
みん友さんの JetBoy 氏からのメールに添付されていた画像
付けられていたキャプション:
『我が家はなぜか昔から北欧の自動車に関わりがありまして、母が濃緑の244ジーゼルと965のステーションワゴンに乗っていた他、ぼくが産まれて初めて自費で買った車が1974年式の145ステーションワゴンでした。オレンジ色。それに東部に住んでいた叔母のアウント・ルリが昔はヴォルヴォのPV544、その後サーブに乗り換えて後半はスバルだったみたいです。。。アウント・ルリの旦那さんはオーストリア出身で彼はなぜか北欧車を好んでいたみたいです。もう今じゃ皆他界しちゃって当時の話も聞けませんが。1950年代にアウント・ルリが自動車の免許を取る時に矢張り東洋人でいじめられたんでしょうね、実地試験に何回も落ちた話、家の前の坂でサーブがエンストし、ハンドブレーキ握ったまま後ろに滑り落ち運転台から放り出された話は何故か覚えてます。。』
画像左上:
『164は別に成功した訳ではありませんでしたが、矢張り発展する米国市場を睨んで次の豪華版を出したのが260シリーズだったんですが、プジョー・ヴォルヴォ・ルノー共同開発のV6エンジンはカムシャフトの異常磨耗に悩まされ保証対策で大変だったんです。特にヴォルヴォに積むと簡単にはカムシャフトが抜けず、結局室内から絨毯剥がしてファイヤウオールに円形の穴を開けて後ろから取り出していました。当時のカムシャフト交換対策キットがヴォルヴォから送られてくると箱の中にホール・ソー(円形ノコギリの歯)が入っていました。。。同じエンジンはデローリアンやらプジョーにも盛んに使われましたが、結構重たい割には力がなく振動もありぱっとしませんでした。。。豪華ヴォルヴォといえば、連中昔からヘンテコな車種も細々と作っていてカタログの隅に乗ってたりするんですけど、264TEというストレッチ・リムジンがあり、TEはトップ・エグゼキュテイヴの略だそうで、日本では写真家の立木義浩が後席に踏ん反り返って銀座を流していた話が有名でした(彼、確か運転免許を持ってなかった?!)。その他245Tと言うストレッチしたステーションワゴンとか(このTはトランスファー・乗り換え?の意味らしい)。 はみ出し情報:昔のヴォルヴォの後ろの車軸はスチュードベーカーから来たらしい。。。スバル・レオーネ四輪駆動のリヤ駆動系はダットサン・ブルーバード510を流用していた。。。。』
画像左中:
『これは245T。このTはトランスファー乗り換えの意味。座席が三列。荷室のジャンプシートあるのかしら?』
画像右上:
『スウェーデンと言えばサーブも長胴車に凝っていて70年代中盤から切ったり貼ったりしてました。。
これは99フィンランディア。真ん中の窓はサウナ窓と呼ばれたそうです。』
画像右中:
『こやつは長胴の900CD. CDは通常 Corps Diplomatique (コー・デイプロマテイークと呼びます) の頭文字で外交官の事を示します。』
画像左下:
『これは通常型。』
画像右下:
『こういうけったいなもんもありました。。。』
★「>我が家はなぜか昔から北欧の
ほほう、ホントに何か訳があったんでしょうか?偶然?
>264TEというストレッチ・リムジンがあり
あー、これは数年前まで、一台福井市内に放置されていたんですが ついにカメラに収める機会を失ってしまいました。
SAAB 900 は福井の様な田舎でも意外に多くて(中略)変速機のレイアウトは特異でしたが 独特のシッカリ感(走りもボディも)があって玄人好みのクルマでしたね。
しかし、新車は結構「いいお値段」が付いていたのに、中古になると全く人気が無くて さっぱり売れなかったです。
後に三和自動車が拾いましたが結局商売が上手く行かず手放しました。」
・・・to be continued
※このメール自体は今年4月のものです。
Posted at 2017/12/18 19:19:53 | |
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