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2024年08月24日 イイね!

ポイントシステムの見直しを

ポイントシステムの見直しを『WRC2 contenders ask for revision to points system』

オリバー・ソルベルグとヨアン・ロッセルは、WRC2のトップドライバーはもっと頻繁に戦うべきだと考えている

WRC2クラスのタイトル候補者であるオリバー・ソルベルグとヨアン・ロッセルは、ドライバーがポイントを獲得するイベントを選択できる現在のチャンピオンシップのルールに不満を表明した

WRC(世界ラリー選手権)のWRC2クラスの参戦者は、年間13戦のラリーすべてに参加できるが、ポイントを獲得できるのは指定した7戦のみで、ドライバーは、その7戦のうちのベスト6戦の結果で、最終的なチャンピオンシップの獲得数を決定する

プロモーターが5戦のイベントスケジュールを固定し、各ラリーで全員が互いに戦うJWRCなどのカテゴリーとは異なり、WRC2クラスではタイトル候補者が定期的に戦わなくてもタイトルを獲得できる

有名な話だが、カイエタン・カイエタノビッチは2022年に、競争があまり激しくないフライアウェイイベントに参加することでチャンピオンシップキャンペーンを組み立て、最終的には日本でライバルのエミル・リンドホルムと対決したが、伊勢神トンネルの出口でクラッシュして負けた


カイエタノビッチは過去に、WRC2クラスのルールを有利に利用したことがある

今シーズン、ニコライ・グリアジンは同様の戦術を駆使し、これまで3つのイベントのみを指名し、チャンピオンシップで全員がどう戦うかを見守っている。したがって、彼はシーズンの残り4つのイベント(アクロポリス、チリ、中央ヨーロッパ、日本)すべてでポイントを獲得する事ができる

​​しかし、ソルベルグ、ロッセル、サミ・パヤリは現状ではチャンピオンシップで最上位に位置しているが、全員がポルトガルでの一度しか対戦していない

「それが面白いとは思わない」と、ポイントリーダーのソルベルグはDirtFishに語った

「みんな同じラリーをやればいいと思う。チャンピオンになるなら、どこでも速くなければならないと思います」

「僕の思いを言うなら、あれこれ選ぶことは気にしません。僕の目標はWRCだから答えは簡単な事で、トップカテゴリーで戦うなら何処でも速くなければなりません。だから、あらゆるラリーでベストを尽くすようにしています。ただ、それだけです」


ソルベルグはあらゆるイベントで最高のドライバーと戦いたい

現在の規則により、一部のドライバーはどこで戦うかについて策略を練っていますが、ソルベルグは違います

次のラウンドがいつなのかと聞かれると「チリです。どのラリーに参加するか言うのは怖くありません。なぜなら、タイトルを獲得したいのなら、とにかく全員に勝たなければならないからなので、気にしません」と、彼は答えました

アンドレアス・ミケルセンは以前、タイトルを争っていたときに、WRC2クラスのすべてのドライバーが、同じラリーに参加できる方法を見つけるようFIAに要請しましたが、2022年の規則は変更されませんでした

「また、チャンピオンシップのすべてのラウンドでWRC2クラスのバトルが非常に良かったことも忘れてはならない」と、FIA ロードスポーツディレクターのアンドリュー・ウィートリーは当時主張した

「商業的にプライベートチームにとってサポートするには多すぎる7回~8回のイベントに限定すれば、7回~8回のイベントでは良いバトルができたが、WRC2クラスの開催されない他のイベントは、何の魅力も無いものになっただろう」



しかし、ロッセルもソルベルグと同様に、変更を検討すべきかどうか考えていた

「オリバーと何回対戦したかはわからないが、チャンピオンシップ全体で2回くらいだったかもしれない」と、ロッセルはDirtFishに語った

「自分がどこに位置しているのかを知るのは決して簡単ではない。誰にとっても同じだと思う。でも私にとっては、それは自然なことではない」

「オリンピックを見ると、100メートルや水泳で同じレースに出場しないのであれば、おそらくそれを適応させることができるでしょう」

「しかし僕にとっては、あらゆる路面でスピードを見せつける事が大事だと思っています」


ロッセルはあらゆる路面でスピードを見せつけることを目指しています

ロッセルは今シーズン、WRC2ポイントをめぐってソルベルグと再び戦う予定はなく、アクロポリスがポイント獲得イベントの5戦目に選ばれ、中央ヨーロッパが最後のイベントになると予想されています

