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1ベイカー11のブログ一覧

2014年07月18日 イイね!

197X年/C10スカイラインから

197X年/C10スカイラインからプリンス党だったS50系スカイラインを前後期と乗り継いだあと、日産と合併後モデルチェンジした箱スカ=C10系が我が家にやって来ました。

その後、スカイラインは俗に言うケンメリ=C110系にモデルチェンジする訳ですが、展示会で実車を見た父は

『あんな後方視界の悪い車はアカン!』

と、言ってC110を酷評・・・買い換えずにC10の1500セダンに乗り続けたのです。
ケンメリの後方視界と言っても2HTならともかく、4ドアセダンの話ですからねぇ(汗
何かよほど父はケンメリが気に喰わなかったんでしょう、今となっては分かりませんが。

後年の僕の運転経験から言えば、C110系には快適性と引き換えにC10系の持つ「しっかり感」と言うかトータルでのバランスの良さみたいなモノが失われていた様に思えるんです。
全体的に「ヤワく」なってしまった みたいな。
エンジン。。。GTの場合、同じL20でも吹け上がりなどC10の方がずっと鋭かった記憶があります。しかしG型系エンジンの載った4気筒C110前期型のフィーリングはC10と変わらぬ印象でした。
それよりもクルマ全体の感じが(表現しにくいですが)、何か「カチッ」っとしてないと言うか「何かが抜けてる」と言うか・・・でもC110は爆発的に売れたんですよね~。

根拠はありませんが、旧レオーネが新レオーネになった時、あるいはレオーネがレガシィになった時、それぞれの旧オーナーの何割かはスバルを離れて行った・・なんて事があったんじゃないでしょうか。

Scene 1

さて、そんな1970年代初め頃、多分僕が小学校高学年だったと思うんですが 運転する父の膝の上に乗っけてもらってハンドルだけを握らせてもらった事が良くありました。
今考えると、とんでもない事を平気でやってたんですねぇ・・・ま、父がアクセルとブレーキを制御してる訳ですし、ハンドルだっていつでも修正可能な状態だった筈ですが。
真っ直ぐ走らせる為、ハンドルの遊び部分で車両の流れを微調整していく事が子供だった僕には上手く出来なかった。
運転に慣れれば誰もが無意識の内にやっている事なんですがね(笑




タイトル画像にある様に、C10スカイラインにはGT-Rを除いてフード先端にクロームのオーナメントがありました。
父はそのオーナメントを車線の中の一点に据えるのが

『コツなんだよ』

そしてもちろん

『オーナメントを注視してもいかん、見える風景全体を見る事』

と教えてくれました。
右にふらついたかと思えば左に流れ・・・その都度、父は

『真ん中のアレ(オーナメント)に注意して・・・ほらほら左に行ってるやろ?』

って感じで、「当て舵」の感覚を教えてくれたのでした。

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Scene 2

中学生になった僕は、父の仕事用のグランドファミリア・バンを夜な夜な無断で乗り回していました。
しかし、路肩に駐車する時には車両感覚が読めず前後に停められている近所のお宅のクルマにゴツン!ってな事が度々あったんです(汗




ま、大した傷も付かなかったと思うんですが、そんな事をしでかしても僕は平静を装っていました。

(ん?知らないよ、オレ)

って感じで(笑

そして御近所からも苦情などもらった事は無かったのです。




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Scene 3

高校3年生になった僕に父がクルマを買ってくれる事になりました。
と言っても、まだ免許取得前だったんですが二人で馴染みのモータース屋さんに出向きました。

僕はもちろん父の影響で「スカイラインが欲しい!」と思ってたんです。当然希望は6気筒GTであったものの人気絶頂だったケンメリは高過ぎ、新車のジャパン=C210系など とんでもない話でしたから必然的に価格のこなれたGC10系(それでも中古車としては異例の高価格を維持していた。)って事に。それに本カテゴリー既出のM田先輩の事もありましたし・・・。

店には紺色のKGC10、つまりハードトップGTがあったので、僕は

「絶対コレが欲しい!」

と言ったんですが、父は

『これ、6気筒やろ?お前みたいなヤツはきっと飛ばすからアカン、アカン!』

と一蹴されてしまいました。。。「スカイライン」で育った僕なのに!

