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1ベイカー11のブログ一覧

2014年12月24日 イイね!

KPY30とクリスマス

KPY30とクリスマスScene 1

まだ結婚前の頃、仕事を終えた後 職場の同僚/先輩/後輩が混ざった数名でよく焼肉屋とかゲーセンに行ったものだ。

あるクリスマス前、いつもの様に市内のゲーセンで遊んだ。
その頃良くプレイしたのは6~7名が一度に並んで対戦できる「ファイナル・ラップ」。

今思うと全くお粗末なレースゲームだったが、プレイヤーたちを熱くさせ 時には爆笑の渦に巻き込んだ。
マシンの色分けでそれがダレなのか分かるので、妨害などされた場合には

「○○の野郎、潰す!!!」
とか
「こら!△△、覚えとけや、ボケぇ!!」

なんて(笑



充分遊んで、帰ろうと愛機 KPY30 に乗り込んだ俺はゲームのノリ(?)で、ハンドルを左にフルロックさせたままDレンジでスロットルを大きく開けた。

(ギャァ~!!)派手なスキール音

何周か回る内に、強アンダーのせいだろうか どんどん円周は膨らんで行き、空転したリヤ左側タイヤはもうもうと白煙を上げ始める。

周囲に居た他の客たちは何と思ったか想像も付く。つまり

(アホな奴)

しかし回り始めてしまったものは止められない。

駐車場に丸いブラックマークをつけて、適当な処で切り上げ、家路につく・・・

Scene 2

確かクリスマスかイヴが土曜日だったはず、今の様に土曜日が休みの会社は少なかった。
で、仕事を終えて当時付き合っていた彼女と落ち合う。
当時はケーキはケーキ屋で が普通。計画通り、彼女は知り合いの処で頼んだクリスマス・ケーキを持って来ていた。

金沢に到着、しかしクリスマスor イヴの夜8時過ぎでは どこも『満室』状態。
焦りながらも数件を回り、やっと『空室』の看板を見つけた。

(早くしないと部屋が無くなってしまう!!)

駐車場に車を止め、急いでロビーに向かって走り出したその時

ケーキの箱にテープで留めてあった筈のイチゴが、ミサイルの如く飛び出した(笑


その夜はイチゴなしのケーキを二人で・・・いや、イチゴが無事にケーキの上に乗っていたとしても4号だか5号だか あんな大きな物を二人ではとても食べ切れなかったはずだ。


その年の瀬までにリヤから(コツコツ・・・・・」と言う異音に気付き、KPY30は日産へ。
サービスフロントから電話

『ベイカーさん、異音の件ですけど ・・・ホイールスピンさせませんでした?』

「うん?いや、まぁ。そのぉ~・・・・・」

『デフの左側のベアリング、焼けちゃってて もうダメです。かなり極端に空転させないとこうは成りません。』

「どうすれば?」

『修理するより、リンク品か中古に交換した方が安くて速いですけど。』

「お任せします。」

しかし部品の手配やら作業やらで 既に年内の完成は無理。
明けた正月デートは代車のC32ローレルセダン CA18型エンジン搭載の低グレード車。

それを見るなり彼女は言った・・・

『ぼろクソ・ローレル!!』

そして、俺はのちのちまで彼女に

『あの時のアタシのイチゴ』

と言われ続けたのだった。








Posted at 2014/12/25 00:26:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 回顧 | 日記
2014年10月09日 イイね!

1980年冬/自動車学校

1980年冬/自動車学校高校3年の秋・・・誕生日を過ぎて、即 自動車学校へ入校した僕は集中的に教習を受け、教習課程をスムーズに消化して行きました。
教習車の多くは330セドリック、スタンダードのコラムMT、ベンチシートと言う今ならマニア垂涎の的に成りそうな仕様。
そして数十台の内の3台程がS10#系のクラウンでした。このクラウンの中の一台は

『恐怖の○号車』

として、皆から避けられていました。
今思い起こすとハンドルの遊びが酷く(リサーキュレーティング・ボール式の昔の車には良く見られましたね・笑)、全体的にバタついていて何か運転し辛い印象だったのを覚えています。

第三段階の実習の最後「見極め」で、教官に

『ゼブラゾーンを踏んだ』

とイチャモンを付けられ、余分な教習を受けさせられた以外はストレート。

巷間云われているのは

『自信過剰になるのを防ぐ為、よほど完璧でない限り 3もしくは4段階のどこかでわざと落とす』

と言う事。

さて・・・

自動車学校、それは運転免許を取得する為に交通法規や運転技術を学びに行く所・・・同時に複数の高校の多くの生徒が集まる所でもあります。
当然、トラブルは避け得ません(笑)。ある日駐車場に黒山の人だかり・・・

