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ヤリ=マティ・バラバラのブログ一覧

2024年09月20日 イイね!

マシン次第かと・・・

マシン次第かと・・・『Wilson wants to make Fourmaux world champion by 2026』

M-スポーツ・フォード・チーム代表のマルコム ウィルソンは、WRC(世界ラリー選手権)での「明確な野望」はアドリアン・フールモーを世界チャンピオンにすることだと語るが、フランス人ドライバーがライバルチームと話をしていなかったら「がっかりする」と付け加えた

フールモーは2024年シーズンの目玉の1つであり、2年前のクラッシュ多発ドライバーから大幅に改善されたドライバーとして、Rally2での1シーズンを経てRally1のドライブに戻ってきた

現在、フールモーは世界選手権でランキング5位だが、今シーズン10回の出走で4回表彰台に上り、トヨタのエルフィン・エバンスとはわずか10ポイント差だ

「正直に言って、彼は素晴らしいシーズンを送っている。私の期待を超えている」と、ウィルソンはDirtFishに語った

「我々が再び行ったこと(彼をRally2に降格させたこと)はうまくいったようで、彼に自信を与えた。彼は人として大きく成長した。彼は素晴らしいシーズンを送っている。それを彼から奪うことはできない」


フールモーは2024年のパフォーマンスで皆の期待を上回った

フールモーの将来は大きな憶測の的となっていて、2025年はM-スポーツだけでなくヒョンデでもオプションがあると考えられているからだ

フールモーはそのような話については口を閉ざしたままだが、DirtFishに対しては「難しい決断になるだろう」と言うことと、来シーズンについては「話し合いがある」ことを認めた

ウィルソンはスタードライバーをキープしたいと心から思っており、M-スポーツがキープできると「かなり自信を持っている」が、M-スポーツ自体の来シーズンのWRC参加はまだ確定していない

フールモーがヒョンデと話し合いをしているという噂について、何を言うべきかと尋ねられたウィルソンは、「正直に言うと、アドリアンがヒョンデとトヨタと話をしていなかったらがっかりするだろう。しかし、結局のところ、私たちはまだ何をしているのか正確にはわかっていません」と、答えた

「でも正直に言うと、私たちがまだここにいるなら、アドリアンもまだここにいると確信しています」

M-スポーツの将来は、ラリー・チリの頃にはより明確になると予想されています


ウィルソンは、M-スポーツの将来のWRC参加を100%確認するために取り組んでいます

「残念ながら、これまでと同じように続けることはできません」とウィルソンは付け加えました。「でも、待ってみましょう。ご存知のとおり、WRCから立ち去ることは、私が最も望まないことで、WRCが私の人生でした」

「フォードは私とまったく同じで、ラリーに留まりたいと思っています。今はダカールに大きなコミットメントがありますが、フォードがオフロードの世界にさらに移行していることは間違いありません。そうですね、確かに願望はありますが、結局のところ、投資収益率の問題であり、それが現時点での大きな目標です」

「でも正直に言うと、私の明確な野望は、アドリアンを世界チャンピオンにすることです。そして、私の観点からすると、彼は2026年にはそれを達成できると思います」

フールモーは、上司からのその評価に当然ながらうれしく思いました

「マルコムはみんなに、私が2026年に世界チャンピオンになるだろうと言っていると思います。とても面白いですね」と、彼はDirtFishに語りました

「でも、いずれにせよ、マルコムが私を信じていることを示しているので、とても誇りに思っています」

「そして、ええ、彼は私にうまくやってほしいというプレッシャーもかけていますが、とにかくそれが正しい方法だと思います」

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M-スポーツ・フォードには悪いのですが、やはり純粋なワークスのヒョンデやトヨタに比べると、どうしてもマシンの競争力は劣ってますよねぇ

その劣るマシンでこれだけの成績を収めているとなると、他チームからも注目を集めるのは仕方の無い事で、引き留めておきたいのなら、マシンの競争力を上げなくてはねぇ・・・

フールモーは、来季のドライバー市場のキーパーソンですよね
Posted at 2024/09/20 21:35:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年09月20日 イイね!

奇跡の同タイム

奇跡の同タイム『When team-mates tied for a WRC rally win』

最近のギリシャのアクロポリス・ラリーでサミ・パヤリとロベルト・ヴィルヴェスがWRC2クラスで同着優勝したのは印象的だったが、WRC(世界ラリー選手権)の総合優勝で同着優勝したほどではない

ギリシャで繰り広げられた出来事と、1985年のコート・ジボワール・ラリーの出来事の間には明らかな違いがあるのだが、奇妙な事に、どちらのイベントもトヨタを駆るフィンランド人が勝利した

コート・ジボワールの場合、ユハ・カンクネンがトヨタのチームメイトであるビョルン・ワルデガルドとの同タイムながら勝利したのだが、2台のセリカ・ツインカムターボは、3位のアラン・アンブロシノ(日産 240RS)に1時間半以上の差をつけていた

「ロードイベントのみで、ステージはありませんでした。[代わりに] オールタイム コントロールでした」と、カンクネンの勝利に貢献したフレッド・ギャラガーはDirtFishに語った

「実際のところ、数字はまったくわかりませんが、TC25からTC26が同点判定になるとレギュレーションに書かれていました。つまり、相手より1分か2分もタイムを縮めた方が勝つということだったのです」

