
先日のF1イギリスGP,ホームGPで気合の入っていた好調ルイス・ハミルトン選手がスプリント予選でポールポジションを獲ったものの,日曜のレースに向けた予選では同じフェラーリに所属するシャルル・ルクレール選手に敗れて3位となり,レースもそのまま3位で終わりました.
イギリスGP開幕前まではパワーで劣るフェラーリは苦戦すると言われていた(フェラーリ自身もそう思っていた)のに,スプリント予選でのポール獲得は本当に驚いたのですが,その好調が最後まで続かなかったのか? 気になったので調べてみました.
まず,今回のイギリスGPはスプリントフォーマットで行われたため,P1(フリー走行)→スプリント予選→スプリントレース→予選→レースの流れで進みました.F1には「パルクフェルメ」という,部品変更やセッティング変更が出来ない期間があるため,スプリントフォーマットでセッティングを変えられるタイミングは以下の2回だけ.
1回目 ・・・ P1~スプリント予選の間
2回目 ・・・ スプリントレース~予選の間
スプリント予選でポールを獲ったハミルトンからすると,スプリントレース後の2回目の変更タイミングでは何もイジらないのでは?と思いましたが,実際はフロントウイングのフラップを寝かせたのだそうです.
なぜ寝かせたのか?というと,スプリントレースでメルセデスのキミ・アントネッリ選手に抜かれた8周目以降,ついて行く事が出来なかったため(↓).
この原因として,スプリントレース向けのデフセッティングだとオーバーステアが強く,フロントタイヤの負担が大きい状況だったそうです.決勝レースでは,スプリントレースよりもガソリンの搭載量が増え,更にフロントタイヤへの負担が大きくなる(=タイヤの摩耗が厳しくなる)と見たチームは,予選の前にフロントウイングのフラップを寝かせ,前後バランスをリア寄りにする事でオーバーステアを改善する選択をしたそうです.
ちなみに,現在のF1カーにおいては,フロントウイングで発生するダウンフォースの量が全体の約4割を占めるのだそうで(↓),

(SYNSETECH:
現代フォーミュラカーのダウンフォースについて①より)
スプリントレース~予選の間は僅か3時間しかありませんから,大掛かりなセッティング変更は出来ず,フロントウイングのフラップ調整でなんとかしようとするのは,極々当たり前な行動に思えます.
では,続く予選ではどうだったのか?というと,今度はフロントウイングを寝かせ過ぎてしまったらしく,低速コーナーの「Village」で強度のアンダーステアに悩まされます(↓).
これに対処するため,予選でのラストアタックではフロントタイヤの内圧を1psi(0.1キロ)上げたようですが,結果はスプリント予選のタイムより0.082秒遅い,1:28.456で3位に終わりました.
スプリント予選と予選のコンディションは以下の通りで(↓),
スプリント予選 ・・・ 気温:25℃ 路面温度:38℃ 風速:2.2m/s
予選 ・・・ 気温:25℃ 路面温度:38℃ 風速:2.2m/s
完全に同じコンディションであった事から,タイムが伸びなかった原因はセッティング変更に起因している事は明らかです.「GP Tempo」で両者のタイム推移を見比べてみると(↓),
赤がスプリント予選のベスト,白が予選のベストとなるのですが,予選(白)では低速コーナーの立ち上がりで遅れており,ダウンフォースを削った割にはその後のストレートで車速が伸び悩んでいます.ここから察するに,コーナーの立ち上がりでクルマが曲がらず舵角が残ってしまい,立ち上がりの加速が鈍って終端速度が伸びなかったのだと思われます.この時点でちょっとセッティングを外した感があり,決勝は厳しい戦いとなりそうな雰囲気が漂っています・・・.
明けて日曜のレースはどうだったのか?というと,スタートでアントネッリをかわし,ルクレールに続く2位のポジションへと上がりますが(↓),
やはりアンダーステアに悩まされ,首位ルクレールのペースについていく事が出来ません(↓).

(縦軸はタイムなので,上に行くほど遅い事を示しています)
7周目にはフロントタイヤにグレイニング(熱が入らない事によってタイヤ表面が削れる現象)が出始め,これでフロントタイヤの負荷不足=ダウンフォースを減らし過ぎた事に気づいたようです.なお,この際チーム側からは「アンダーステアを減らすために(ステアリングの)左のトグル(↓)を使って」という指示が出ています.
このトグルは「モード」を変更するためのもので,以下の種類があるそうです(↓).

