引越しの時、限られた時間の中で 親の残した古いアルバムを再点検したものの 結局時間に追われて止む無く多くのアルバムを捨ててしまったのです。
しかし 印象に残った僅かな写真を画像として保存してありました。。。そんな中の一枚。
一部が変色している本当に古い写真です。
過去ブログ
”旧国道へ1”より転載:
『ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して
池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
(中略)
そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。』
さて写真は大きな展示会会場の様で、国産乗用車等未だ無き時代 三菱系販社の
「池田小型自動車」も新型スクーターを出品していた・・・と言う情景が想像できます。背後には山と満開の桜?が描かれた垂れ幕が見て取れ、左に見えるこの反対側のブースには『科学の星 昌和・・・』と読めますね。
写っている人物が誰なのか皆目見当もつきませんが、強いて言えば手前左のツナギ服の人物が父に見えなくも無いんです。
本題のスクーター
『三菱シルバーピジョン』は富士重の『ラビット』とライバル関係だったそうで。
左の垂れ幕「C-90型ピーター デラックス」
Wiki記事より転載:
該当ありません(汗
が、C-90型は1957年(昭和32年)デビュー、左側のモデルがその様で
右側のはホビーと呼ばれるモデルの様ですね。
C-90型ピーターデラックスもホビーも型式表には出て来ません。
因みに後列中央の眼鏡の人物はよく見たらツナギではなく白衣なんですね。
そして胸のマークは「放射線」関連!?
Posted at 2024/02/18 23:44:44 | |
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