「でも、あれからほぼ40年経った今でも、ユハと私は同点判定のルールが何なのか、知らなかったと言っていたと思います」

「でも、本当に知らなかったのです」


カンクネン(右とギャラガーは、1985年にサファリとコート・ジボワールの両方で優勝しました

これはカンクネンにとって、23回のWRC優勝のうちの2回目であり、4度のワールドチャンピオンに輝いたカンクネンは、その年の3月のサファリで躍進的な勝利を収め、そのシーズンのアフリカでの快勝を達成した

コート・ジボワールはサファリとはまったく異なるチャレンジでしたが、勝つには同様のアプローチが必要でした

「サファリに似ていましたが、はるかに荒れた路面で、速度も遅いルートでした」と、ギャラガーは回想します

「宿泊施設は、当時のケニアにあるものと比べると、見劣りしましたが、レッキでホテルに着くと、どの町にもフランス料理のレストランがあったことです。コート・ジボワールはかつてフランスの植民地だったので、いつもおいしいディナーとおいしいワインを楽しめました」

「でも、それは楽しみではありませんでした・・・ご存知のとおり、当時のサファリのように毎年戻ってくるなんて夢にも思いませんでした」

「その年のサファリでは、シェカー・メッタが通常通りであれば1位か2位、3位にはなるであろうと思いました。シェカーに失礼な言い方になるかも知れませんが、ユハはシェカーよりかなり速いドライバーでした。そしてトヨタはシェカーの日産よりかなり速いマシンでした」

「だから最初の2、3日はシェカーを追いかけて彼のペースで走るというアイデアで、実際にそうしたところ最初のサービス後には8位から3位まで上がりましたが、その後シェカールはコースアウトしました。その頃には、走るペースがわかっていましたので、それをコート・ジボワールに持ち込みました」


コート・ジボワール・ラリーで勝つには、戦術的なアプローチが必要でした

「Gr.Bのマシンで1時間半の大差を付けて勝つなんて、とてもリラックスしたレースで、まったくストレスはありませんでした。ヘンリー・リドンは素晴らしいチームマネージャーでした。ヘンリーはアフリカを知り尽くし、アフリカを愛していました。ですから、成功の大部分はヘンリーのおかげです」

1985年、トヨタにとって最大の脅威となったのは、コート・ジボワールでWRCに初参戦したミシェル・ムートンのアウディでした

控えめに言っても波乱に満ちたレースで、最も有名なのは、アウディが夜中にマシンを入れ替え、ムートンにチームメイトのフランツ・ブラウンのスポーツクワトロを渡したのではないかという憶測が有名な事です

しかし、ムートンはイベント前のレッキでもトラブルに見舞われました

「ユハと私、 ビヨルンとハンス・ソルセリウス、そしてアルネ・ハーツと一緒にいたミシェル・ムートンは、一緒にレッキをしました。当時は本物のマシンを使っていたので、全員がGr.Bのマシンに乗っていました」と、ギャラガーは語った

「ミシェルが先頭で走っていて、砂ぼこりなどのために2分の差がありました。ユハと私は2番目で、当時のラリーのスピードでレッキをしました。そして、コーナーを曲がると、右側の溝にかなり廃車になったアウディが横たわっていて、ミシェルは鉄道車両にマシンをぶつけていました」

「 ビヨルンは素晴らしいメカニックでもあり、数時間後にはクワトロを運転可能な状態にしましたが、運転席のドアが外れたり、いろいろなものが壊れていました。ミシェルはショックで運転できなかったので、ユハがアルネ・ハーツと一緒にアウディ・クワトロを運転しました。ビヨルンはハンスと一緒に先頭に立ち、全員のメモを取りました。私はミシェル・ムートンをコ・ドライバーとしてトヨタ・セリカ・ツインカムターボ Gr.Bをドライブしました。約200~250kmのグラベルを走行しましたが、私の本業はドライバーではありません」


左から: ギャラガー、カンクネン、ワルデガルド、ソルセリウス

「このことを彼女に話したのは確か数年前だったと思うけど、彼女は当時ショックを受けていて、何も覚えていないと。そしてもちろん、それはアウディが夜にマシンを交換したがリタイアしたイベントで、大きな話題のラリーでした」

しかし、見出しを飾る同タイムでの勝利については、ギャラガーは個人的な満足感を味わってはいない

「どちらのクルーも勝利に値したので、実際に勝利を分け合えなかったのは、ある意味残念で、クルーでは無くチームの勝利だった」と、彼は語った

「どちらに転んでも、まったく恨みはなかった。私たち4人はとても仲が良かった。何でも共有していた。いつも一緒に食事をし、一緒に飲み、一緒にパーティーし、一緒に旅行した。とにかくみんなが仲良くしていた」

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現在のWRCスポーティングレギュレーションでは、同タイムでフィニッシュした場合にはオープニングステージで速かったドライバーの順位を上とすると定められていることから、ギリシャの勝者はパヤリとなりました

当時のコート・ジボワールは、今では考えられない程のイベント総距離4103.00kmと言う長丁場で、TC25からTC26が同点判定になるとレギュレーションに書かれていたと言う事ですから、最終日の最初のSSと次のSSか、最終SSと1つ前のSSだったのでしょうねぇ

それにしてもWRCの長い歴史の中でも、トップカテゴリーで同タイムだったと言うのは、この1戦だけなんでしょうね
Posted at 2024/09/20 19:09:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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