一方、パヤリはアクロポリスに出場しますが、最後のイベントが何であるかは不明です

「明らかに、次はギリシャだと思います、そして、残りはその後のイベントです」と、彼はDirtFishに語りました

しかし、南米でソルベルグが勝利すればスウェーデン人のタイトル獲得が有力となるため、パヤリはチリに出場すると予想されます

ラリー・チリへのエントリーは8月27日火曜日に締め切られ、エントリーリストは1週間後(9月3日)に発表されます

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確かにWRC2クラスのポイントシステムは複雑ですよねぇ

だからと言ってWRCと同じ様にしようと思っても、ワークスのみで資金力があるトップカテゴリーに比べると、プライベーターが大勢を占めるWRC2クラスでは全戦出場を義務付ける事も出来ないですしねぇ・・・

プロモータには、WRCのポイントシステムの見直しだけでなく、WRC2クラスのポイントシステムも見直しして欲しいですよね
Posted at 2024/08/24 21:02:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年08月24日 イイね!

”音速の貴公子”の、もう一つの顔

”音速の貴公子”の、もう一つの顔『Ayrton Senna’s famous rally car test remembered』

人里離れたどこか、路地を進んだ小道の先でバンが止まっていた為、先へ進むことはできず、後続のメルセデスのドライバーは苛立ちを募らせていた

低く垂れ下がった枝に絡まったはしごが見つかり、誰かが登って木を剪定するためにバンに立てかけられていたのだ

アイルトン・セナは車から降り、瞬く間にはしごを登り、バンの上に乗り、邪魔な枝をノコギリで切り落としていたが、周りの人々は立ち止まって見ていた

時間を無駄にしないセナはメルセデスに戻り、車列に先へ進むよう合図した

ウェールズへようこそ

1986年、ロータスで複数回のグランプリ優勝経験のあるドライバーは、カルノ郊外の本物の森林ステージで、ルノーエンジン搭載の98Tを数台のラリーカーと交換することに同意した

数週間前を巻き戻そう・・・

Cars and Car Conversions の編集者、ラッセル・バルジンのオフィスに向かったところ、彼は副編集者のマーティン・シャープを呼びました

「彼は私にドアを閉めるように言いました」と、シャープは DirtFish に語りました

「すべては陰謀でした。彼は声を低くしてこう言いったんだ『アイルトンにラリーカーを運転することに同意してもらった』。私は彼をじっと見つめてからこう言いました『じゃあ車を用意したほうがいいのかい』」


アイルトン・セナは、メトロ 6R4 やシエラ・コスワースなど、さまざまなラリーカーを試乗しました

こうして、モータースポーツジャーナリズムの歴史の中で最も偉大な物語の 1 つが始まりました

当時4度のレース優勝経験を持つこのブラジル人は、急速にF1の寵児になりつつあり、彼の才能は、前シーズンのエストリルでの画期的な勝利から明らかだったように、否定しようのないものだ

そして今、彼はボクスホール・ノヴァ(1年後にコリン・マクレーがさらに有名にしたのと同じラリーカー)、フォルクスワーゲン・ゴルフ、メトロ 6R4、フォード・シエラ RS コスワース、そして非常に特別なエスコートを運転することになる

​​どうしてそうなったのか?

