近江国沙沙貴神社に行って来ました。織田信長の安土城の近所。で、なんで行ったか? ですが、うちの家の家紋がここの神社そっくり。
なんでかな?
この神社は近江源氏、宇多源氏の発祥の地であって、全国の佐々木さん発祥の地。なのに佐々木姓ではない私の家はどうして佐々木の家紋なのだろう?
うちの家紋は丸に平四つ目。下の写真の左端の様な四角いのが4個並んでいるやつ。
境内に入りお守りやご祈祷依頼をするところのおばちゃんに事情を話してみると、
私〇〇さんと言う名字は平安時代中期に出てくるバリバリの佐々木一族の名字だと言われた。六角氏や京極氏が出てくる以前の名字だそうです。これで謎が解けスッキリした。
小心者の私はさすがに「バイクが好きだZシールをどこかに貼ってもいいですか?」とは言えなかった。
佐々木家は近江の守護大名で、平安時代末期に全国64州だったか? の17州の守護大名として近江から散らばって行ったそうです。そこで佐々木ばかりではわからなくなるため名字を変えて行ったそうです。その数はすごい。
500円で買ったもの。ここに出てくる仁徳天皇は「おおささきのすめらみこと」と読むらしい。「うだのすめらみこと」が元祖で、「あつみのみこ」が宇多天皇の八番目の皇子。
ここに出てくる三井家が三井グループ、三越になり、高島家が高島屋。
佐々木系統の家紋
そしてそしてこの中に入っている名字の方は、平安時代から安土桃山時代を通して全員私の親戚。
嫁の母方のおばあさんは京都のど真ん中に住んでいる〇〇家。親戚になる1000年前から親戚やったん? 血が濃いもん同士の結婚はあかん言うけど親戚やった。1000年前やから大丈夫?
上の図の丸がついているところは山本さん、志賀さん、木村さん、西村さんの元祖だそうです。それに続く武将の下に書かれている名字が別れて行った名字。
下は拡大バージョン。見にくいので拡大したものを右から順に掲載。上から下へ、右から左へ順に年代が新しくなってゆきます。
この中に入っている人は全員私の遠い500年から1000年前の親戚。
下段27代氏郷は蒲生氏郷だと思います。伊達政宗と徳川家康の見張り番として秀吉により会津に飛ばされた人物。
下の写真に出てくる泰綱が京都六角通りに住んでいたから佐々木六角を名乗り、六角家の祖となりました。その横にある京極家は京都の京極町に家を構えていたからその地域名が京極町になったそうです。
この中に入っている名字の人は全員遠い私の親戚に当たります。また連絡してね。名字を見つけた人でここに行ける範囲の人は一度行ってみてください。
近くには安土城跡や和菓子、バームクーヘンの「たねや」本社があり、その前にはカモが泳ぐ沼地、西の湖があったのでバス竿持って行ったらよかったわ。
カモがいる、小魚がいる、バスが狙ってる。平安時代はブラックバスもいなかったでしょうね。
Posted at 2020/01/26 21:30:31 | |
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