フェアレディZの生みの親、ミスターKこと片山豊さんが先月お亡くなりになりました。
日本の自動車産業の発展にご尽力され、またフェアレディZとともに歩んだ105年の人生に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
というわけで、いつか書き上げようと思っていたブログですが、このタイミングで書いてみようと思います(^^)
ワタシ、Z33型フェアレディZが好きなんです(∩´∀`∩)
もっと大きく言うと、フェアレディZという文化が好きですね。
今でもディーラーに行って「フェアレディZ 下さい♪」って言うと、新車でZ34が買える幸せ…
もう一方のプリンスのGTカーは和洋折衷なビッグセダンになってしまった分、今でもフェアレディZらしいフェアレディZ
が新車が買えることがとても素晴らしいと思います。
思えば、ワタシのカーキチ(車キチガイ)人生の脇には、いつもフェアレディZがありました。
ガルウイング開けてショットガンをぶっ放す先手必勝のヒーロー戦隊がTVで放映されてた頃は、ワタシもまだ小学生だったかな~…
確か、UHFが映らなくて観れなかった記憶がありますww
でも近所のお兄ちゃんがS130のマンハッタンカラーに乗っていて、そのフェアレディZにとても憧れてました。
マンハッタンカラーのZを見て、家に帰って図鑑を開いて黄色のS130の2by2を見て…と、毎日予習復習を繰り返してましたww
ワタシが本格的にカーキチに目覚めたのはこの作品からでしたね(^^)
単行本の中で特集されてるメカ講座を、乾いたスポンジが水を吸うように知識を吸収した小学校高学年ww
主人公 風見 潤が駆るグレーサーZを見て、一気にハマったのZ31の前期型でした。
よろしくメカドックの作品中ではVG30ETの事を、ウォータージャケットが近いからボアアップ出来ないなどと悪口ばっかり叩かれて、逆にL型マンセーな語り方でしたが、
当時のガキだったワタシにゃ意味が分からず、コミック読みながらo(`ω´*)oオコしてました。
そしてZ31前期に目覚めた後に突然出てきたZ31後期型「Zイズム」♪♪
自動車評論家たちがこぞってVG30DEエンジンを積む300ZRの事をベタ誉めしてましたが、
当時のワタシは、なんでグロス230psのVG30ETよりも、ネット185psのVG30DEの方がスゴいのか、サッパリ分かりませんでした(^^;)
これがオトナの階段なんですねww
そして、後に国産スポーツカー元年と言われた1989年に登場したのがZ32型でしたよね~
ツインターボだから「T」が2つ付いてVG30DETT(^.^)
2シーターと2by2でホイールベースが異なる贅沢な設計に、足まわりは4輪マルチリンク!
当時、中学生だったワタシは「T」の数が多い方が速いんだと思いこんでました(^-^;
…次の型のフェアレディZはVG30DETTTTTかな~…と、暴走チックな妄想を膨らませていましたww
そういや、同じ頃に出たBNR32とどっちが速いのか、よく中学生の時に友達と討論してたなぁ…
ZガンダムとZZガンダムはどっちが強いのか…って論争とほぼ一緒ですけどね(笑)
後に分かった事ですが、280馬力規制ってVG30DETTがキッカケだったんですね。
あの時、役人が馬力戦争を止めてなかったら、今ごろ800馬力のフェアレディZが出てたのかな~…( ^^)
…でも、Z32フェアレディZはクルマ好きの皆さんならご存知の通り、悲運なフェアレディZになってしまいましたね。
デビューした1989年はバブルの絶頂期、
そして泡が弾けて、日産自動車が約2兆円の有利子負債を抱えて、会社自体が崩壊寸前になる1998年も通り越し…
さらにルノーに手を差し伸べてもらって、コストカッターが猛威を振るってた2000年の9月まで丸11年間に渡ってセールスされたZ32フェアレディZ。
その11年間の間、スポーツカーによくある年次改良やマイナーチェンジも乏しく、細々と販売を続けてました(>_< )
その11年の間には日産も軽量•コンパクトなVQ型エンジンも開発し、量産車にも投入されてましたがZ32に積まれることは最後までありませんでしたね(´`)
そして日産はとうとう、1969年から30年以上続いたフェアレディZの歴史を一旦閉じることになります。
しかし、コストカッターと言われながらも日産の積み上げてきた負債の返済に努力してきたカルロス・ゴーン氏が、これからの日産自動車が歩む道を示したリバイバルプランの中に…
「Z(ズィー)カー」の名前を呼んでくれました(o;ω;o)
カルロス・ゴーン氏が日産復活の象徴として、フェアレディZを再び作ってくれる…(涙)
この復活劇の裏にミスターKこと片山豊さんが、カルロス・ゴーン氏と1999年に固く握手を交わしたということは、ワタシは後から知りました(^_^;
ありがとう!ミスターK!!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
どえらい前置きが長くなりましたが、Z33型フェアレディZです(^^)
デビュー当時は2人乗りのエルグランドなんて揶揄されてましたが、V35スカイラインのプラットフォームとエンジンを共有しながら価格を安く設定した所に、
片山豊さんが最初に生み出したS30型と同じコンセプト「高級スポーツカーと同じ性能・デザインでありながら、安く手に入るスポーツカー」をワタシは感じました。
Z33が発売された2002年は、NSX・RX-7・スカイラインGT-R・シルビアといった名だたる国産スポーツカーが相次いで生産を終了し、日本中の国産スポーツカーファンが毎日お通夜状態になっていた時期でした。
そんな空気の中、復活してくれたZ33はあっという間に国産GTスポーツ業界の中心に立ち、
名チューナー達の手に掛かって個性豊かなZ33がいっぱい生まれました(^_^)
2004年の大阪オートメッセで一目惚れしたフェアレディZロードスターです(^^)
…あ、そういえばこの時!