で、20型カローラのクーペ1200SL?だったかシルバー色の個体を指差して

『これにしろ』

と。
当然僕は拒否したんですが、父は『それならば・・・』と、店に有った初代ギャラン・セダン1300との二者択一を迫ったのでした。



僕はカローラがイヤだった・・・例えそれがクーペであっても大衆車・オッサン車の代表とも言うべきカローラと言うブランド・立ち位置全てがイヤだった。

(カローラなんかに乗れるか!)

もしその個体が27レビンだったら?やっぱり選ばなかったと思う。





で、僕の最初の愛車は初代ギャランに・・・(なんで俺がギャラン?なんでスカイラインじゃないの!)
買ってもらう立場なのに、こんな我侭な親心も分からないガキだったんですね。

のちに友人から言われました・・・

『ベイカー君、ギャランの頃は何かに憑かれたように爆走していたよなぁ』

好きでもないギャランに辟易し、粗末に扱ったのでしょう。初心者のクセに、本当に荒い運転をしていたと思います。
当時は高校生のガキが車を持っている事自体、まだまだ贅沢に見られ、実際に中学時代の友人にバッタリ出会った時

『え~、ベイカー君ってクルマ持ってるんやぁ!』

そう言われながらも

(こんなモン、自慢にもなるかい!ボケ)

と心の中で毒づいていたんです。

グリルやリヤエンドパネルのガーニッシュを外し、GTOのダミー・エアインテークを付けたり・・・テールランプやエアクリなど弄り回した10ヶ月、ついにエンジンが掛からなくなって御釈迦に。



ギャランにはちょっと苦い思い出ばかりが詰まっているのです。









Posted at 2014/07/18 04:20:16 | コメント(4) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ
2014年04月17日 イイね!

F大学の森 3

F大学の森 3先日、足羽山へ登ったあと 嫌な予感がして、あの思い出の森へ再び行ってみたら・・・。



昨年6月、ブログUPをキッカケに何十年ぶりかで訪れた時よりも伐採が進んでいて、見るも無残な姿に。



残された「雑木林を見守る活動」と言うのはどうなったのか?









感傷に浸るだけで、何もしようとしなかった自分を恥じますが、それでも言わせて下さい・・・





アホ役人どもの仕業が許せません。






あの森は もう帰って来ない(泣


Posted at 2014/04/17 22:30:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 回顧 | 旅行/地域
2014年03月28日 イイね!

198X年 太鼓のある居酒屋

198X年 太鼓のある居酒屋198X年のある日 僕らはいつもの様に、映画を観てウィンドショッピングなど街の散策を楽しみ、夕食は居酒屋で呑んだ。
入ると「どどどんっ!」と、店員が太鼓を叩いてくれる、二人にとって馴染みの居酒屋。






美○と付き合い始めた頃は、夜景の見える展望レストランでカクテルとステーキと言うパターンが多かったが、デートを重ね次第に打ち解けて行く内に美○もかなり呑める事が判明し(笑)、それなら気取らず美味しい物を食べて呑もう!と言う事であちこちの居酒屋によく行ったものだ。

帰りは美○の降りる電車の駅まで必ず僕が送って行った。
ホームで「じゃ、また」と手を振った後、彼女が改札を抜けるのを見届けて踵を返した時の寂しさと言ったら!!!
(今まで二人だったのに、この瞬間から一人ぼっちに!)

