長いタイトルwww
ゴールデンウイークからニュルやル・マンを挟んで1ヶ月半。
ようやくスーパーGT 第3戦がタイで行われました。
毎年思うけど…、このインターバルは長いですよね~(-ω-;)
早くハコレースの世界統一戦が始まらないかな~と願うばかりです。
さて、今回の海外ラウンドですが…
キーワードは“長いトンネル”です。
先の見えない長いトンネルを抜けたベテランドライバーの活躍が目立ったレースとなりました。
まず予選でGT300のポールポジションに輝いたのは、ジャパンオリジナルの共通マザーシャーシを使用したNo.25 VivaC 86 MC!!!
ドライバーは1972年生まれの42歳、土屋武士選手です(^^)
土屋武士選手にとってポールポジションは実に16年ぶりになります。
ちなみに16年前にポールポジションを穫ったマシンはというと…
ザナヴィARTAシルビアまで遡りますww
SR20DETですよ、懐かし~い♪
この翌年からは土屋武士選手はGT500クラスにステップアップ♪
トヨタ•スープラ時代はゼッケン36を背負い、トムスのエースとして過ごしました。
スーパーGTファンの間では未だに語り継がれているファイナルラップでの大逆転劇。
2003年のSUGO戦で起きた伝説ですよね(^.^)
この時ファイナルラップで11に抜かれたWOODONEトムス•スープラのドライバーで、相方のエリック•コマス選手の帰りをピットウォールで待っていたのが土屋武士選手でした。
この後、11の事を「アンニャロゥ~」って呼び捨てていたのが印象的でしたね。
いちファンが大きな事を言うのは失礼ですが、土屋武士選手はなかなか勝ち運に恵まれなかったドライバーでした(^^;)
翌2004年には片岡龍也•山本左近組のトムス37号車に初勝利を先に越され、
2005年には未勝利ながら最終戦までシリーズチャンピオンの可能性を残すも、どしゃ降りの鈴鹿でピットタイミングを誤り、立川祐路•高木虎之介組のZENTセルモ•スープラと同点ながら優勝回数の差で悔しいシリーズ2位…
レース戦歴を振り返ってみると、この2005年が土屋武士選手にとってキャリアハイとも言えます。
その後は父親とヨコハマタイヤが築き上げた伝統のゼッケン25を守ったり、キャリアの浅いチームのドライバーとして働いたり、GT300のチームに雇われてベテランの味を発揮したりと、毎年毎年 土屋武士ここにありという姿を魅せてくれました。
そして昨年から試験的に始まった、メイド•イン•ジャパンの4.5リッターV8のマザーシャーシのデビュー戦を任され、自ら立ち上げたガレージでもマザーシャーシの86を購入。
今年の第1戦と第2戦ではストレートスピードで難がありましたが、第3戦 タイを前にマザーシャーシ車輌のパワーについて若干優遇措置が下り、見事16年ぶりの長いトンネルを抜けた訳です。
…ん?決勝レース?
表彰台に乗れそうな順位で終盤まで走ってたんですが…、
高められたパワーの分だけガソリンを喰ってしまい燃料の計算が狂ったのか、レース終盤に予定外のピットインをしてハイオク1000円分だけ給油しちゃいました(^_^;)
結局、7位フィニッシュ☆
…ま、カッコいいところは国内で魅せて下さい(^^)
ちなみに2015年のタイラウンドで一番てっぺんに登ったのはこのチームでした。
GT300クラスは No.3 B-MAX NDDP GT-R 星野一樹•高星明誠組!
前戦富士でタイヤバーストからの鬼の追い上げを魅せてくれた3号車GT-Rが、2年連続でタイラウンドを制しました(^.^)
タイマイスター 星野一樹!!
…なんか肩書きがエロいですねwww
GT500クラスは No.46 S Road MOLA GT-R
本山哲•柳田真孝組が制しました!