幼なじみで同じ学校だったH君、何かのトラブルで他校の誰かと自動車学校の駐車場でタイマン勝負のようです。

ひょろりと痩せたH君ですが、相手に見舞ったハイキックは首の辺りで逆に手で掴まれてしまいました。そのまま まさに『揚げ足』を取られそうになった軸足を華麗なフットワークで操り、難を逃れました。
結果、H君が反撃し勝ったのですが H君の父は生業を持っていたものの所謂 極道に近く、故に相手がその事を知ってか知らずか 僕としては

(拙いヤツを相手にしちゃって)

と思いました。ま、彼が負けたのは不幸中の幸いだったと言えましょう。

いつごろでしたか・・・お互いが運転免許を取得したあと、H君と街でバッタリ出会った事があります。
僕は通りを徒歩で・・・路地から出て来て一旦停止したボロい510ブルの4ドアにH君が。

「お~!!久しぶり!!」

なんて。

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先に免許を取ったクラスメイト達が僕を迎えに来てくれたり・・・
夕暮れ時の自動車学校はバイクやクルマが集まり排気音・吸気音・ステレオサウンドが入り乱れる一種独特の雰囲気が漂う場所だったのです。

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卒業試験=卒験。
1月の大雪の朝、卒験に臨みました。
コースは交通量もある狭い道、しかも早朝ゆえ除雪されていない凸凹で最悪のコンディション。

助手席の教官以外に3人、運転する受験者と次の受験者2人は後席に。
僕の前のヤツは、緊張してカチカチになっているのが良く分かりました。
対向車が来て、路肩に駐車している車の後方で停車すべきなのに 彼は判断を誤り反対車線に出てしまったのです。
もちろん事故には成りませんでしたが、コレでアウト。
無理もありません・・・路上に出て間もない「ひよっこ」がただでさえ緊張しているのに、雪で凸凹の路面をちゃんと走らせるのが精一杯。
しかし対向車さえ無ければ、彼は受かっていたかも知れません。

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ある日曜日、僕が運転免許を取得した後、未取得の友人I君をギャランに乗せて別の自動車学校へ行きました。
そこは日曜日に限り教習コースを無料開放していたのです。
今でもやっているんだろうか?そんな事。

免許保持者が横に乗ると言う条件付だったと思います。そして、手続きらしい事をした覚えもありません。

まず僕がコースを運転しましたが、調子に乗って爆走(笑)





キキ~!!!

過大なロール、そして 細いバイアスタイヤは簡単に悲鳴をあげます。
I君は興奮して

『俺にもヤラせてくれ~!』

なんて。

他にも何組かの一般者(車)がいましたが、よくも通報されなかったな と。

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ついでにもう一つ『自動車学校』の思い出を

学校側は合格率を上げる為に必死で生徒に追い込みを掛けます。
卒験のあと、最後に免許センターで受ける学科試験の為の補習授業での事。

何気に隣の席の女子の回答を見ると、間違っている。僕は小声で

「それ違う。正解は○(×)やろ。△が□だから正解は・・・」

答え合わせの時に、いくつかの問題で僕の指摘が正しかった事が判明しました。

授業後、僕は彼女と何かしゃべりましたが、それは試験の事だった筈です。


その数日後、クラスの女子Y田から言われました。

『ベイカー君、この前 車校の補習授業で隣のコと話したやろ?』

「ん?ダレ?」

正直僕は忘れていましたが

『あのコ、ベイカー君と付き合いたいって言ってるよ。』

「・・・」(確かにしゃべったけど、どんなコだったっけ?)

全く意識していませんでしたが、決して悪い印象ではありませんでした。
どうやらY田の小中学時代の友達のようですが、補習授業の時 僕は私服だったのに、短時間で良く調べられたモンです。

僕にはM江が居ましたし、春には地元を離れる事が決まっていましたから・・・でもハッキリ返事もせず。
また数日後に言われました

『ど~すんの?あのコの事!』

「う~ん」(ハッキリ断れよっバカ!優柔不断!^^ いや それにしても、Y田はM江の事知ってるんだろうか?)

M江が手繰った糸が、僕の学校の女子の誰かに当たった事は間違いありませんが、それが誰なのか未だに知らないのです。





Posted at 2014/10/10 01:43:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2014年09月10日 イイね!