なかなか休みの合わない二人、大都会の中で距離もある・・・でも電話は毎晩。
携帯電話?当時はそんな便利なモノは無かった。しかも彼女も地方出身者で寮生だったから電話は呼び出し・・・その上回線が一つしかない為、いつ掛けてもほとんど話中。かなりの人数が居たと思われる女子寮、その電話は寮生が当番制で受けるのだ。
当人が不在の場合 当番がメモを残して置くのだが、毎晩僕が電話を掛けるので、美○曰く最初の頃は

『x月y日z時、男性、ベイカー様』

と言うのが、いつの頃からか

『x月y日z時、ベイカー』

と、呼び捨てになってたそうで(笑


僕が電話を掛けて、美○が電話当番の時に当たった事は、ついに一度も無かった。

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前述の様に月一ぐらいしか会えなかったので、毎晩の電話に加えて手紙も・・・。
僕は美○に惚れていたから、常に優しく接し 事あるごとにプレゼントを贈り尽くした。
ある日、美○は僕に言った

『やさしいねぇ・・・』

僕は返事が出来なかった・・・自分でも、美○に見せる態度は本当の姿ではないと分かっていたのだが、惚れて惚れて自分が出せない。
『やさしいねぇ』 ・・・その言葉の裏には

(やさしいだけだねぇ・・・)

が潜んでいたように思える。

その内 僕にも疲れが出て来て、身近に居た女友達も

(ベイカー君、いつまで何やってんの?)

・・・みたいな目で見てたんだと思う。ハッキリとは言わないが

(別れなよ)

・・・的なオーラが発言から見え隠れする。僕はこんな状況を女友達に話した事は無いが、おそらく共通の男友達から情報を得て居たんだと思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(入ると「どどどんっ!」と、店員が太鼓を叩いてくれる、二人にとって馴染みの居酒屋。)

しゃべって呑んで喰って、もういい時間・・・美○が言った。

『そろそろ帰らないと・・・』

「・・・うん・・・」

僕は返事を曖昧にして席を立たない。
美○も帰る訳にも行かず、ほとんど氷しか残ってないチューハイのジョッキに口をつけている。

店を出て深夜の街をトボトボ歩いた・・・もう電車はない。
どのくらい歩いたんだろう・・・ネオン街に近づくと、美○は何だか急に現在の状況を否定するかの如く、トンチンカンな話をしている。

何軒か無言で通り過ぎ、ある入り口の前で立ち止まった、暗い中で料金表の看板照明が眩しい。
僕は既に押し黙って動かない美○の背中をそっと押した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Scene 1

『・・・閉めて』

直ぐ横の窓にはガラス越しの光が入らぬよう、カーテンの代わりに壁紙の貼られた引き戸があったのだが、4枚のうち内側の2枚の位置がずれており、外のネオンの光が入って来てたのだ。
僕は内側の引き戸の一枚を閉めたのだが、それは逆の方・・・反対側が開いてしまった(爆


『・・・』

(く~ カッコ悪っ!・汗)


美○は無言だったが

(もうっ、ドジな人)

とマジで思ったか

(ぷふっ)

と吹き出したのか・・・

定かではない。


大事な時にドジな1ベイカー11(笑

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene 2
その前年の社員旅行・・・たいていは一泊二日で温泉などへ行くのだが、チャーターされた観光バスのバスガイドさんが美○だった。
僕は一目惚れして、旅行中に立ち寄った所で一緒に写真を撮ってもらい、現像が出来たら写真を贈るべく住所を聞いた。

その後の事も他の社員には一切知られていない。




美○は決して、男に尽くさせて『ラッキー!』なんて思う女ではなかったが、当時僕が背負っていた社会的な責任と心の生傷を癒してはくれなかった。



僕が郷里へ帰った後、『結婚しました』のハガキが来た。それまで ずっと手紙の遣り取りが続いていたのだ。
内容は殆ど近況報告、互いに『また、会おうね』と書くものの、ついに再び会うことは無かった。
手紙は段ボール箱に一杯・・・家を建て引越しの時、家内が段ボール箱を見つけた。
その内容を家内が読んだのかどうか知らないし、読んでも構わなかったが。

家内は僕に段ボール箱を見せて

『・・・これ・・・』

「捨てれば、いいよ」

『でも、本当にイイの?とって置いたら?』

「いいよ、もう」

どれも読み返す事は無かったし、読み返す気も無かったが むしろ家内の方が気を遣ってくれて・・・恋人であれ夫婦であれ、理解・信頼・尊敬 これを忘れちゃイカンです。
Posted at 2014/03/28 05:12:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 回顧 | 日記
2014年02月21日 イイね!