予選3番手からの大逆転勝利(≧∇≦)b
ベストパフォーマンス賞でした☆
前日の予選でタイ最速に輝いたのは No.38 ZENT CERUMO RC F
立川祐路•石浦宏明組。
路面温度が60℃に達する中、1975年生まれのもうじき40歳、立川祐路選手がクレバーなアタックでポールポジションを獲得しました(^_^)
そして迎えたGT500決勝。
決勝レースのスタートドライバーは38号車は立川祐路選手、対する46号車は1971年生まれの44歳、本山哲選手です。
本山 vs 立川といえば、今まで何度も名勝負をファンに魅せてくれました(^^)
記憶に新しいところでは…
2013年の第4戦 SUGOでのバトルですね。
本山選手の相方の関口雄飛選手が予選ポールポジションを獲得し、後はベテラン本山選手がレースを組み立てるだけといった決勝の舞台で、立川選手とのバトルになり最後は1コーナーでもつれてコースアウトという結果でした。
勝ちから遠ざかっていた本山選手の焦りが感じられた一瞬でした。
今回のタイラウンドもお互い吸い寄せられるようにバトルが始まりました。
先行するNo.38 ZENT CERUMO RC F 立川選手に対し、徐々に間合いを詰める No.46 S Road MOLA GT-R 本山選手。
周回遅れのGT300の集団に追いつくと、一気に車間が詰まりバトルが始まります(^^ )
GT300のマシンに詰まり、一瞬リズムが乱れた立川選手の動きを読んで、一気にパスする本山選手!
やられたらやり返す!倍返しだ!!
…とばかりに、GT300が譲ってくれるだろうと思い込んでたら意外と譲ってくれず、一瞬詰まった本山選手の脇から一気に追い抜く立川選手!
そして前半スティント終盤、GT300は絡みませんでしたが、若干タイヤがタレてコーナーを小さく回れなくなった立川選手のインをとり、クロスラインを仕掛ける立川選手をゴリゴリで被せる本山選手!
メインスタンドからコース全体が見渡せるので、タイのお客さんもこのガチンコバトルは喜んだでしょうね~(^-^*)
そして、お互いにルーティンのピットサービスが終わり、38号車と46号車のバトルは後半戦突入かと思われた矢先…
おーっと!ZENT CERUMO RC Fがスピン!
コースアウトぉぉぉ~!
…どうやらブレーキトラブルだったみたいですね(^^;)
石浦選手はブレーキが無くなったマシンを何とかスピンさせて止めたみたいです。
これでS Road MOLA GT-Rを脅かすライバルはいなくなり、後は己との闘いでした。
2011年•2012年と連続でシリーズチャンピオンを獲得したS Road MOLA GT-R。
そのチャンピオンコンビのドライバーをごっそりニスモに持って行かれ、その後はカーネルサンダースの呪いのごとく勝ち運から見放されたMOLAチーム…
2年連続チャンピオンの肩書きをしょってニスモの赤いスーツを再び着たけれど、期待されたパフォーマンスが出来ず再びMOLAチームに返品された柳田真孝選手…
その柳田真孝選手とトレードされる形でニスモからMOLAチームに入り、慣れないミシュランタイヤで苦労しながらも、鈴鹿のコースレコードを奪う速さを魅せていた帝王 本山哲選手…
MOLAチームは2年ぶり、柳田選手にとってはオートポリスで優勝を決めた2012年の第7戦ぶり、
本山選手にとっては、MOLAチームのシリーズチャンピオンが決まる2011年の第8戦もてぎで、チビってた柳田選手をまくり上げた優勝以来3年ぶりの……
長いトンネルでした!おめでとう☆☆
この本山選手の喜んだ顔www
先述の2011年の第8戦もてぎで勝ったときなんか、優勝インタビューでもここまで険しかったんですよ(^-^;
それが…もう、赤いスーツの荷が下りたのか、
こんなお茶目な顔までしちゃってからwww
パドックでも近寄りがたかった雰囲気の本山選手を知ってる私からしたら信じられません(笑)
…そういえば2006年に、当時 激走!GTのレポーターをしていた山岸舞彩ちゃんがレース中に本山選手にマイク向けたら、
そのマイクをまるでハエを払うように捨てましたよね(ゝω・)
私の勝手な妄想ですが、あのオートポリスのピットでの本山選手の態度から、山岸舞彩ちゃんのジャーナリズムに火がついて“ゼーロォォ~”に至ったのではないかと思います。
この本山選手の顔を見たら山岸舞彩ちゃんは何て思うかな~~(笑)
…さすがにもう覚えてないかww