高田純次さん、「魔が差して」宝石会社を辞め劇団に…
産経新聞 3月26日(水)17時0分配信より1部抜粋
【話の肖像画】タレント・高田純次さん(67)
〈昭和47年、自由劇場の研究生になり、舞台の道に一歩を踏み出した。当時の仲間にはイッセー尾形や、のちに劇団東京乾電池を結成する柄本明、ベンガル、綾田俊樹らがいた〉
自由劇場が研究生を募集していると聞いて受験したら合格しました。高校、大学と落ち続け、初めての合格通知はうれしかった。ほとんど全員、受かったみたいですけど(笑)。1年後には別の劇団に参加しましたが、ここで方向転換。安定を求めて宝石会社に社員として就職したんです。会社では宝石を鑑定したり、よく働きました。取引先の受けもよかった。だけど4年後に偶然、昔の仲間に会って、また芝居に戻ってしまいました。妻子もいたのに会社を辞めた。今でも「魔が差した」と思っています。
本当に見ていると元気に成れる人だと思います。
「先の事が分かっていたら」と何度も思いながら人は生きて行く物だと思っていますので、この「魔が差した」と言うのが、本心なのかどうかは分りませんが、絶対に「魔が差して」正解だったと思う人は多いのでは無いでしょうか?
もし、魔がささなくても、以前、高田さんが描いた宝石の絵を見た事が有りますが、本当に上手かった記憶が有りますので、宝石鑑定等をしていれば、得意の話術や人柄でそちらの方面でも活躍をしていたのでは無いかと思います。
高田さんは、適当に見えても、道を外さない常識人だと私は考えます。
でたらめや非常識では無く、高田さんのボケと言うのは、子供にも分かりやすい上に、決して人を傷付ける内容では無いですね。
適当と言っても、無礼に感じませんから、不快感が全く無くて、予想が付かない事を突然しますので、不思議な芸風何でしょうね。
多少、落ち込んでいる時でも、この人を見るとつい笑ってしまう自分がいます笑
とても真似は出来ませんが、私の理想的な歳の取り方その物です。
高田さんは、人をけなしたり、バカにして笑いを取る事をしないから、好感度が高いのかも知れませんが、苦労した人生を送って来ているからこそ、この様な味を出せるのかも知れません。
色々な事に対して、瞬時に対応出来ると言う事は、頭のいい証拠だと思いますし、今のお笑い界にはいない稀有なキャラでは無いかと。
手抜きとは違う適当と言うのは、最初から出来るはずが無い訳で、経験が有っての適当なのですから、簡単に適当と言ってはいますが、影では並々ならぬ努力があったんでしょうね。
中々出来る事では有りませんが、苦労する時にそこから逃げずに苦労すると言う生き方その物が凄いと思います。
下積み時代を生保で過ごす芸人もいるらしいですが、その様な薄っぺらな人は成功等出来ないでしょうね。
逆に高田さんを不快に感じる方もいるとは思いますが、私は高田さんを不快に思った事は1度も有りません。
実生活で全く浮いた噂を聞いた事も有りませんし、家庭を大事にする真面目な人何だと思っています。
震災直後は「自分は今の状況で公の場に出るのにふさわしくない」と、しばらくは自ら仕事を減らしていたらしいと言う事を何かで見ましたが、ますますファンに成りました。
ドラマは別ですが、高田さんの出演するテレビを見るのは本当に楽しみです。
番組の最初で飛ばし過ぎて、途中で高田電池切れに成って、急に黙ったり、居眠りし始めたりしますが、それが許される所も凄いし面白いです笑
私は、たまにこの動画を見て笑わせて貰っています。
昭和の頃は面白いテレビ番組が本当に多かったと思います。
地井武男さんと雨中の別れ 田中邦衛さん「地井兄、会いたいよ」
産経新聞 8月6日(月)14時9分配信