(ChronoGP:
IL VOLANTE DELLA SF-26 PROGETTATO DA HAMILTONより)
CHR ・・・ Charge(充電)
TRQ ・・・ Torque(エンジントルク)
KC ・・・ Kinetic Charge(回生)
FM ・・・ Fuel Management(燃料調整)
WG ・・・ Waste Gate(ウェストゲート:ターボのアクチュエータ)
EXT ・・・ Extraction(エンジン+モーターの併用)
FC ・・・ Fuel Consumption(燃料消費)
・・・等々.これを何から何に変えたのか?までは分かりませんでしたが,グレイニング対策と考えると,コーナー立ち上がりでのパワーの出し方(デプロイメント)を抑えたのかな?
この変更の結果,0.3秒程度タイムが落ちてしまい(↓),
アントネッリに抜かれ(↓),
ハミルトンは「このデプロイメントは良くない!」と不満を述べます.これに対しチーム側は,「The Loopで1速を使うのを止めろ」「Brooklandsは立ち上がり重視で」という指示を出しています(↓).
いずれも低速コーナーなので,恐らくリアタイヤを守る(ホイルスピンによる過熱を避ける)意図なんでしょうね.これで確かに0.2秒程度タイムは回復しています(↓).
しかし,その後14周目にチーム側から「モードTS」の指示が出ます.指示後のラップを比較してみると(↓),
赤が指示前,白が指示後なのですが,「Hanger Straight」で8速を使わず,エンジン回転数を高く保ったまま,車速が伸びていないのが読み取れます.ここから察するにモーターのアシストがない状態のようですから,「モードTS」というのは,モーター or バッテリーの温度(Temperature)を抑える保護(Safe)モードなんでしょうね.
保護モードなので当然ペースは落ち,ハミルトンは再びアンダーステアを訴えますが,チーム側はエンジンブレーキの設定変更で対処するよう指示して若干持ち直します(↓).
その後,21周目にハミルトンが「クレイジーなほどのアンダーステアだ!」と訴えた瞬間,チーム側はピットインを指示.ハミルトンは「まだタイヤはもつ」と不満げでしたが,翌22周目にピットインし,この際にフロントウイングのフラップを上げています(↓).
聞くところによると,ここで「5クリック」上げたそうです.
現在のF1のフロントウイングの角度調整はネジ式になっていて(↓),
調整用の穴にツールを差し込み,ネジを回してフラップの角度を調整しています.このネジが回転する際,カチッ!カチッ!といったクリック感があるため,これを5回回す事を「5クリック」と呼ぶのだそうです.1クリックでフラップの角度が0.5~1°変わるそうで,後のベルギーGPでフェラーリがアンセーフリリースのペナルティを受けた時のFIAのドキュメントを見ると(↓),
「フロントフラップを0.6°アジャストしようとした」という記述があるので,恐らくフェラーリは1クリック=0.6°なんでしょうね.
1クリック=0.6°だとすると,5クリックで3°.フラップの最大角度は10°前後と言われているので,「5クリック」と言ったら「全体の1/3近く上げた」事になるみたいです.これはF1ではなくチャンプカーのデータになりますが(↓),

(Aerodynamic Effects of Indy Car Componentsより)
フロントウイングのフラップを3°上げると,5%くらいダウンフォースが増える計算になるそうで,先述のフロントウイングで発生するダウンフォース量が全体の約4割という情報を踏まえると,40 × 1.05= 42% で「前後バランスを2%フロント寄りにした」と考えると結構大きな変化となります.それだけアンダーステアに苦しんでいたという事なんでしょうね.
さて,このピットインでタイヤのコンパウンドはミディアム(C2)→ハード(C1)に変わり(↓),
摩耗に対して余裕が出来たため,チームはデフの設定変更も指示します.これでタイヤは違えど,スプリントレースに近い状態となり,ハミルトンは首位ルクレールを上回るペースで周回(↓).
ピットストップの間に抜かれたジョージ・ラッセル選手と4位の座を賭けて争います(↓).
その後,ラッセルがタイヤのトラブルでピットに入ると,3位のマックス・フェルスタッペン選手に追いつき,38周目にこれをパス(↓).
42周目に2位のアントネッリがブレーキダクトのトラブルで後退し,ハミルトンは2位に浮上.そこから48周目にフェルスタッペンがコースアウトし,セーフティカー導入→ピットイン→3位後退→そのままの順位でゴールとなる訳なのですが,2位に上がって以降のペースはトップのルクレールを上回るペースでした(↓).
つまり,ハードでのバランス(フラップを上げた状態)は問題なかったという事で,スプリントレース~予選の間で行った「フロントウイングのフラップを下げる」というオーバーステア対策が失敗だったという事になります.たった「5クリック(≒5°)」の差で,これだけペースが変わるという事なんですから,F1カーのセッティングって本当に難しいんでしょうね・・・.
以上,F1におけるセッティングの難しさでした.
今回,初めて走行後のドライバーのコメント,無線でのやりとり,テレメトリデータを追い掛けながら情報を整理してみたのですが,これだけのドラマが裏側であるのですね.中継を見ているだけだと単に「○○が前に行った~」「△△が後ろに下がった~」しか分からないのですが,前に出れた理由,後に下がった理由が分かると数倍面白いですね.
モータースポーツの見せ方において,情報(解説)って大事なんだなぁ~と改めて思いました.