いつもの湖畔がある街に、私は数年だけ住んでいたことがある。
あれから数十年 。 。 。
当時に住んでいた家があった場所へ行ってみた。
何も無いことは知っていたが、あらためて確認をしに行ってみた。
舗装されていない、すれ違えるか微妙な道。

土の道を走っていると、ガラガラ鳴くデミオ君のエンジン音が妙に私にはしっくりくる(笑
跡地を見た後で、少し小高い丘に上がって見下ろしてみた。
赤い矢印の先、左の林より 背の低い木に覆われたあたりが跡地。

左の背の高い林は、私が住んでいた時からある林。
赤矢印の先にある木々は、私が引っ越したあとに植えられたのか、勝手に生えて育ってしまったのか知らないが、私が知る頃には存在しなかった木々。
たった数十年で、私の身長の何倍も高い木が育ってしまっている。
たった数十年、されど数十年 (-_-
北海道の田舎だから、
何かがあった場所は放置して、別な空地や 昔に開墾した畑に新しい建物が建つ。
街が少しずつ、横方向にシフトしていく ・ ・ ・ ・ ・ あ~北海道 (=_=;
小さな街だけど、誰かが
住んで護っていてくれるから そこにある。
私の様に 親が転勤族であった者は、子供の頃の記憶は物理的に 途切れ 途切れになってしまう。
毎年の様に転勤する職業もあるのだから、1つ所に数年は住んでいられた我が親の職業は恵まれていた方なのかもしれない。
確実に反動なのだけれど、私は転勤が少ないであろう職業を選んだ。結果、道外 ( 県外 )。
自分が仕事を求めて北海道を出て愛知へ行った様に、子供の頃のどこの街の同級生もやっぱり残る者は極少数。
たとえ道 ( 県 ) は同じでも、今住んでいる街は違うって者が多数派っぽい。
だけど、誰かが護っていてくれている街 ( 土地 ) は変わらずそこにあってくれる。
建物が変わっても、道路が同じ場所にあるだけでも懐かしいし、嬉しい気持ちがわく。
出ようなんて考えたことすら無い人もいるでしょう。
出たいと思っても残る決心をせざるおえなかった人もいたでしょう。
出たいと思って出たけれど、戻らざるおえないと判断して戻った人もいたでしょう。
出たけれど居られなくなって他にあてもなくて戻った人もいるかもしれない。
どうあれ、護っていていれる人達に 私は感謝です m(_ _)m
何年か・何十年かに1度くらいの頻度で、報道で
「 私の意志じゃなく住めなくなった ・ 戻れなくなった ・ 生まれてからずっと住んでいたのに・・・・ 」
という編集をされた映像が流されるのを観て昔は
「 生まれた時から自分の意志じゃなしに引っ越しを繰り返している人が大勢いるのに ・ ・ ・ ・ ・ 」
と正直、ただただ思っていた。
今は少し違う思いも うかぶ様になった。
護る役を引き受けた人、拓く役を引き受けた人。
どちらにしても いずれ いつか どこかで そう決めたのは それぞれに自分。
でも誰もそれを了承してなんていないし、そもそも誰にも了承すら求めてもいない。
さて、今の街でのしがらみは、寂しいけれどあと10年も持ってはくれないであろう。
これから私はどうしたものか ・ ・ ・ ・
って、そんなだから独り者は信用されない、しちゃいけない (=_=;
Posted at 2018/05/29 12:45:00 | |
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本当に独り言 | 日記