映画やドラマで味のある演技で親しまれ、6月29日に70歳で亡くなった俳優、地井武男さんのお別れの会が6日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。
別れを惜しむかのように雨が降る中、親交があったプロゴルファーの青木功さん、歌手の研ナオコさんら芸能関係者ら約800人が参列。
ドラマ「北の国から」で共演した田中邦衛さんは、お別れの言葉で「何と言われてもまだ信じられない。地井兄(にい)、会いたいよ」と感情をあふれさせた。約40年の親交があった水谷豊さんは、最後の入院前に強く抱きしめられ、耳元で「豊ちゃん、ありがとう」とかすれた声で言われたことを明かし、「地井先輩の人生は見事だった」としのんだ。
本当に多くの方から慕われていた方何だと感じます。
私の親戚も、ロケでお会いした事が有るらしいのですが、本当に芸能人とは思えない程周りに気を使っていて驚いたと話してしました。
カメラが回って無くてもスタッフにも気使いを忘れず、一緒に食べ物を分けて食べていた優しい方だったとも言ってました。
千葉県は外房の地井さん、内房の浜田幸一氏と相次いで逝ってしまって何か寂しく感じます。
地位さんが出演したドラマは、出演者が本当の家族その物の様な温かさが有ったのでしょうね、参列した方からの言葉を聞けば分ると思います。
年上の田中邦衛さんに「ちぃニイ会いたいよ」と呼ばれるのは、余程の存在感が有ったと思いますし、同じ様に心から思っているのは田中さんだけでは無いと感じます。
本当に沢山の人に愛されてたのだと言う事が良く分ります。
画像のひまわりの中で微笑む地井さんの笑顔が最高だと感じます。
「50・60これからだ」って言っていた事をつい最近聞いた様な思いで一杯に成ります。
あの人懐っこい素敵な笑顔を、私はこれからも忘れる事が出来ないと思います。
追悼番組は、結構な視聴率だったらしいですが、中途半端な放送だった気がして成りません。
是非、24時間テレビ等訳が分らない放送等せず、「ちい散歩」を連続で再放送して欲しいと思います。
何か、テレ朝で地井さんの追悼番組を午前と夜で放送する様な予定らしいのですが、いつだか分りませんので、分りましたら是非忘れずに見て録画をしたいと思っています。
改めてご冥福をお祈りします。
「北の国から」「ちい散歩」の地井武男さん死去
産経新聞 6月29日(金)13時57分配信
ドラマ「北の国から」など渋い脇役でテレビや映画で活躍した俳優、地井武男(ちい・たけお)さんが東京都内の病院で死去していたことが29日わかった。70歳だった。葬儀・告別式は未定。
俳優座養成所出身。昭和43年、映画「斬る」で俳優デビュー。その後、映画「戦争と人間」や、「北の国から」のレギュラーなどで活躍。俳優以外でもテレビ「ちい散歩」の案内人やバラエティー番組、CMなどで親しみやすいキャラクターを見せ、幅広い人気を得ていた。
今年1月末から体調不良を訴えて療養していた。
5月にブログに記載して、復帰を願っていたばかりなのに本当に残念です。
30日の午前中追悼番組を放送してましたが、本当に地位さんは心優しい方だったとつくづく思いました。
あの人懐こい笑顔と、ブランコみ乗って満面の笑みの、ちいさんの姿が見られないと思うと寂しい気分に成りました。
スタッフへの気遣い、子供達への優しさ、一般の方との触れ合いなど、口は悪くても気さくで優しくて思いやりもあった方だけに庶民的な感じがとても良かったと思います。
千葉出身と言う事も有って、自分に近い人が亡くなった時のように悲しく感じますがそれだけ身近に感じる事が出来る人間味があふれた方だったのかなと感じます。
出演された、色々なドラマや番組の中でも私はこの「ちい散歩」が最高傑作だったと思います。
沢山の心が温かくなる場面を見せて頂いてどうも有難うございました。
