この方の
ブログを見ていてふと思ったんですが、'38キャデラック60スペシャルに関する記述のあった古雑誌の事を思い出し、探していたんです。
五十嵐 平達氏の本などを読み返すも見当たりませんでした。僕は最近CG誌の広告などをUPしていますが、その記事はちょうど読み返していた'67/5号(特集GMスタイリング)にあったのです。
その60Sは'38に戦後型デザインの基礎を築いた、と言う内容です。
「1938年、GMスタイリングはまた、キャディラックの新型、シクスティ・スペシャルで革命的なデザインを試み、成功を収めた。
シクスティ・スペシャルこそ1939年のリンカーン・コンティネンタルとともに、低く、幅広く、直線的な戦後型のスタイリングを切り開いたデザイン史上重要なモデルである。量産車としては初めてランニング・ボード(ステップ)をドアの下に内蔵することによって室内幅をトレッドいっぱいまで広めた。
ボンネット、ルーフ、トランク、前後フェンダーは互に見事なバランスを保ちつつ角張り、室内空間を広めるとともに、近代的な感覚を与えている。ウィンドーは前後とも大きく切り取られ、同様に大きいサイド・ウィンドーは6ライト全盛の当時早くも4ライトとし、モールディングのないウェスト・ラインとともに おおいに近代性を強調している。
この
サイド・ウィンドーのフレームは細いサッシュで、ドリップ・モールディング(雨樋い)も前後を結ばずに個々を取り囲んでおり、いわゆるコンヴァーティブル・ルックを かもし出している。
これが第2次世界大戦後の1949年にGMによって開発されるハードトップへとつらなるのである。そしてこの画期的な38年型キャディラック シクスティ・スペシャルを生んだデザイナーこそ、当時のキャディラックのチーフ・スタイリスト、若き日の
ウィリアムLミッチェル(William L.Michell)(ビル・ミッチェル)その人であった。」
この中の、
<サイド・ウィンドーのフレームは細いサッシュで、ドリップ・モールディング(雨樋い)も前後を結ばずに個々を取り囲んでおり、いわゆるコンヴァーティブル・ルックを かもし出している。これが第2次世界大戦後の1949年にGMによって開発されるハードトップへとつらなるのである。>
と言う部分に過剰反応してしまう僕ですが、'38に登場したこの革新的デザインの60Sは'41からヘッドライトがフェンダーに溶け込みますので、例のブログのキャデラックは同じ'41でも窓枠の形状からして60Sではなくシリーズ62ではないか?と思うんですが。
残念ながらシリーズ62セダンの写真等見つかりません。62も60と同じく4ライトだったのか?少なくともドリップ・モールの件では60Sでは無いみたいですが。
Posted at 2009/10/26 01:02:17 | |
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