
何かヒントはないかな?
伊藤忠商事の創業者初代伊藤忠兵衛記念館に行ってきました。
滋賀県豊郷町、中山道沿いに本家はあります。この中山道には忠兵衛さんの本家も広大ですが、通り沿いを走っていると大きな邸宅がゴロンゴロンありました。
もともと本家(100m先にあります)は麻布を扱う紅長という会社。長男の伊藤長兵衛さんがその会社を引き継ぎ、次男の創業者は大阪で15才から丁稚奉公。伊藤忠商事の創業年はこの働き始めた年を創業年としています。
15才で働く? 当時江戸末期から明治では当たり前だったかもしれませんが、私は15才の時働くなんて全く考えられないノーテンキな男でした。
創業者は丁稚奉公の後、大阪で店を構え織物の商売を国内向けにはじめやがて輸出するようになります。
丁稚奉公から貿易会社。そのバイタリティーがすごすぎる。
さらにすごいのが伊藤忠兵衛さんと伊藤長兵衛さんの子孫が作ったのが丸紅。
関係あるとは聞いていましたが、番頭さん(今で言う専務)が伊藤忠から暖簾分けされたのだと思っていましたが、同一人物が2社を作った。すごい。
ところが初代が店を広げて行ったときに伊藤忠兵衛さん急死(61才)。
2代目伊藤忠兵衛さん17才。東京の大学にゆくはずが17才から大阪店で丁稚奉公。23才でイギリス留学。25才で帰国。伊藤忠兵衛襲名。
2代目は大阪で営業マンに自転車を導入した。今でいう郵便局や銀行が使うスーパーカブが当時自転車だった。飛躍的に営業が回るスピードが上がり、販路も拡大。
取扱品目も増える。
「三方よし」という言葉が出てきます。あ〜〜〜そういうことか。勉強になりました。
下の写真はアニメのモデルになった豊郷小学校。確か大阪心斎橋大丸百貨店を設計したボーリスの設計した小学校。当時のお金で60万円、現在でいうと20億円を初代忠兵衛さんが寄付をして建てられたそうです。
お金持ちになった忠兵衛さんの普段の生活は質素倹約。そして従業員思い。6のつく日に社員全員ですき焼き大会。花見、舟遊び。そして利益を公平に分配。
2代目はベンチャーというかインキュベーター的でもあり、新しい産業や銀行など多角化。戦時は縮小。17才から激動の人生。
人生そのものは参考になりませんが、勉強になりました。61才までは頑張ってバイクに乗ろう。(違うか)
そば処藤村で昼食
美味しかった十割蕎麦
考えてたんですがKomeさんみたいに旧街道をゆっくり動画を撮るのも面白いかな? と思いました。中山道、東海道の関西地区バージョン。京都五条大橋から。
結構すごい家、街並みがあって、どんだけでかいか。何してた家、人的なびっくりしますよ。
誰も見ないか?
Posted at 2020/11/11 22:13:37 | |
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