抱擁(包容)

抱擁(包容)198X年 
俺がまだ都会に居た頃・・・20歳代の前半だ。
I支店の同期A君とは新人研修以来、仲良くなった間柄だった。そしてA君を通じてI支店を既に辞めていたY先輩の所へ 俺も自然に出入りするようになった。

Y先輩は会社を辞めても郷里には帰らず、ガソリンスタンドで働きアパートで一人暮らしをしていた。そこは道路一つ隔てた線路沿いにあり、当然うるさくて狭くて旧い木造の典型的なボロアパートだった。


記憶を呼び覚まそう・・・Y先輩を中心にやはりI支店でY先輩と同期のM先輩、M先輩と同郷のT先輩らが「呑み仲間」を形成していた。そこにA君や俺が加わるのだが、そんな中にY先輩の働いていたガソリンスタンドでアルバイトをしていたS恵が居た。
S恵は当時16歳、高校へは進学しておらず いわゆる有職少年(少女)だったのだが、外観上は原チャリを乗り回すヤンキー娘。しかし中味は決してバカではなく、冗談の分かる芯のシッカリした娘だった。

ある時はワイワイ・ガヤガヤと居酒屋で呑みかつ喰い、スナックのカラオケで唄い、またある時は深夜の街をクルマで爆走・・・俺達はよく行動を共にして楽しんだものだ。

言って置くが、俺は彼女に恋愛感情は無かった。
が、 ある時居酒屋で呑んだ時、向かいに座ったS恵はメイクも上手になってオトナに一歩近づいたように見えたので

「S恵、お前 何か可愛くなったなぁ」

と言ってやったのを覚えている。

S恵は、確か叔母が経営するスナックに出ていて(もう時効だろっ)、何度かY先輩達と呑みにも行ったのだが そんなある夜・・・
ボックス席の酔っぱらい客(中年オヤジ)が口論の末、ケンカを始めた。
激高したオッサンの一人が、止めに入ったS恵を突き飛ばした・・・ママはカウンターの中・・・しかしS恵は気丈にも立ち上がり、また取っ組み合いをしているオッサン達に

『止めて下さい!困ります!!』

と言って割って入ろうとするのだ。この時点で再度S恵に危害が及ぶ前に、オッサン達のケンカを阻止すべくY先輩と俺は椅子から立ち上がっていたのだが、何とか事は収まった。その時俺は、Y先輩の手に大きな丸いガラス製の灰皿が握られていたのを見た。・・・後になって、Y先輩がその灰皿でオッサンの頭を割らなくて良かったとホッとした記憶がある。
とにかくS恵はそんなシッカリした娘だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Scene 1
その頃、俺には社会的に のっぴきならない大きな重圧が掛かっていた(原因は全て自分にあるのだが)。
毎日が辛く、会社へ行く足どりも重かった。
惚れた彼女が居て、彼女もそれなりに俺の事を愛してくれてはいたが、そんな俺の心の暗部を理解してはくれなかった。

ある夜、俺達はドライブに出掛けた。運転はY先輩、助手席にはA君、そしてリヤシートには俺とS恵。夜通し走ってはしゃぎ・騒いだあと・・・Y先輩はおそらく眠かったのだろう・・・無言でクルマを走らせている。
疲れてA君も喋らず、S恵も無言・・・。
俺は、またそのプレッシャーが頭をもたげて来て、辛く寂しい気持ちになり 何となくS恵の手を握ったがS恵は(ぎゅっ)っと握り返して来た。皆も、もちろんS恵も俺のその時の事情を知っていたのだが、何も言わずとも、その痛みを癒そうとしてくれているのが伝わって来る。
恥ずかしい話だが、俺は子供のようにS恵の胸に顔をうずめて甘えた。S恵も俺を抱きしめて動かない。

