全快しないもので、なかなかこの話から離れられないのですが・・・
右足首が痛んで、家の中ですら歩くことがままならなくなっていた1月20日を過ぎた土曜日の朝、メールが届いた。真冬の土曜日の早朝の携帯メール ・ ・ ・ ・ ・
絶対に嬉しいメールではないだろう( ̄_ ̄
身動きできないから携帯電話は近くに置いてあった。 でも、1時間ほど放置。
いよいよこれ以上の放置はヤバイかなと決心をして受信を確認。
こちらかぁ ( ̄□ ̄
神奈川の伯母が亡くなったという知らせだった。
この伯母であり、
そして、
この伯母であります。
私の母上様の姉。
4~6人いた姉妹の末が母上様で、そのすぐ上の姉が、その伯母。
昨年の1月に妹から 「
横浜の伯母さんが、余命3ヶ月って告知された 」 と知らされた。
既に80歳を超えてらしたから特別なことではないと思いつつも、余命宣告をされるくらいだから苦しくて病院に行ったのだろうなと思うと・・・。
おかしな話だけれども、3ヶ月という期限を切られると 「 3ヶ月なんだぁ・・・・ 」 というカウントダウンが自分の中で刻まれた。
流行病での遠慮が無ければ神奈川まで飛ぶところなんだけど・・・。
がしかし、
2ヶ月経ち、3ヶ月経ち、4ヶ月 ・ ・ ・ ・ あれっ? 大丈夫なんじゃないのか (^_^
そのうちに、
「 最後にもう1度だけ生まれ故郷が見たいから北海道へ行くと言ってるから・・・ 」
と従妹 ( 伯母の娘 ) から連絡があり、待ち受けていたが流行病の猛攻がそれを許してはくれず。
6ヶ月経ち、7ヶ月経ち、8ヶ月経ち、9ヶ月経ち、そして10月の末に来道が叶った。
もしかしたらあと1年くらいは大丈夫なのじゃないかしらと思う期待と、でも80を超えてるんだから既にガンも何も関係無しに無理はきてるよなぁ という現実とを抱えたままに年が明けた。
で、
土曜日の朝のメールに戻る m(_ _)m
式の予定は未定との文面に、月めくりのカレンダーを見た ・ ・ ・ 微妙だ。。。
兎に角、できれば行きたくはないと思っていた病院へ月曜日に行く決心はした。
もし病院で治療してもらって痛みが消えなかったら ・ ・ ・ ・ 悩むなぁ・・・。
結局、
鎮痛剤に即効性は無く、楽にはなったのだけれども、まともに歩けるまでにはならず。
千歳空港まではどうにかなる。
杖を1本買えば、空港の駐車場からターミナル内もどうにかなる。
羽田空港に着いてから、空港駅から京急で向かい、
歩く距離を短くするなら蒲田で乗り換えか?
市内の最寄駅からは、普段なら徒歩で大丈夫な距離だけど、坂が多いし人が多いし、杖では無理があるからタクシーかぁ。
タクシー下りてから、伯母宅はエレバーターの無い3階だっけか。
それから 関内 あたりに予約するであろうホテルにチェックインして、今度は式場を往復。
無理だな( ̄▽ ̄
自分が動けなくなってしまうだろう・・・。
その後、式の日程は決まったが、
妹に私の状況を伝えて 香典やら供花やらを私の分も一緒に代参してもらった。
式に参列していた妹から 「 式も一通り終わったよ 」 と電話をもらった。それから数日後、自分の親の時を思い返して、そろそろ少し落ち着いた頃かなということで喪主を務めた従弟に電話して
「 行けなくて ごめんね 」
と。
勝手だけど自分でもようやく終わった気がした。
語弊が生じることを承知で書くと、
余命〇ヶ月 とか
ステージⅣ とかってキーワードを耳にすることが増えた。
ただ、そのキーワードを聴いてから半年以上は皆さん わりと元気に過ごされている。
ガンに関しては、個々人に合う薬が増えているのかなと思える。
60代で亡くなると不幸かといえば微妙。
70代で亡くなると不幸かといえばもっと微妙。
80代で亡くなると不幸かといえばもっともっと微妙。
きっと、年齢ではないのだろうなぁ ( ̄_ ̄
Posted at 2022/02/06 07:47:47 | |
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