1年生のある日、突然 教室に応援部の3年生数人が険悪な表情でやって来た。
用件は
『このクラスから応援部に入る男子を出せ!』
皆が嫌がる応援部・・・おそらく人数が足りないのであろう事は容易に想像がつく。
そして先輩が言う以上、これは強制である。
中学時代に鳴らした猛者は我がクラスにも数多く居たが、相手は3年で応援部だ・・・クラスの皆が尻込みしたのだが、それも無理は無い。
当然 既に他所に入部している者は入れないと言う結果に成り、必然的に数少ない帰宅部の連中(笑)が候補と言う事になった。
僕は高校に入ってから、放課後 社会人に混じってある習い事をしていたので、学校のどの部にも所属していなかった。
そこで僕は特に断る理由も無いので引き受けた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
放課後の屋上。
僕ら下級生は一列に並び 手を後ろに組んで、発声練習をしていた。
周囲には竹刀を持った3年が眼を光らせている。
M田副部長が僕の前に来て、大声を張り上げている僕の腹筋の辺りを手で触れて
『まだ・・・まだまだ』
ある程度までは僕だけに告げるのだが、それでも声が足りないと終いには
『こいつ、声が出てないぞ!!』
と、他の皆に分かる様に言うのだ。これは恥ずかしい。
「押忍!!」
(これでも精一杯出してるつもりなんですけど・・・)
『もっと出せ!もっと!!』
「押忍!」
(だめ、これ以上は・・・)
ドス!!声を振り絞る僕の「みぞおち」にパンチが・・・しかし声を出しているので決して痛くはない。例え軽いパンチでも急所である「みぞおち」 に不用意に喰らえば、その場でうずくまってしまうだろう。
つまりM田副部長もその辺は充分に心得ていて、つまりこれは決して虐めでも罰でも無いのだ。
程なく声が潰れた。それから回復と潰しを繰り返して喉が鍛えられることを知った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある放課後、学校から1kmほど離れた公園で練習した。常時では無かったが時折この公園まで練習しに来ていたのを覚えているが、理由はわからない。
練習を終えて皆が学校に向けて帰り始めた時、たまたま僕は自転車だったのだが3年女子の畑○先輩に声を掛けられた。
『ベイカー君、学校まで乗せて行って』
畑○先輩は見た目ヤンキーだが 愛想の良い笑顔が可愛い人、部にいつも一緒に居た訳ではなかったが 皆と学校近くの大衆食堂に何度か行った記憶もある。
声を掛けられ、彼女が3年である事が一瞬脳裏をよぎって、躊躇したのだが
「はい、イイですよ。学校までお送りします。」
と答えた。
畑○先輩は後ろで横乗りして、片腕を僕のお腹に廻して胸が僕の背中に。
(ちょっと、ヤバいかも・汗)
この場合のヤバさとは、いくら彼女からの要請だとは言え他の先輩方の視線だ。
『あ!・・・お前』
案の定、M部長が僕らを見つけ、一瞬は睨まれたけれども 彼はスグに表情を戻して
『ちっ、まぁいいか』
と呟いた。
M部長はパンチパーマ、痩せてて色白で声を詰まらせて大笑いする怖くて楽しい人。
畑○先輩に片思いだったのか既に恋仲だったのか、今となってはもう分からないが 僕は仮にM部長が怒っても、畑○先輩に「お送りします」と言った手前もあり 「降りて下さい」という訳にも行かず非常に焦ったので、この『まぁ、いいか』発言には正直ホッとしたのを覚えている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3年生が卒業を目前に控えた頃。
時折M田副部長は、自慢の黄色い箱スカ4枚で家に迎えに来てくれた。
一枚テールではなかったので初期型では無いが、47年のHT顔でも無かったと記憶する。
記憶にあるのはいつも助手席にM部長、他に3年の誰か(失念)。
僕は後席から身を乗り出して、運転するM田副部長に
「何か弄ってるんっすか?」
と尋ねるとM田副部長は冗談で
『ウェーバー3連!』
と答えて笑った。
M部長はクルマにはあまり関心が無かったようだったが、僕とオーナーであるM田副部長だけは このGC10 がシングルキャブの4速ミッションである事を充分過ぎるほど分かっていた(笑
M田副部長は、市内でも当時は新興住宅街と言われる分譲地に住んでいて、いかにも中流サラリーマン家庭といった風情。
M部長の家は、一部にまだバラックの見受けられた処にあり、何度も遊びに行ったがお母さんはいつも笑顔で暖かく僕らを迎えてくれた。
彼は噂によれば他校の連中からも恐れられた存在だったらしいが、なぜかM田副部長と共に僕を可愛がってくれた。
彼の家の近くには小さな川が流れていた。
数年前に付近を通ってみたら河川敷はきれいな色付きのコンクリートブロックが敷き詰められ、周囲にあった筈のあばら家は見当たらなかった・・・M部長の家も。
およそ、校則・規則などと言う物が通用しない両先輩・・・きっと学校や世間は良い評価をしてなかったであろう事は想像に難くない。が、しかし
無法はしても非道はせず
そんな言葉を感じさせる彼らと青春時代を共に過せたのは、今も幸せだったと思っている。
ブログ一覧 |
回顧 | その他
Posted at
2013/09/04 00:46:25