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2013年11月24日 イイね!

原田哲也選手の思い出

原田哲也選手の思い出(タイトル画像はヤマハのWebより)

先日のライディングパーティで、元世界チャンピオンの原田哲也さんにお会いすることができました。
原田さんが活躍していた頃の記憶が蘇ってきて懐かしくなったので、思い出をまとめて書きたいと思います。

原田さんは、92年に全日本チャンピオンになり、93年から世界GPの250ccクラスに参戦しました。TZ250Mという市販レーサーベースにワークスパーツ組み込んだマシンで、参戦初年に世界チャンピオンとなったのでした。


チャンピオンを決めたのは最終戦でした。ホンダNSR250に乗るポイントリーダーのカピロッシを上回るには、原田が優勝して、カピロッシが4位以下じゃないといけないという厳しい状況でした。
レース序盤はカピロッシと4位争いをして、トップのルジア(肘擦りルジア、今年チャンピオンになったマルケスの肘擦りが話題になりましたが、肘擦りといえばこの人)の転倒があったりしましたが、原田の順位はなかなか上がってこなかったので、こりゃダメかなと思い始めた中盤、ようやくカピロッシをかわし、ペースを上げ始め、鬼神の走りで、あれよあれよと言う間に、トップに近づいてきたのでした。
原田に抜かれたのがショックだったのか(タイヤの問題だったらしい)、カピロッシは走りを乱し、コースアウトしたりして、原田には追いつけない順位を走ることに。
原田はそのままトップでゴールし、見事に世界チャンピオンになったのでした。このレースはテレビで生中継されて、手に汗を握り応援してました。印象に強く残っているレースの一つです。
1983年WGP250ccクラス最終戦
その1
その2
その3
その4

次の年からイタリアのアプリリアに乗るイタリア人のビアッジとチャンピオン争いを3シーズンに渡り繰り広げましたが、ビアッジには勝てませんでした。ワークス体制ではないヤマハのバイクはアプリリアに直線では歯が立たずでした。
その後、原田はヤマハを離れ、ライバルのアプリリアに入りました。(ヤマハで育ってきた原田にとっては大きな決断だったと思います)
ビアッジは原田に押し出されるようにホンダに移籍し、再びチャンピオンを争うことに。結果は残念ながら再びビアッジがチャンピオンに。ビアッジはその後、500ccクラスにステップアップした為、結局ビアッジには勝てなかったのでした。
97年からはチームメイトに500ccから戻って来たカピロッシが加わり、98年には125ccでチャンピオンになって250ccに上がってきたばかりのまだまだ悪ガキのロッシ(イタリア人)が3番目のチームメイトになったのでした。(ロッシは今じゃ偉大な世界チャンピオン、スーパースターです)

98年の最終戦は悪い意味で、忘れられないレースになりました。
ランキングトップだったカピロッシと2位の原田は、レース序盤からロッシを含んだ3台でトップを争い、牽制し合ってました。カピロッシトップ、ロッシ2位、原田3位で最終ラップに。カピロッシがミスをして、ロッシ、原田に抜かれ、この順位だと、ポイントが並び、勝利数の多い原田がチャンピオンという状況でした。
そして、最終一つ前のコーナー手前で、原田とカピロッシの差がちょっと出来、原田のチャンピオンがほぼ決まったと誰もが思った次の瞬間、カピロッシが到底止まれないスピードで原田のインに直線的に突っ込んできました。衝突された原田はコースアウトして転倒しリタイヤ。転倒しなかったカピロッシはゴールしました。この行為により、カピロッシはこのレースは失格となりましたが、ポイントをリードしていたカピロッシがチャンピオンとなったのでした。
転倒した後、原田が走り出せば、チャンピオンを取れたのかもしれないですが。
夜中に生中継を見ていたと記憶してますが、この後、怒りで寝るどころではなかったです。
その後カピロッシは、アプリリアから放出されてしまいました。
このレースに勝ったのはロッシでした。
このシーズンの二人の大人の意地の張り合いを後ろで見ていたロッシにも大きな影響を与えたかもしれないです。
1998年WGP最終戦


