ラリーファンの方は、今更説明する事など不用なのですが・・・
Gr.4に代わるラリーカーのトップカテゴリーとして1982年に制定され、翌83年から本格的に運用されたGr.B
ベース車両は200台生産すれば良く、更にそのラリーカーバージョンは20台製造すればFIAの公認を取得出来るという事で、過給機付きエンジンをミッドシップに搭載した4WDのモンスターマシンが登場する事に
トヨタは当時、セリカTC(ツインカム)ターボと言う軽量のFRマシンをGr.Bとして戦いに挑んでいたが、高出力を後輪のみで路面に叩き付けるには限度があり、4WD勢に劣勢を強いられていた
ハイパワーになり過ぎて開発コストも高騰し、更に安全性も危惧されたGr.Bに対して、最高出力を300馬力に制限する一方で、ホモロゲーションに必要な台数を、僅か10台とし、より多くのメーカーの参戦を促そうとして、新たにGr.Sと言うカテゴリーを制定
トヨタはGr.B並びにGr.Sに対する答えとして、初代MR2(AW11)をベースとした222Dを開発したのだが、1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発
止めとなったのは1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイヴォネン / セルジオ・クレスト組の事故死で、FIAは1986年を以てグループBの廃止を決定したため、幻のマシンと・・・
世界に2台しか無いとも3台しか無いとも言われ、確認されている黒の車体は初期モデルで、白の車体は改良モデルと言われてますが、果たして真実は・・・
そんな222Dのミニカーを(^^;
マイルストーン WIT'Sとかのモデルで、実車で存在するのかも判らないカラーリングのマシンですが手に入れました(笑)
Posted at 2023/12/21 20:38:31 | |
トラックバック(0) | 日記