「本田」と言われた男

「本田」と言われた男俺は小学1年生の途中で転校し、4年生の途中でまた元の学校に戻った。

その転校した3~4年生の頃だったと思う、駄菓子屋で買ったおもちゃのサングラスをかけ校庭を自転車で走っていた、力いっぱい息の続く限りペダルを漕ぐ。

いつも自転車に乗ると飛ばしてしまう


と言うか頭の中では それはいつも自転車ではなくクルマだった。。。そう、クルマを操縦していると言う妄想。
子供向けのル・マンを題材にした小説『死の24時間レース』や、スクリーンの中でフリーウェイを疾走するアメリカ車が頭から離れない。

ご機嫌だった・・・夕暮れ時だったが近くの友人宅に向かうべく猛スピードのまま給食室の方へ向かった・・・ご機嫌だった、サングラスをかけている自分に酔っていた。
その時の妄想は、カン高いエンジン音を響かせて爆走するポルシェ・・・

(オレはマックィーンだ!!)



しかし俺には、給食室の出入り口付近に張られていた細い紐が眼に入らなかった。





紐が眉間の辺りを直撃、吹っ飛ぶサングラス。
一瞬何が起きたのかさっぱり分からなかったが、激痛を堪え立ち上がった時 全てを理解した。
その夜は父や兄に散々からかわれて不貞腐れてしまった。
それにしても紐の位置が喉でなくて良かった。



中学生の頃・・・忘れもしない2代目シルビアの展示会に友人と行ったあと、友人と別れて一人になった俺は例のごとく「アクセル全開」で爆走、足羽川に掛かる郊外のO橋は当時交通量も多くなく、やはりご機嫌でぶっ飛ばしていた。
橋を渡り切って「全開」のまま下り坂へ・・・当然だが、今度は脚がペダルに追いつかないほどの速度が出始めた

(最高速かも!?)

と思った刹那、強烈なシミー現象(笑)に襲われ制御不能に!
転倒し何回転も転げ回った。それはまるでNASCARの大クラッシュを見るかの如きであったろう。
手も足も血だらけ・砂だらけ。

高校生の頃、友人を後ろに乗せる。やはり「アクセル全開」のクセは直らない。

『何をそんなに急ぐ?』

しかし、答えられない俺。

福井城址のお堀を中心とした界隈は、学校や役所やオフィス街に近い為 歩行者も多い。
そんな所を後ろに友人を乗せて突っ走るのだ。
飛ばす目的も理由も無い・・有るのは妄想のみ。

ある時は
茶色いテンペストであり
ある時は
白いギャラクシーであり
ある時は
ブルーのLTDであり
またある時は
白黒のモナコであり
・・・



何人もの歩行者に接触しながらも、決してスピードを緩めない。
後ろの友人は接触する度に

『すみません!』
『ごめんなさい!』

と謝るのだが、あまりのスピードにその声が接触した歩行者に届いているとは思えない。





そんな高校時代のある夜の事、俺たち数人は足羽山へ上がって遊び 俺は一人を後ろに乗せて山を下りた。
足羽山には、継体天皇像のある場所を挟んで登りと下りの一方通行路がある。
登りの方は勾配は緩いがヘアピンカーブの連続する道、下りの方はヘアピンこそ無いが急坂でカーブが連続し『自転車で下りるな』の看板があった。



最初、両ブレーキレバーをしっかり握っていたのだが、標高100mほどの山を下りるのだ・・平地までそれなりの距離がある。当然徐々に速度が増していった。

半分くらい下りた頃だったろうか、二人乗りの為 カーブではタイヤが潰れ気味になり、リムと路面が(ガリ!ガリ!)と音を立てて接触しているのが分かった。

この時点で既に安全に止まれる速度ではなかったのだ。

しかし俺は何を思ったか、握っていたブレーキレバーを開放した・・・

ばひゅ~ん・・・素晴らしい加速!!!!!「ナイトロ」の加速とは きっとこんな感じだろう!!!!!

直後、マシンはコントロールを失い・・・



しばらくの間、全身に激痛が走って立ち上がれなかったが、坂の下の方・進行方向を見ると数十㍍先で友人が膝を抱えたまま動かない。

俺はやっとの事で立ち上がったが、自分の足はズボンが破れており膝の肉がえぐられていた。

(肉って白いんだ。)

とこの時初めて知った。
ビッコを引きながら彼の方へ下りていったが、なぜか笑いが込み上げて来て自分でも不思議だった。
激痛に顔が歪んでいるはずなのに、なぜか笑ってしまうのだった。
そしてそれは、ジェットコースターに乗ると笑いが止まらなくなる あの感覚に似ていた。

(これが本当の泣き笑いだ。)

彼も相当な怪我をしていたが、どちらも頭を打っては居なかったし転倒時に崖下へ転落しなかったのも幸いだったと思われる。
結果、大事には至らなかったが 彼は今でも俺を恨んでいるに違いない。




皆には

『ベイカー君が2輪の免許取ってたら、早い段階で死んでたやろねぇ』
『普通の男なのに、自転車に乗ると・・・』

・・・と。

そう、俺は「本田」と言われた男さ。











Posted at 2014/09/11 00:40:15 | コメント(4) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2014年09月05日 イイね!

