写真は2018年の大阪北部地震後の家の中。こんなの大したことない。
家具が倒れて下敷きにならないだけマシ。
25年前、1995年の阪神淡路大震災の時は大阪市内のマンションの12階に住んでいたのですが、部屋ごと、人間ごと洗濯機の中に放り込まれた感じが夜明け前にやってきました。
家具は倒れ、食器はバリバリと音を立て、ガラスが落ち、電気もつかない闇に夫婦がいました。ベットに倒れてきた家具を押し戻し、ベットを力ずくで立て、当時妊娠していた嫁の上にまたがりベットを数分必死で支えていました。
犬の遠吠え、5分ほどしてサイレンが鳴り、しばらくして神戸方面に炎が見えました。まだ暗い朝でした。
当時も売り場はほぼ閉店。電車すら動いていない。復旧のめども立たない。出勤は遠方から徒歩。何をするってまずはガラスや残骸の除去。通信などインフラの整備。PCの動作確認に、取引先の安否確認。震災でアバウト6500人が亡くなりました。
家も会社も残骸で、かろうじて車は動いたので実家に避難したものの、実家も瓦は落ち、屋根が潰れなかっただけマシ状態。屋根が落ちてたら両親も死んでた。
国の救援、全国の自衛隊や消防署、警察は神戸に集中。ちょっと言いたいけど大阪も被害あったんよ。中途半端な被災地は自力で頑張るしかなかったのです。
そして今バイクに乗れていること自体奇跡。当時は被災して、その後子供を無事に授かり育て、なけなしの金で移住し、バイクを手に入れるなんて夢の夢だったのに、必死に働いてたら
あれ?
Z900RSが家に来た。
被災しても人生あきらめないでね。
Posted at 2020/07/21 22:57:03 | |
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