オートメッセのニスモのブースにこんなZ33の特別仕様車がありましたわ(^^ )
ブレンボ製ブレーキのVersion Sをベースに、ロングノーズ&ロングテール化した特別仕様車 Type Eです(^^ )
初代フェアレディZ 240Z-Gのグランドノーズを思わせる、伸びやかなロングノーズとロングテールですが、
車体そのものはVersion Sそのもの。
オーディオレスでしかもダイヤモンドシルバーのみの設定でお値段 650万円www
内容が値段と見合わないこのグレードが出てきた理由……
全日本GT選手権を制覇するために、どうしても前後オーバーハングが必要になったためですね(^^)
ベース車だとオーバーハングがないから、カナードなどの空力パーツが付けれない…
そこで、レースで勝つために必要なロングノーズとロングテールを生産側に要求し、販売度外視な値段で最低限の台数を作りホモロゲーション取得のためだけに生まれたフェアレディZ Type E。
こうして全日本GT選手権を完全制覇することを宿命づけられたZ33フェアレディZは、見事 スープラ・NSXを蹴散らして2004年のシリーズチャンピオンを獲得しました♪
ただし、シーズンを制覇できたのはこの2004年だけでした。
ライバルのトヨタがスープラからSC430にチェンジし、NSXが鈴鹿を1分47秒で回る程の進化を遂げたので、
Z33がGT500クラスで活躍した2007年シーズンまでは、まさしく三つどもえの死闘でした。
2008年シーズンからはR35GT-Rにバトンタッチされ、その後の日産陣営の復活劇はスーパーGTファンならご存知の通り。
2002年から2012年シーズンまで、GTをサーキットやJスポーツで追いかけてた私のwifeは、Z33のかませ犬っぷりが可哀想…って同情してました。
確かに、R35がサーキットに登場してからの日産ファンの熱狂っぷりはスゴかったですもんね(^-^;
ここからはワタシの考えですが…( ^^)
昔からフェアレディZって、戦うクルマじゃないと思うんです。
フェアレディZ=貴婦人だと思います。
レースを彩るマーシャルカーなどは、フェアレディZにピッタリだと思います。
あと、ハイウェイがよく似合うクルマだと思います。
実は以前、ツレのZ33を高速道路で運転したことがあります(^^)
フィットの2倍以上の大排気量で6速マニュアル…
乗り込む前はドキドキでしたけど、いざ高速を流してみると、めちゃくちゃ軽く感じました。
V6エンジンがフロントにぶら下がってる印象もなく、クサビ型のフロントノーズが空気を切り裂いて爆走する感覚を低いドライビングポジションで味わうと…
自然と顔が緩みます(*´∀`)
「あっ…、この瞬間が… フェアレディZだね♪」
個人的な主観を並べるのは本意ではないのですが、フェアレディZは峠でクリップを掴む走りよりも、リラックスして6気筒に火を入れながら公道を流すのが合っている気がします。
(…最速理論じゃないですよww)
…とまぁ、長々と語りましたが、ワタシのZ33フェアレディZが愛が伝わりましたでしょうか?(^-^)
直噴でもなくハイブリッドでもない、電子制御の絡まないとてもコンベンショナルなFRの2シーター。
通勤に使うにはちょっと経済的な問題もありますが、フェアレディZにとても興味があります♬
いつかオーナーになって、Z同士集まって、どこか広い場所でたくさんのZを並べて「Z」って文字を書くのもいいですよね(^_^)
…天国のミスターKに届くように。