旦互いの部屋に分かれた。
お互いに緊張の色が隠せていない。
旧知の間柄とはいえ、互いの部屋に行くということは、大いに意識するものである。まして、それが互いに意識している異性であれば当然であろう。
着替えと食材の用意が終わり、遙乃は悠夜の部屋を訪れた。
「お待たせしました」
「いえいえ、大丈夫でやんす」
「ふふっ。あ、入っても大丈夫ですか?」
「恐らく」
「なんですか、恐らくって」
「まあまだそこまで散らかしてない・・・とは思うんですが。掃除苦手なんで」
実家の惨状を思い出しながら答えた悠夜。
遙乃を家に上げるにあたり、そこが一番気になっている点であったからである。
好きな相手の前でくらい、良い格好したいと思うのは、誰しも同じだろう。
「ああ、なるほど。というか、こっち引っ越してきてまだ一週間くらいでしょう? 大丈夫ですよ」
クスリと笑いながら答えた遙乃。
「細かい所気にしないでくださいね」
心配そうに、悠夜は再度確認した。
「はい。では、お邪魔します」
「ふむふむ」
部屋の中をキョロキョロと見回している遙乃。
「な、なんスか」
「いえ、男の子の部屋は初めてなので。それに、同じアパートなので部屋の間取りが同じなのは当然なのですが、家具の配置でこうも印象代わって見えるものなのですね」
「あ、部屋の印象はあるかも」
納得する悠夜。
「私の部屋はベッドとテーブルなので」
「そりゃ特に違うだろうなぁ。ウチはこたつと布団だから」
「面白いものですね」
「まあまあ、部屋の観察はその辺にして、ご飯作らない?」
「そうでしたね。やりましょうか」
提案する悠夜に、うなずく遙乃。
二人はキッチンに移動し、料理を始めることにした。
この日の本命は、部屋への訪問ではなく、料理をすることなのだ。
「おぉ」
「変、ですかね」
料理を始めるにあたり、遙乃はエプロンを着用していた。
エプロンは青色で、胸元に羽がワンポイントとして描かれているものであった。
また、長い髪が邪魔になるのか、ポニーテールにしている。
「いや、何と言うか・・・とても似合ってる」
「あ、ありがとうございます///」
「ポニテもいいなぁ(ボソッ)」
「あ、これですか? 料理するときや運動するときなどは、長いとジャマになったりするので、こうしているんですよ」
「なるほど。ポニテ姿初めて見たから、すげー新鮮」
「ふふっ」
ふっとしっぽのように髪を揺らせて冷蔵庫へと向かう遙乃。
その姿に、ドキッとした悠夜であった。
「そうだ、やらせてばかりもなんだし、俺も何か手伝えないかな?」
「では、野菜とか切っていくので、上野くんは焦げないように鍋をかき混ぜておいてもらえますか?」
「分かった」
「ホントは全て切ってからの方が良いのでしょうけど、スペースが無いですから。火が通りにくそうなものから行くので」
「任されました」
仰々しく敬礼する悠夜。
その様子を見てクスリと笑った遙乃は、野菜と肉の下ごしらえに取り掛かった。
その間、悠夜は鍋を火にかけ、油を温めていく。
肉を切って鍋に投入した所で、悠夜がボソッと言った。
「こうしてカレー作ってると、中学の時の高原学校思い出すなぁ」
「あら、懐かしいですね」
「あの時も俺が火の番してたっけ。はは、今と同じだ」
「ふふっ、そういえばそうでしたね」
思い出すのは、高原学校二日目のバーベキュー。
その当時、同じ班だった二人は、遙乃が下ごしらえ、悠夜が火の管理をしていたのだった。
「まあこれくらいしかできないんだけどさ。鍋混ぜてるだけだけど」
「そんなことないですよ。その間、別のもの切ったりできますし、助かってます」
「いやいや、全体的には作ってもらっちゃってる訳だし、礼を言うのはこっちの方だよ」
「お礼言ってもらえるのは嬉しいのですけど、それは食べた時まで取っておいてほしい、かな」
「それもそうだ」
「じゃあ次は玉ねぎをお願いします」
「おっけー」
そしてついにカレーが出来上がった。
お皿によそって、居間のテーブル代わりのこたつに持っていく。
「おー、うまそうだ」
「ちゃんと味見もしましたから、大丈夫ですよ」
「それは全面的に信頼してる、てか作ってもらってる以上、するしかないというか」
「まあまあ。それでは召し上がれ」
「いただきます」
「どう、ですかね」
スプーンに掬ったカレーを口に運ぶ悠夜を心配そうに見つめる遙乃。
味見はしたとはいえ、相手の味の好みまでは分からない。
食べた時の反応を見るまでは、心配になるというものであろう。
「mgmg・・・おお、めっちゃうまい。これくらいのドロドロが良いなぁ」
「良かったぁ・・・」
ほっ、と胸をなでおろす遙乃。
「これが虹口さんの味なんだね」
「カレーなので、ルーの味ですよ」
「そうでもないさ。水の分量とか、入れる具材とか色々あるじゃない」
「そういうものなのでしょうか?」
「たぶんね。どっちにしても、これは俺の好みの味だよ」
「ふふっ、それなら良かったです」
「これならおかわりも行けそうだ」
「食べ過ぎでお腹壊さないでくださいね」
「それくらい美味いってことさ。さ、一緒に食べよう」
「はい♪」
これからは、一人の生活が続くと思っていた。
それはもちろん望んだことではあるけど、実際一人は寂しい。
こっちに来て最初の夜に、それを実感した。
でも、今は違う。
共に食卓を囲む人が居る。
一度は失った彼女との時間。その眠っていた時間が動き出す。
この幸福感は、お腹が満たされたことだけではないだろう。
それまでは、精々が通学の電車の中で隣に座るくらいでした。
しかし、今は、食事を共にしています。
これからは、こうして共に過ごす時間が増えていくのでしょう。
この時間がとても愛おしい。
何も無かった私が、初めて自分でつかみ取ったものだから。
つづく