先日元海軍技術中尉の方の遺品を頂戴しました。
懇意にさせていただいた大先輩で、いろいろ当時の海軍のことを教えてもらいました。
艦船模型は自ら製作され、設計図を元にこつこつと細かいディティールを再現しておられます。
プラモデルメーカーのものもありますが、ほとんどが木製で手作りです。
タイトル写真はお宅の玄関にどーんと陳列された大型模型。
入った瞬間圧倒されました。でかい!
むっちゃ精巧で空母の1/200はでかいなー!
空母大鳳、戦艦長門 大和 重巡洋艦妙高 利根などなど
これを持って帰っても我が家におくとこもないしなー・・・。どないしょ?
まさに博物館級のコレクションです。
各海上自衛隊の基地に引き取っていただくか、大和ミュージアムかなー?
と思いつつ、たくさんの艦船模型を見せていただきました。
この中から我が家におけそーなものだけ、いただいて帰りました。
アウトバックのトランクにでーんと納まる艦船群。私の含めて三人分の頂き物。
ケースをこれから調達しないといけません。埃だらけになったら大変!ですし。
精魂込めて作られた熱気を感じるコレクションですので、ゴミにしたらもったいない!理解ある人に今後も引き継いでいき、歴史の継承をしたいと思います。
しかし改めて考えてみますと
帝国海軍の艦船が終戦時にほとんどが消滅したのは悲しいことです。
奇跡的に浮いていた主な艦船は戦艦長門、空母鳳翔、重巡妙高、軽巡酒匂などが損傷軽微で、開戦時600隻あまり保有した艦船が160隻あまりに激減し、生き残った艦船はほとんど大破着底、中破など損傷が酷く、上記の艦船がかろうじて生き延びました。
戦艦長門など数隻はその後、米軍のビキニ環礁での原爆実験で標的艦となり海没処分された。計2回の核実験が実施され1回目の空中爆発での実験では耐えて、2回目の水中爆発での実験で数日後沈没した模様。
当時日本では同時に標的艦となった米軍の艦船がつぎつぎと沈没していく中、長門は終戦時の損傷もそのままの状態にも関わらず、持ちこたえたことに帝国海軍の造艦技術の優秀さを国民皆が賞賛したとのこと。
その他残存艦艇はすべて海没処分、解体処分され戦後日本の軍事力ダウンを目的に米軍、英軍により進められました。
私が一番残念だと思うのは戦艦長門を横須賀の記念艦三笠みたいに保存できなかったかなー?と思うのです。ハワイのフォード島には米戦艦ミズーリが岸壁に洋上保存されているみたいに。
同じ大東亜戦争を戦った日米の戦艦として。(就役年は24年違いますが)
戦争を美化するつもりは毛頭もありません。
しかし日本が昭和20年を境にアメリカの傘下となり高度成長して生まれ変わった(アメリカによって)とは思いたくありません。
日本の歴史は途切れること無く続いています。
日本人の勤勉さ、負けじ魂、思いやりの心、など昔も今も同じです。
現代の人に帝国海軍を通じて戦前日本の世界3位までになった海軍力を少しでも知って欲しい、世界のビッグ7に数えられた戦艦を保有していたことなど。
私の海軍コレクションの中で、大型艦が追加され中々スペースが無い中整理せなあかんなーと思いつつ、最後このコレクションをどうしようかーとも考えてます。
長男は当然!帝国海軍に理解はありますが、嫁さんもろたらなー・・・といろいろ想像します。
は~・・・、とりあえず整理していこー。
Posted at 2021/11/27 17:51:02 | |
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