きれい事を言うつもりは無い、しかし そこには本当に恋愛感情も性欲も無かった。
あるのは「理解」・・・それだけ。

全てを放り出して、責任を逃れる事も出来たかも知れない。しかし俺には理解を示してくれるこんな仲間が居たから、自暴自棄にも世捨て人にも成らずに済んだのだ。

俺が会社を辞める少し前、S恵も郷里に帰る事になった。お互いに住所を教え合ったのだろう(記憶無し)、しばらく経ってからS恵から手紙が来た。今の若い人には電子メールがあるが、当時は全て紙ベース、便箋にペンで書く「手紙」しかなかった。

『ベイカー君、アタシの気持ち分かってたでしょ?』

ああ、人生とはシフト・ミスの連続だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Scene 2

当時付き合っていたI は助手席のシートバックを倒して眠っている。
夕暮れ時の高速道路・・・県外へ遊びに行った帰り道だ。

遠くに見えるPAの様子が何かおかしい・・・再確認の為に目を凝らす間にもPAにどんどん近づく。
・・・そのPAではちょくちょく検問が実施される事を知っていた俺は、隣で眠るI に

「おい!おい!起きてっ」

案の定、検問だ。













減速路に並ぶ赤いコーンと制服数人を確認したが、減速路には誘導されず、そのまま本線を走りPAを通過した。
結局は我がY30 は彼らのターゲットでは無かったようだ。ホッとして助手席を見ると、I がやっと上体を起こして周囲を見回している。
『ココは何処?ワタシは誰?』状態。

しばらくしてI は

『アタシに(おい!)って言った』

と、怒るのだった。そしてその夜は、帰るまでその事で俺を攻めた。
俺という人間は、おおよそ女性には「ぞんざい」な物言いをしないタチだが、この時ばかりはI に早く起きてシートベルトをして検問に備えて欲しかったが為に思わず「おい!」なんて言ったのだ・・・結果、止められずに無事通過したけれども。

「・・・しかし検問・・・」

俺もそれ以上言わないし。

今でもI はその事を根に持っているのだろうか(笑


ああ、人生とはシフト・ミスの連続だ。
Posted at 2014/02/21 01:58:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2014年01月07日 イイね!

地獄の黙示録(笑)

地獄の黙示録(笑)Scene 1

M君とT子が回転モノのアトラクションに向かうのを見送った僕は、隣に居たYに向き直り両肩を軽く叩いたあと、真っ直ぐに眼を見て

「さて、Y君はまだなのかな?」

と尋ねました。
突然の斬り込みに、彼女はちょっと困惑した表情を見せ
『・・・う・ん・・ん・・・』
と、YesともNoとも分からない反応を示しましたが、僕はそれ以上追及せずにその日は4人で遊園地と景色の良い海・山のドライブを楽しんで帰ったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

30歳目前だった僕が本社に帰ってから、しばらく経った頃です。同じ課のT子(当時22歳)は僕に色々と「ちょっかい」を出して来てました。それは決して真剣な、あるいは淫靡なものではなく女子中高生がやるような、ジャレた戯れのようなもの。

しかし、時折は度が過ぎて部長から
『いい加減にしなさい!』
と叱られたりする事もあったのです。
T子は明るくてグラマーで可愛いコ・・・僕は彼女に対して恋愛感情はありませんでしたが、T子の言う冗談や戯言は面白くて、僕も笑いのツボが同じと言うか ウマが合ったのでしょう 基本的にはノー・リアクションですが、それなりに楽しんでいた事は確かです。
そんな訳で社内では
『仲イイね、ベイカーさんとT子』
と見られていた筈です。

ただ実際仕事の邪魔にもなったりしていたので「ちょっかい」を出されたある時、周囲には誰も居なかったので 僕は後ずさりする彼女を部屋の反対側へ追い詰め 両手を壁について逃げられなくした事がありました。
「本気か?おまえ。ええ?ヤルぞ、こらっ!」と小声で脅したのです。
彼女、想定外の僕の反応にかなり驚いた様子で(やばい!)と思ったのでしょう、何とも表現し切れない表情を見せて固まってました。

T子の同僚Yは23歳。どちらかと言えば背は低い方で、なおかつ美形で「のんき眼鏡」を掛けていたので仇名は アラレちゃん(笑
とっても朗らかで笑顔を振り撒く 仕事の出来るコ。