「それはバルジンとアイルトンとの関係性から企画されたんだ」と、シャープは笑う

悲しいことにバルジンはもうこの世にいないが、ペンを手にした彼は、セナと対等の関係だったが、運転するときにはアクセルを踏む必要があった

「ステージに向かう朝、私はアイルトンのメルセデスに乗って行き、ラッセルは自分の車で後を追った。いや、彼は後を追おうとしたけど、彼は私たちを見失った。どのメルセデスだったかは覚えていなかったし、セナがスムーズで速かったので」

A470を曲がると、彼らはバンを発見した

「彼は何が起こっているのかを見て、本能的に降りてきて修理を手伝った」とシャープは続けた

「信じられないような光景だった。アイルトン・セナがバンの上に登り、木の枝を切るためにのこぎりを頼んでいた。現代のF1ドライバーがするようなことは本当にない」

森の中に入ると、セナが限りなく落ち着いた精神状態でいられる場所から遠く離れているのは明らかだった

「彼はラリーカーを運転したことはないが、テレビで少し見たことはあると言っていた。彼が最初に運転したラリーカーはフィル・コリンズのシエラだった。正直に言うと、あれはひどいラリーカーで、ラリーカーを経験するには最悪の車だった」と、シャープは付け加えた

上手くいかなかった

コリンズ:「私は彼をステージの周りに連れて行き、どんなふうにラリーカーを走らせるのかを見せたんだが、彼は車から降りて、みんなに私の頭がおかしいと言った。しかし、次は彼の番で、最初のコーナーは急な右カーブだった。私は彼に言ったんだ『ここはシルバーストーンじゃない。ワイドラインを取らないとマーブルに乗ってしまうので、ノーズをしっかりと内側にむけて』また、次の土曜日のチャンピオンシップを決めるイベントのために、車が必要な事を彼に思い出させた

「もちろん、彼は私の言うことを完全に無視して、ワイドに走り、マーブルに乗って車をスライドさせて木にぶつけた。幸い、そんなにスピードが出ていなかったので大きなダメージはなく、路上に復帰して彼は謝ったよ」

その後、彼は他のラリーカーをドライブしに行ったんだけど、暫くして戻ってきて「フィル、乗せてあげたい」と言って来て、私は遠慮したが、結局助手席に座った

「まるで叙情詩が流れているようだった。彼はまるで何年も運転してきたかのように私の車を扱った。彼は最初は下手だった。心配になるほど下手だったが、車を覚える速さは実に印象的で、私が言ったように、彼は数回の走行で天性の才能を発揮した」


その日を通してのセナの進歩は、それを目撃する幸運に恵まれた人々を驚かせた

彼はすべてのラリーカーを楽しんだが、思っていたよりもはるかに楽しんだと認めたのだが、シャープはエスコートをドライブした時の事を特別なものとして覚えている

「彼が最も楽しんだのはエスコートだったと思う」と彼は言った

それはアラン・エドワーズの車で、3.4リッターのコスワースV6エンジンを搭載し、約450馬力、四輪駆動でした。信じられないくらい素晴らしい車でした

「テスト用に希望していた車を用意できなかったのは事実です。短期間で手配するのは簡単ではありませんでしたが、彼は運転した車が大好きでしたし、標準的なラリーカーからエスコートまで、あらゆる車に乗り、あっという間に高速で運転できる彼の能力が本当によくわかりました」

「セナが有名な黒いレーシングスーツと黄色いヘルメットをかぶってラリーカーを運転していた日を一緒に過ごし、その後は森の道を抜けてサンドイッチと紅茶を飲みに行きました。今では、最初にミルクを入れたいかどうか尋ねた事も、全てが非現実的で、それは、誰にとっても忘れられない日でした」

今週末に開催されるシルバーストーン・フェスティバルで、フォード・シエラとメトロ 6R4がセナがドライブしたマシンに加わり、その思い出は生き続けます

Ayrton Senna Rally Car Test- Metro 6R4 (1986)


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1986年と言えば、名実ともにロータスのNo.1ドライバーとなった年

F1で頭角を現して来たばかりのセナが、もし、F1ドライバーを諦めてラリードライバーになっていたら、記録(記憶)に残るドライバーになっていたでしょうか?

或いは、マクラーレン・ホンダと共にF1から退いて、ラリードライバーになっていたら、記録(記憶)に残るドライバーになっていたでしょうか?

Gr.AカーやWRカーにセナが乗っていたら、どんなドライビングを見せてくれたでしょうかねぇ?
Posted at 2024/08/24 17:58:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「自分の時代もDクラスは花形で、モンタジさんのカルタス・ツインエンジンやキャロッセのフロントミッドシップ・カローラが(^^;@クーゲル?ジーノ」
何シテル?   06/22 11:49
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