今後は、天国の綺麗な風景を描きながら、心置きなく散歩して欲しいと思いますし、きっと天国でも人気者だと思います。
ピーナッツの伊藤エミさん、小野ヤスシさんと70代の昭和を支えていた人達の訃報続きますね、また昭和が遠く成る気がします。
テレビ朝日は、30日こそ「ちい散歩」の追悼番組を流してましたが、その後は細切れみたいな放送をしています。
余計なニュース等入らない「ちい散歩」追悼版の放映をして貰いたいと願います。
地井さんには本当に長い間おつかれさまでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
地井武男、直筆メッセ「あっという間…」
サンケイスポーツ 5月5日(土)7時51分配信
心疾患で休養中の俳優、地井武男(70)が4日、同日で最終回となったテレビ朝日の自身の番組「ちい散歩」に直筆メッセージを寄せた。約6年間の番組の歴史を振り返る総集編が放送され、最後に地井の自筆の言葉がつづられた手紙が映し出された。
「突然病に倒れ私自身もびっくり致しました。長きにわたり『ちい散歩』をご覧いただき声援を賜り番組をみなさんに育てて頂き担当者の一人として大変楽しくあっという間の6年でした。ありがとうございました」などとした。
この番組は好きで良く見ていました。
私に取っては1つの名番組がまた なくなり とても残念に思います。
また、昭和が遠く成ってしまった様な感じを受けます。
私が、お刺身等を食べに行く旅館を兼ねたお店にも来ていた様で、お店の方との写真が飾られています。
地井さんと言う方は芸能人なのですが、私と同じ千葉県出身と言う事も有り親しみやすい雰囲気を持った、その辺のおじさんと言う人柄も私は好きな所でした。
また、粋で礼儀正しく笑顔が素敵な方だと思います。
この様な「味のある俳優」さんが段々少なく成って来て、仮病で握手会を欠席したり、出来ちゃった婚で仕事をキャンセルしたり、二股掛けたりするわでロクでも無いのが増えている様な気がします。
最後に出演出来ずに、メッセージとは「相当悪いのかな」と思ってしまいましたが、文字もしっかりしている様で安心しましたし、次回から始まる番組の応援までしていた事はとても感激してしまいました。
本当に地井さんの誠実さが伝わる、温かい手紙だったと思います。
自宅療養生活との事ですので、そんなに心配する様な状態では無いと思いますが、今はゆっくりと治療に専念し病気を治して欲しいと思います。
6年間もの長い間、毎週本当にほのぼのとさせて頂いて感謝しています。
本当にお疲れ様でしたと伝えたいです。
完治されたらまた「ちい散歩」を再開して欲しいし「和風総本家」への復帰も出来ればして欲しいです。
テレビ局は、最後の放送位ショッピングのコーナー等休めば尚良かったと思いますし、ダイジェスト版か再放送をして欲しいと個人的には思います。
次回からは、加山雄三さんが後を引き継ぐらしいですが、地井さんより5歳も年上で大丈夫なのですかね。
地井さんのような、庶民感覚でのふれあいやスタッフへの気配りが期待出来るか、分りませんが、「海辺の散歩」の様に成ってしまわない様な放送を期待したいと思います。
![]() |
スズキ イグニス 2016/6/11納車されました。 納車後に直ぐ不具合が発生してそのまま入庫になったりし ... |
![]() |
メルセデスAMG Aクラス BMW135からの乗り換えです。 今度こそ10年位乗るつもりでしたが、家庭環境の都合で他 ... |
![]() |
ホンダ アコードワゴン 人気が無くてパーツも少なく弄れませんし私一人専用では大き過ぎるのでお別れしました。装備も ... |
![]() |
BMW 1シリーズ クーペ 次の車に当分乗り換えませんので、弄れるだけ弄りますって、弄っただけで嘘を付いてました、す ... |