仕事の合間に

『○○部長に、△△をやっとけ。って言われたよ~』
とか
『□□課長に★★の処理を頼まれちゃった・・・ハァ』
なんて言って来るのです。

彼女の大きな魅力はその笑顔。それなのに仕事をしたくない無能な上司が多過ぎて終いにはタメ息をつきながら
『もうアタシ、笑顔作るの疲れちゃいましたよ』
な~んて・・・僕はそんな正直な言葉に本音が見えて、愛おしく感じていたのです。

僕は「デキる女は辛いよな~^^」なんて相槌を打ったりしてたのですが、そんなある日、『彼氏と上手くいってない』みたいな事を言い出しました。

チャンス?付け込む?汚い?

いいえ、僕はそうは思いません。少なくとも僕にはYに傾いていく真剣な気持ちがありましたから・・・第一遊び目的で同じ会社の社員に不真面目な事出来ますか?
何日か過ぎ、僕は意を決してYをドライブに誘いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene 2

その頃、実はT子は僕の後輩M君に交際を申し込まれていました。
Yはその事でT子から相談を受けていたのですが、Yはさすがに僕との2人きりのデートを警戒してか「T子とM君へのバックアップ」と言う大義名分を作り、Yが僕にも相談した事にして表向き「後見人」としての立場を要求して来たのでした。

「いいんじゃない?お似合いだし、応援するよ。」

T子とM君は、まさにそのドライブの道中で僕とYのバックアップを受けて交際が始まったのです。ドライバーは僕、クルマは俗に言う鬼クラ・・・S110系、黒塗りセダンのポンコツでした。




さてバックアップとは何ぞや?
T子とM君の希望は交際を公表したくない事。
なので、T子の僕に対するイチャイチャは絶好のカムフラージュになる訳です。

遊園地に到着・・・T子とM君は回転モノのアトラクションに。

そこで、僕はYに
(T子とM君は交際が始まったけど、Y君の彼氏に対する気持ちの整理はまだ?)
と言う意味で・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次の週の日曜日だったか、Yは家に遊びに来ました。
午後の数時間、テレビを観たり 会社やT子とM君の話題など取り留めの無い話をして過したんですが、夕方も6時を廻った頃

「そろそろ帰る?」

とYに言ったんですが

『うん』

と答えるものの立ち上がる気配が無い。
少し間をおいて僕が再度帰宅を促すと

『・・・あと5分だけ居る』




(!!!!!!!!!!なにぃ!!!!!)

僕は思わず彼女の唇を奪いました。
Yは自分から仕向けたくせに、顔を真っ赤にして下を向いています^^

「帰る?」

彼女、今度は5分経たずして帰ったのでした(笑

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

もう会社に行くのが楽しくてなりません・・・毎日Yと会うんだもん。
僕らも公表を良しとしない点で意見が一致、T子とM君にも知られずに最後まで通すことが出来ました。
僕とT子のイチャイチャは続けられたが故、後にT子とM君が結婚した時の周囲の衝撃は計り知れないものがあった筈です・・・
(T子がM君と!?まさか!)
(ベイカーさんは振られたんだ!)と。

『ベイカー係長~』
書類や伝票を持ってYがやって来ます。
あるいは僕がYの居る部屋のドアを開ける・・・Yが振り向く。

二人にしか分からない一瞬のアイ・コンタクト!!
それ以上の反応は御法度、素知らぬフリで仕事を続けますが このドキドキ感はたまりません。

業務上、出掛ける事が頻繁にありました。同僚と、あるいは人手が足りない場合は女子社員と社有車で出掛けるのです。それは上司が段取りを組むのですが、Yと僕が指名された時の帰り道では必ずと言って良い程 橋や高速道路や線路の下、山道や茂みの陰などにクルマを停めたものです^^

Yと密会(笑)を重ねるうちに、彼女の少女時代の不幸な過去を知らされ衝撃を受けました。

(もしそんな頃に お前と出逢っていたら、助けてやれたかも知れないのに!)