198X年/二重人格

198X年/二重人格198X年、僕が地元に帰って来た二十歳代後半の頃、福井一番の繁華街、片町・・・。

同じ中学だったS君の「つながり」で仲良しになった I君と○島君の3人で飲みに出かけた。




飲み屋をハシゴ・・・我ら3人は、言い換えれば飲んで気が大きくなっている3バカトリオ(笑

もう何件目だったのかも覚えていないが、前から来る男 3?4人?(忘却



すれ違いざまに面を切った I君が相手様御一行に

『なんや!?』

と一言。 ・・・(中学生か?・笑)

I君は不動産屋の社長の御曹司、いわゆるボンボンだったが どんな場面でも他人に細やかな気遣いの出来る繊細な男だった。
僕が都会から帰った後、アパートを彼に紹介してもらっている。

色白で目鼻立ちのハッキリした美男子で、あの映画『MAD MAX』に登場したババ・ザネッテイに何処と無く似ていたので、皆は良く

「ババ、おめぇ行って引っ張って来いや!」
とか
「ナイトライダーとは大違いだぁ!」
とか
「何故、一気に殺らねぇ?」

なんて、セリフを言ってからかっていたのです^^










またある夜、僕がセリカ1800XTに乗っていた頃です、コンビニ(酒屋?)でI君と偶然会いました。
I君は思いっきり酒臭く顔が真っ赤・・・僕は

「お前、飲んでるやろ?マジやばいぞ!それ」

と、指摘したんですが彼は

『え?ホント?・・・どうしよう!』

なんて、うろたえた様子でしたが、家も近かったせいか それ程深刻でもない様子。

(どうしよう!じゃないだろ?やれやれ、この男は全く・・・)

数年後の深夜、市内の国道で検問を突破して中央分離帯に激突、怪我は無かったが・・・。



さて

そんな I君が面を切った 次の瞬間、僕の眼に飛び込んで来たのは
○島君が相手の一人に一撃を加え、相手が停めてあった数台の自転車の列に叩き付けられる瞬間でした(いや、正確には一撃を加えた瞬間は見えなかったが)。

相手の彼が、横倒しになった数台の自転車の上で

(ワタシはダレ?ココはドコ?)

みたいな表情で白目を剥いていたのが、今でも思い出されます。
本当に止める間もないほどの早業、彼は格闘技をやっていたのです。僕も、そして原因を作ったI君も

(あ~、やっちゃった!)

と思って、一瞬呆然としたのですが 直ぐ(ココに居ちゃマズい)と悟って立ち去りました。



○島君も、しらふだと非常に温厚で物腰柔らかく、数年前に仕事上で偶然再会しましたが

僕としては

(この二重人格者っ)・笑

という思いが消えないのです。




かく言う僕は「亀有の本田」と言われてましたが(笑

Posted at 2014/09/05 23:58:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2014年07月27日 イイね!

198X年 鉄板焼き「K」~

198X年 鉄板焼き「K」~俺が二十歳代前半の頃、大都市圏の会社で働き寮生活を送っていた頃だ。

社員寮から数十㍍離れた所に「K」(日本人の苗字、ひらがな2文字)という鉄板焼きの店があった。
昼食どきに店が開いていたのかは定かではない。時折、先輩方に連れられて行くのは夜だったから・・・。

6~7名座れるL字型のカウンターに加えて、テーブル席(座敷だったのかも)が2つ3つ。
メニューは鉄板で焼く豚生姜焼きとか、野菜焼き、えのきバターのようなもの、そしてお好み焼き・・・カウンターの奥の棚には日本酒や焼酎のボトルが並んでいる。
主人は40~50代の色の黒いガッシリとした体形のルー・大柴に似た男、そして奥さんは女優の篠ひろ子に似たスレンダーな美人。

鉄板焼きとビールは美味かったが、俺はこの店に来るのが苦痛だった。
なぜならこの夫婦を見るのが辛かったからだ。
俺の見たところ、奥さんが何か特別失敗をしたと言う訳でもないのだが、旦那は段取りやその他仕事に関して、事あるごとに奥さんを口汚く罵り、罵詈雑言を浴びせかける。

