喪というわけではありませんが、10日間ほど経ちましたので m(_ _)m
だから何ってわけではありませんが、つらつらと。。。
ご近所の 良い爺様 が先々週に亡くなられました。
亡くなられた当日に私もお見かけしたように思うのですが、突然 夜中に意識を失ったのだそうです。
お医者のコメは 心筋梗塞。 詳しい原因は不明ということですね。
まだまだ お元気そうに見えた70と少し。
翌日の午前に町内会の役員さんから電話をもらった時には、流石に驚きました。
平均寿命は80に至るそうですが、70超えたら
warningが灯ると考えても間違いではなさそう (-_-
町内会。
1つの町内会は 10~20戸ほどで 小さくグループ分けされていて、何かしら人手が必要になった際には、会の役員の他に 同じグループの者がお手伝いの第一候補となる仕来り。
グループ内で手が足りない場合には、お隣のグループにお願いをして手を借りる。
会の中で手が足りない場合には、隣の会にお願いをすることになるのでしょうが、そんな事態は狭いエリア限定な天変地異でも起きない限りは生じないでしょう ・ ・ ・ ・ ・ たぶん。
亡くなられた 良い爺様 は、私と同じグループの方でしたので、町内会の役員さんが私に声をかけてくださいました。
この町に引っ越してきて以来、何件も葬儀には参列させていただきましたが、幸い?なことに別なグループの方ばかりでした。 残念ながらついに 。 。 。
経験者であるリーダー?のもと、初めてお手伝いをさせていただきましたが、想像していたよりもはるかに難儀なものでした。
表現は不適切かもしれませんが、拘束時間は2日間で10時間超。
内容は主に 参列者への対応と 会計ですが、これがなかなか (-_-;
香典帳や領収書を手書き ・ ・ ・ ・ ・ キーボード叩いて印刷しちゃ駄目なのかしら。。。
うっ、達筆で読めない、住所が無い、etc, etc 。
5名では足りないけど10名いれば少し余裕が持てるかなといった感じ。
お手伝いのメンバーは、町内会の数名と、立候補?した故人の親しい知人達。
一段落し、小休止しながら聞いた話では、ほんの20年前までは葬儀屋さんにお願いできる項目が今よりも少なくて、もっと手伝いは忙しかったとのこと。
ある意味、人口が多いエリアであるほど、ご近所と疎遠になるほど葬儀は楽。 たぶん、遺族側も ご近所も楽。 気が楽だったり、諸々が楽。 良し悪しは別として 楽 ・ ・ ・ だと思う。
もしも名古屋時代、お隣に住んでいた一人暮らしの婆様が亡くなったとしたら 私は手伝うことができていただろうか。。。
1日目を乗り切り、2日目の朝。
まだ参列者が集まる前、遺族の部屋から祭壇へと戻された故人の前で手を合わせ
5年前、8月と9月の2ヶ月連続だなんてあまりにも面倒な手伝いを何故に引き受けたのですか
と疑問符を付けて問い、
ありがとうございました
と締めくくる。
立ち去ろうと振り返ると、見知らぬ爺様が立って待っておられた。
頭を下げながら場を譲り、2日目のお手伝いがスタート。
突然だったこともあり、お通夜に参ることができなかった方々からの香典や弔電が告別式でもありましたが、1日目よりは静かに時間が流れました。
霊柩車を見送った後に ( リーダーが ) 会計を閉め、数時間後に遺骨を抱いて戻った喪主に一切をお渡しして手伝いは終了。
繰り上げとなった四十九日法要に参列させていただいた後、斎場を出る。
5年前と同じ斎場なのに、何故か今度は
「
人が一人いなくなってしまった、減ってしまった 」
と実感してしまいました (;_;
5年前の8月。
私は名古屋から ふら~ っと飛行機で飛んできて、わたわたして、ふら~ っと飛んで帰った。
翌月、
再び名古屋から ふら~ っと飛んできて、わたわたわたわたとして、ふら~ っと飛んで帰った。
私はただ、
わたわたしていただけで、ご近所様にどれだけ ( して頂く側からの表現としては ) 面倒なことをして
いただいていたのかを知らずにおりました。
喪主ではなかったからとか、施主ではなかったからというには、年齢からしてあまりに稚拙な自分。
5年経ってようやくそれを知るという ・ ・ ・ ・。
既に他界された方々、今も声をかけてくださる方々、本当にありがとうございます。
来年の町内会役員に指名されてしまった。
爺になら嫌と言えても、30も上の婆様に指名されては嫌とは言えなかった。
それは作戦だったのだろうなぁ。
ご近所様。 幸であれ不幸であれ、来年はどなたも亡くならないでね m(_ _)m
Posted at 2016/12/14 11:09:07 | |
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