本日2月11日は建国記念の日。祝日ですね。
戦前までは紀元節として同じく祝日でした。
ただ戦前、戦後でその取り組み方は大きく違います。
戦後は戦勝国アメリカの命令でことごとく戦前の風習を取り払われ、国民が挙国一致しないように天皇崇拝を排除され、日本国誕生の紀元とするこの日も排除されました。
亡くなった父は昭和9年生まれで終戦の昭和20年は国民学校5年でした。
その父から紀元節当日の模様を聴いたことがあります。
当日、学校は休みでしたが全校生徒は校庭に集合し、校長先生から紀元節の意義を拝聴し、東京の皇居の方向に皆で拝礼をしたとのことです。
教室に戻り担任の先生からも、お話があり最後に紅白まんじゅうをいただいて家に帰ったそうです。又学校では紀元節の歌を皆で合唱したとのこと。
紀元奉頌の歌
ということで今日は4年ぶりに奈良県は橿原市に鎮座する橿原神宮に参拝しました。
武漢ウイルスの影響で3年間は一般参拝者を入れずに神社関係者のみで紀元祭を行われておりましたが、この度奈良県人限定ではありまするが一般者を入れての紀元祭を挙行されました。
久しぶりに近鉄電車に乗りました。橿原神宮前行きの急行です。
橿原神宮前駅に到着。
駅前には天皇陛下行幸祈念碑などと共にひときわ異彩を放っているのが
黄色い郵便ポスト。説明書きにも神話の世界が書かれています。
あと17年後には紀元2700年を迎える看板が目を引きます。
昭和15年に挙行された紀元2600年記念式典から100年か・・・。感無量。
一の鳥居前まで来ますと大勢の参拝者とたくさんの車が列をなしています。
二ノ鳥居前。
今年は紀元2683年ですね。
さあ南神門を入ります。
外拝殿には大勢の参拝者です。この中の本殿境内には紀元祭の参会者が既に着席され1100の開式を待っておられます。
例年でしたら私共もこの中で式典に参加するのですが、参加資格は奈良県在住者のみということですので、残念ながら外拝殿での参拝で日本国の安寧と万世一系の天皇家の弥栄を寿ぎ奉りました。
参拝後は居合いの奉納演舞をされる上官家族に挨拶をして境内にて勅使をお待ちします。
勅使の通り道はロープで立入り禁止にされ、玉砂利が綺麗にされています。
今か今かとお待ちしていますと厳かに勅使一行が参道を進んで来られました。
写真はここまで。脱帽して最敬礼です。
勅使とは天皇陛下のお使いのこと。菊のご紋の中身は幣帛(へいはく)といい天皇陛下が神前に奉献される五色の絹、綿などの織物のことです。
これで私共の式は終了で、御直会(おなおらい)でお昼御飯に直行です。
いつもこちらで食事をします。橿原神宮前駅内の駅中居酒屋「きはる」さん。
食べさしですみません。家内とふたり分のおでんからいただきます。
熱燗の大(二合)。しっかりと味がしゅんで美味しゅうございます。
熱燗大のおかわりと他人丼とミニうどんセット。
食後は満腹でお酒四合もよばれて、ほろ酔い気分で近鉄急行に乗車。爆睡です。
いやーほんと久しぶりの橿原神宮紀元祭でした。多くの参拝者で賑わっていました。来年は武漢コロナ規制もなくなり今まで通りの紀元祭になると思います。
世間はやっと通常に戻りますね。
本日は紀元節、お目出度うございます。😊👍
Posted at 2023/02/11 23:14:38 | |
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