(つづきます。2022/8/20土曜日 旅行1日目の昼食後の行動です。)
吉田うどん「たけ川」さんを1300に出発し、1本道なのですが東富士五湖道路の富士吉田ICから入り名称が変わっていきます。このあと須走道路→御殿場バイパス。
快調に御殿場向けて南下します。
次の目的地は私のたっての希望であります「秩父宮記念公園」です。
森のエントランスです。
凛とした真っ直ぐ伸びたヒノキ林が迎えてくれます。
ここを通るとヒノキのいい香りと共に森林浴よりなにかもっと凄い下から突き抜けるようなパワーを感じます。
??でも・・・なんで公園なん?
そうですよね。
この公園は元々昭和天皇の直宮殿下(すぐ下の弟宮)であられた秩父宮雍仁(ちちぶのみややすひと)親王殿下と勢津子妃殿下が昭和16年(1941)9月から約10年間実際にお住まいになられた御殿場御別邸です。
なぜこちらに立寄ろうと思いましたのは、以前に「白洲正子自伝」を読みましてこの本に勢津子妃殿下との関わり、友情、親友と発展した経緯を読むに到り、文中に紹介されていました勢津子妃殿下の著書「銀のボンボニール」を購入読破しました。
大礼服姿は薩摩出身の樺山資紀(かばやますけのり)海軍大将。その膝の上にちょこんと乗せてもらっているのが孫の樺山正子(後の白洲正子)。後の吉田茂総理大臣の側近、白洲次郎の奥様です。
この著書に秩父宮殿下との出会いからお別れまでが詳細に書かれ、秩父宮殿下との最後の10年間をほとんど過ごされたここ旧秩父宮御殿場別邸が秩父宮記念公園として整備され一般に開放されていることを聞き到り、是非とも拝見したいと思い家族の了解の元訪れた次第です。
目当ては母屋と記念館です。
この母屋がお住まいになられた場所。記念館は両殿下の品々を観覧できます。
公園の場所は御殿場ICからほど近く、関東のライダーなら知らぬ人はいない箱根湯本へ抜けるR138「乙女峠」の手前、ちょうど入口の交差点西側に公園はあります。
もう亡くなった高校時代の親友が東京に就職し毎週この乙女峠を攻めてんねん!って言ってたのは38年も前になりますか。当時彼はGSX400R、その後TZR250で関東の峠を攻めまくり、筑波サーキットでも仲間とワイワイやってたらしい。
私も鈴鹿でレースしてたころで、西コースの練習でヘルパーしてくれました。
(あかん、泣けてきた)
そんなスピードを求めても命だけは落とさずにやってきたヤツが、大阪に帰ってきて自宅で食事中に突然大動脈瘤破裂であっけなく亡くなったのは50歳になってすぐ。そろそろ七回忌やな。乙女峠で想い出しました。(T-T) すんません。
秩父宮殿下は昭和16年陸軍中佐として参謀本部勤務中、肺結核を発症されここ御殿場別邸に隠棲なされました。
お身体が快方に向かわれる時期には敷地内の一部を農場として開墾され、地元の方とも和気あいあい野菜などの食物を栽培されました。
こちらが記念館(御遺贈品展示室)です。
まず展示第一は大正天皇よりいただいた大勲位菊花大綬章です。
私、実は勲章コレクターでもありましてずいぶん実物の高級勲章は拝見してきましたが、このケース(たぶん革製)は見たことが御座いません。
大勲位菊花大綬章の勲記です。大正天皇の御名(ぎょめい)の横に後の昭和天皇が摂政宮であられたときの御名いりです。
これはものすごく稀少な物です。
勢津子妃殿下が御結婚後、昭和天皇よりいただいた勲一等宝冠章です。
勲一等宝冠章でこの金蒔絵の箱と玉手箱式の房紐が付いたものは今だかつて見たことがありません。大変稀少な物です。
展示室の状況です。非常に稀少な品々が展示されています。
秩父宮殿下はスポーツの宮様として国民に親しまれ、お若い頃から登山、スキー、ラグビーに親しまれました。
写真は長野県岩菅山を登山されたときの写真。
左 秩父宮殿下。当時陸軍中尉で陸軍大学校在学中。
中 勢津子妃殿下(19歳お若いですねー。お綺麗です。)
右 竹田宮恒徳殿下。タレントの竹田恒泰氏のお爺様です。当時は陸軍予科士官学校生徒で20歳。
勢津子妃殿下がお嫁入りされる際の道具箱。会津葵の御紋章いり。
妃殿下は最後の会津藩主松平容保侯の孫になられます。
こちらが実際にお住まいになられた母屋です。
昭和27年1月に神奈川県鵠沼に移られるまで住まわれました。
昭和28年1月4日50歳で薨去あらせられました。
母屋の敷地の一角に殿下の銅像があります。
登山家であられた姿の若かりし頃のお姿で、その目線のさきには霊峰富士が聳えています。
秩父宮両殿下はそれぞれがお亡くなりになられるまで国民と共にの一念でいろいろなご活動をなさいました。
勢津子妃殿下は結核予防会総裁として殿下をお見送りになられた実体験から積極的に会の活動に晩年までご奉仕なされました。
この度こちらの秩父宮記念公園を観覧し、雄大な自然の中に地元の方々とお造りになられた菜園、陶磁器類などを間近に拝見しお二方の国民への奉仕の愛情を切々と感じた次第です。
なんともこころ癒やされ、完爾としてパワーをもらいました。
最後に恐れ多くありますが秩父宮両殿下のお写真を遥拝させて頂きます。
秩父宮雍仁親王殿下 昭和14年陸軍中佐の頃 Wikipediaより
雍仁親王妃勢津子妃殿下 昭和3年 婚儀の年 Wikipediaより
秩父宮殿下がお亡くなりになられ皇室のお仕事を一所懸命なさいました。
真ん中写真は右に昭和天皇皇后の香淳皇后陛下、左に勢津子妃殿下。
御殿場ICから東名に乗り本日の宿、「メルキュールホテル横須賀」に向かいます。(まだつづきます。お付き合いください・・・)(_ _)