Yが会社で見せる朗らかで可愛い笑顔。その裏に隠れた傷はあまりに痛々しくて・・・。
しかし、僕は その事を知って、よりいっそうYの事を愛おしく感じる様になりました。

彼氏・・・いや、Yが彼氏だと思い込んでいるだけで、僕に言わせればその男はYをただの「都合のいい女」にしてるだけ。
それもYの過去がそうさせているのではないか?とも思えたのですが・・・わかりません。

ドライブや映画やボウリング・・・普通の恋人達が普通にしているデートも彼女には新鮮だったようで、異常に はしゃぐYを見て、とにかく僕は正常な相手として、Yを幸せにし、その男にも勝ったと思っていたんです。


後には町興し・村興しの一環として良くある『ミス○○』に応募して選ばれた彼女です、会社にとっても看板娘と言っても過言ではない程。
僕と付き合い出してから眼鏡を辞めコンタクトにしましたが、その素敵な笑顔に顧客など周囲の多くのオトコどもからチヤホヤされ、ある人からは花束なんかをもらったり(これは二人の間で"花束事件"としてギャグになってました・笑)、交際をせまられたりと、モテモテでした。
ある初老の顧客には手の甲にキスをされた、と言ってその晩は

『あのジジィ気ぃ狂ってる!!』

とプンプン怒ってたり^^



Yが最初に遊びに来たあの日・・・Yが帰ったあと

『イイ娘じゃないか。自分のだけでなく、家人の靴もキチンと揃えてあったし。』

と、亡き父に褒められました。ま、当たり前の事なんでしょうけど・・・僕としても親から交際相手を褒められるのは鼻が高いってモンです。

つまり、親の最初の心証は悪くなかったって事。その後親にも会わせましたがやはり、

『うん、キチンとあいさつも出来るし・・・』

と好評だったのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

別れた後は地獄でした・・・毎日Yと会うんだもん(笑
おまけに僕が別の営業所に転勤になる時、何とYまで一緒に転勤(そ、そんなぁ~

彼女は僕より先に結婚しました(相手は昔の彼氏ではありませんが)。



これぞ『地獄の黙示録』(笑

今となっては甘くて苦くて熱い想い出です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

当時僕は市内に Yは20km位離れた郡部に住んでいまして、休日は彼女が僕の家に来るか、あるいはどこかへ出掛けるにしても、やはり僕の家に来てクルマを置いて行ったのです。
平日、仕事が終わった後のプチ・デートでは大型店舗の駐車場で待ち合わせたりしたものでした。

僕はそれまで、複数の処からお見合いの話を持ち掛けられたり、実際に交際を申し込まれたりしたんですが、実は都会にいた頃に付き合っていた彼女と手紙の遣り取りが続いていて、気持ちが残っていたが故に、どれも真剣に付き合う気持ちには成れなかったのでした。

でもYは僕が結婚を考えた初めての相手、Yも明らかに結婚を考えていたと思います。
ところが僕がその頃に郊外の土地(現在の我が家が建っている所)を買ったんですが、その時分からYの態度に変化が現れたような気がするのです。

バカげた話ですが
「郡部の人にはそこから出たい、街に嫁に行きたい願望」
があるんだよ、と ずっと後に他人から聞かされた事があります。

Yは僕が彼女の実家よりも遠くて、更に何も無いド田舎に家を建て、そこに嫁に行く自分が許せなかったのではないか?

表向きの僕に告げた理由は「元カレがやっぱり好きだから」でしたが、それはウソ。
彼女が『結婚します』と会社で公表するまで それほど月日が経ってなかったのです。
嫁ぎ先は市内でも中心部に近いところ、確証はありませんがおそらく見合いでしょう・・・彼女なら大抵の男はOKするはずですし。

理想・相性・収入→打算
自分の一生を委ねる結婚相手の事ですから、それも分かるんですがねぇ・・・。

それでも彼女の乙女心と、暗い過去を僕に告白した時の気持ちは本物だったと信じたい・・・これも惚れた弱みですか。


加筆修正済
Posted at 2014/01/07 04:23:13 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | その他

プロフィール

「買い占め?/缶ハイボール http://cvw.jp/b/183514/48488890/
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