
(タイトル画像は
ヤマハのWebより)
先日のライディングパーティで、元世界チャンピオンの原田哲也さんにお会いすることができました。
原田さんが活躍していた頃の記憶が蘇ってきて懐かしくなったので、思い出をまとめて書きたいと思います。
原田さんは、92年に全日本チャンピオンになり、93年から世界GPの250ccクラスに参戦しました。TZ250Mという市販レーサーベースにワークスパーツ組み込んだマシンで、参戦初年に世界チャンピオンとなったのでした。
チャンピオンを決めたのは最終戦でした。ホンダNSR250に乗るポイントリーダーのカピロッシを上回るには、原田が優勝して、カピロッシが4位以下じゃないといけないという厳しい状況でした。
レース序盤はカピロッシと4位争いをして、トップのルジア(肘擦りルジア、今年チャンピオンになったマルケスの肘擦りが話題になりましたが、肘擦りといえばこの人)の転倒があったりしましたが、原田の順位はなかなか上がってこなかったので、こりゃダメかなと思い始めた中盤、ようやくカピロッシをかわし、ペースを上げ始め、鬼神の走りで、あれよあれよと言う間に、トップに近づいてきたのでした。
原田に抜かれたのがショックだったのか(タイヤの問題だったらしい)、カピロッシは走りを乱し、コースアウトしたりして、原田には追いつけない順位を走ることに。
原田はそのままトップでゴールし、見事に世界チャンピオンになったのでした。このレースはテレビで生中継されて、手に汗を握り応援してました。印象に強く残っているレースの一つです。
1983年WGP250ccクラス最終戦
その1
その2
その3
その4
次の年からイタリアのアプリリアに乗るイタリア人のビアッジとチャンピオン争いを3シーズンに渡り繰り広げましたが、ビアッジには勝てませんでした。ワークス体制ではないヤマハのバイクはアプリリアに直線では歯が立たずでした。
その後、原田はヤマハを離れ、ライバルのアプリリアに入りました。(ヤマハで育ってきた原田にとっては大きな決断だったと思います)
ビアッジは原田に押し出されるようにホンダに移籍し、再びチャンピオンを争うことに。結果は残念ながら再びビアッジがチャンピオンに。ビアッジはその後、500ccクラスにステップアップした為、結局ビアッジには勝てなかったのでした。
97年からはチームメイトに500ccから戻って来たカピロッシが加わり、98年には125ccでチャンピオンになって250ccに上がってきたばかりのまだまだ悪ガキのロッシ(イタリア人)が3番目のチームメイトになったのでした。(ロッシは今じゃ偉大な世界チャンピオン、スーパースターです)
98年の最終戦は悪い意味で、忘れられないレースになりました。
ランキングトップだったカピロッシと2位の原田は、レース序盤からロッシを含んだ3台でトップを争い、牽制し合ってました。カピロッシトップ、ロッシ2位、原田3位で最終ラップに。カピロッシがミスをして、ロッシ、原田に抜かれ、この順位だと、ポイントが並び、勝利数の多い原田がチャンピオンという状況でした。
そして、最終一つ前のコーナー手前で、原田とカピロッシの差がちょっと出来、原田のチャンピオンがほぼ決まったと誰もが思った次の瞬間、カピロッシが到底止まれないスピードで原田のインに直線的に突っ込んできました。衝突された原田はコースアウトして転倒しリタイヤ。転倒しなかったカピロッシはゴールしました。この行為により、カピロッシはこのレースは失格となりましたが、ポイントをリードしていたカピロッシがチャンピオンとなったのでした。
転倒した後、原田が走り出せば、チャンピオンを取れたのかもしれないですが。
夜中に生中継を見ていたと記憶してますが、この後、怒りで寝るどころではなかったです。
その後カピロッシは、アプリリアから放出されてしまいました。
このレースに勝ったのはロッシでした。
このシーズンの二人の大人の意地の張り合いを後ろで見ていたロッシにも大きな影響を与えたかもしれないです。
1998年WGP最終戦
原田選手は、すっかりイタリアに馴染み、インタビューはイタリア語で答え、イタリアのテレビCMに出たりと、イタリアで一番有名な日本人だったそうです。(中田英寿より有名だったとか。今は長友が一番有名かな)
これだけイタリアのチーム(海外のチーム)から大事にされた日本人はいまだかつていないと言っても良いのではないでしょうか。
98年の最終戦以来、完全にダーティなイメージで嫌いだったカピロッシですが、ドゥカティがMotoGPに参戦し始めた2003年からドゥカティに乗り、それなりの戦績を残してくれた(もてぎ3連勝とか)ので、なんとか許す気になりました。
ドゥカティの博物館では、カピロッシが乗ったMotoGPマシン(デスモセディッチ)を見ましたし。
YuoTubeに二つのレースの様子がアップされてます。改めて見直しました。今見てもドキドキします。
1993年以降、250ccクラス(現在のMoto2クラス)で日本からチャンピオンになったのは、2001年の加藤大治郎と2009年の青山博だけです。それ以外では、1977年350ccクラスの片山敬済、125ccでは、坂田和人、青木治親がそれぞれ2回ずつチャンピオンになってます。最高峰クラスでは、まだチャンピオンになった人はいません。(今シーズンMoto2クラスで活躍した中上はまだ若く、今後に期待してます)
ライディングパーティで原田さんお会いできて、本当に感激でした。
原田さんは今後もライディングパーティに参加してくれるかもしれないとのこと。また走る姿が見られるのが楽しみです。
本文中は敬称略とさせていただきました。
Posted at 2013/11/24 12:56:37 | |
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