『何やってる!バカ!』
『早くしろ!』

これは見ていて辛くなる。そして客商売、店としては失格であろう。

その間、奥さんは反論する訳でもなく じっと耐えて手を動かしている。
同席していた先輩方や他の客は それをどう思っていたのか知らないが、俺はそんな奥さんに注視し、屈辱に耐えている表情が良く判った。

(こんなきれいな奥さんを、何故もっと大事にしてやれないのか。そんなに嫌なら離婚すれば良いのに・・・。)

どう見ても良くない夫婦仲、やらねばならない自営業、生活の為、子供の為・・・きっと大人の事情があったんだろうけど、当時の俺には想像もつかなかったし、何かアクションを起こした訳でもなかったが、心の中ではいつも奥さんの味方だった。

その後、鉄板焼き「K」とルー・大柴/篠 ひろ子夫婦(笑)がどうなったか知らない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


同じ頃、社員寮近くの歩道橋の下辺りに「どさん子ラーメン」があった。
赤地に白で「どさん子」と書かれた看板は他所でも見掛けた事があるが、チェーン店なのかどうか今もって知らない。

俺はよく深夜に寮を抜け出して、この店でラーメンを食った。
ここのはフライパンで焼いたトロトロのチャーシューをラーメンに乗せて来るのだが、コレが絶品に旨かった。

店はカウンター席しかなかったと思うが、この店を深夜に一人で切り盛りする中年男。
・ ・デブで長髪、めがねを掛けている。客との会話・受け答えもツンケンしていて、いつも何か世間に対して鬱積した思いがある様な態度で嫌々仕事してる。

俺の印象に残っているのは、ムッとした表情で強火のコンロに掛かった大きな中華鍋を慌しく振る姿だ。

(いったい何がそんなに気に食わないんだろ?イヤなら辞めてしまえばいいのに。)

長時間労働(未確認・笑)か、低賃金か(未確認・笑)、本部との対立か(未確認・笑)。
孤独・社会への不満・・とにかくそんな事を感じさせるに充分な男だった。



ある日の昼下がり、たまたま寮の前に居た俺の眼の前を黒い330セダン・ディーゼルが黒煙を吐きながら猛スピードで走り去っていった。
運転していたのは紛れも無くあの「どさん子」の店長。



狭い路地を非常識ともいえるスピードで走る・・・俺にはその彼の精神状態が、厨房で中華鍋を握っている時と同じに見えた。
330ディーゼルと言えばあの知る人ぞ知るSD22エンジン搭載車だ。踏んでも踏んでも走らない(笑)、それに加えてディーゼル特有の音と振動。
彼は自分の車にも、ひとかけらの愛情も持っていないように思えた。それどころか・・

(どうせオレのクルマはこんなクズだ!)

・・みたいな思いを抱いていたのが想像に難くない。そして社会に対する不満が彼に必要以上にアクセルペダルを踏ませている。



ひとつ間違えば、彼の精神は開放されるであろう。すなわち彼が何かのキッカケで「キレ」てしまったら・・・。

俺は彼の名前も経歴も現状も全く知らなかったけれど・・・少なくとも深夜のラーメン屋で客として接触があった訳で。

(みな爆弾を抱えて生きてる。)

そう思った。
孤独・・・きっと彼は孤独だったに違いない。そうでなければ、つまり愚痴や不満を聞いてくれる家族や友人、恋人があれば 普通に冗談の一つでもカマして生きて行くことが出来たはずだ。
大きな街、誰も他人を気にしない。いや彼にだって仲間との楽しく生き生きとした時間があったはずだ。
彼が群れと「はぐれた」理由も想像できないけれども、彼は今でも旨いチャーシューを焼いてくれるんだろうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

俺が地元に帰って来てしばらくした頃、ボロい一軒家を借りて一人暮らしをしていたのだが、その近くの散髪屋、40歳代前半と思しき夫婦(小学校高学年くらいの子供がいた。)が商売をしていた。

ご主人は気さくな人で(まぁ、床屋なんていうものは無愛想では商売成り立たないんだろうけど)、スキーや車の話で盛り上がったものだった。

俺はある時、流れていたTVのニュース(何だったのかは失念)にご主人と奥さんが反応し一瞬目を合わせ、かすかな笑みを浮かべて 二人にしか判らないコンタクトをとっていたのを見逃さなかった。

俺は

(ああ、きっとこの夫婦は幸せなんだろうなぁ)

と、感じた記憶がある。

夫婦でも恋人でも、こんな二人だけのささやかな秘密を持ち続けたいものだ・・・間違っても、鉄板焼き「K」のような夫婦には成りたくない。
Posted at 2014/07/27 03:16:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | 回顧 | 暮らし/家族

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