原田選手は、すっかりイタリアに馴染み、インタビューはイタリア語で答え、イタリアのテレビCMに出たりと、イタリアで一番有名な日本人だったそうです。(中田英寿より有名だったとか。今は長友が一番有名かな)
これだけイタリアのチーム(海外のチーム)から大事にされた日本人はいまだかつていないと言っても良いのではないでしょうか。

98年の最終戦以来、完全にダーティなイメージで嫌いだったカピロッシですが、ドゥカティがMotoGPに参戦し始めた2003年からドゥカティに乗り、それなりの戦績を残してくれた(もてぎ3連勝とか)ので、なんとか許す気になりました。ドゥカティの博物館では、カピロッシが乗ったMotoGPマシン(デスモセディッチ)を見ましたし


YuoTubeに二つのレースの様子がアップされてます。改めて見直しました。今見てもドキドキします。

1993年以降、250ccクラス(現在のMoto2クラス)で日本からチャンピオンになったのは、2001年の加藤大治郎と2009年の青山博だけです。それ以外では、1977年350ccクラスの片山敬済、125ccでは、坂田和人、青木治親がそれぞれ2回ずつチャンピオンになってます。最高峰クラスでは、まだチャンピオンになった人はいません。(今シーズンMoto2クラスで活躍した中上はまだ若く、今後に期待してます)

ライディングパーティで原田さんお会いできて、本当に感激でした。
原田さんは今後もライディングパーティに参加してくれるかもしれないとのこと。また走る姿が見られるのが楽しみです。

本文中は敬称略とさせていただきました。
Posted at 2013/11/24 12:56:37 | コメント(4) | トラックバック(0) | バイク | クルマ
2013年11月16日 イイね!

袖ヶ浦リベンジ(ライディングパーティに参加)

袖ヶ浦リベンジ(ライディングパーティに参加)バイク雑誌のライダーズクラブ主催の袖ヶ浦フォレストレースウェイでのライディングパーティに参加してきました。
前回袖ヶ浦を走ったのは、3月のメッツラーファントラックデイというイベントでしたが、大雨で、ウェットコンディションを1本走っただけでした。

そのリベンジをということで、今年のライパの最終回@袖ヶ浦に行ってきました。
前日まで雨が降っていたので、朝のうちは路面が少し濡れていましたが、天候は文句無しの快晴でした。しかも寒かった天気も緩んで、結構暖かかったです。

朝、ミーティングが始まる9:00までに行けばいいやと余裕ぶっこいていたら、保土ヶ谷バイパスとアクアラインの一部が渋滞してました。観光シーズンの快晴の土曜日をナメてはいけませんでした。
ベイブリッジやアクアラインからの海の眺めは爽快でした。
渋滞で、重いクラッチにより左手がすでに疲れてしまいましたが、朝食の調達と給油をして、何とか、9時10分前ぐらいには到着しました。

受付をすると、また、一番速いクラスの赤ゼッケンになってしまいました。
またもや、ペースの速い完熟走行に、1本目はなんとか付いてましたが、2本目は完全に置いていかれてしまいました。(後ろの方、すみませんでした)

フリー走行も、みなさんすごいペースで、完全なバックマーカー状態でした。うまく抜いて行ってくれるので、助かります。今回、各クラスフルエントリーということで、いつもは少なめの赤ゼッケンも結構な台数でした。
今年の最終回ということで、頑張りすぎた方も他のクラスではいたようですが、赤ゼッケンだけは赤旗中断がなかったです。
今回、バイクに乗ったのが1ヶ月ぶりで、いきなりサーキットじゃ走れないです。反省。
また、出てきたお腹のせいで、革ツナギがパンパンで、体の動きが制限される悪影響があったり、そもそも体の柔軟性がますます悪くなってます。
体を鍛え直さないといけないです。反省。

ドゥカティジャパンは、パニガーレSをずらりと持ってきてました。今回、参加車両にもパニガーレが結構いました。
かっこいいすなぁー。
実はライディングポジションもきつくなく、クラッチやスロットルも軽くて楽かもしれないです。

しかし、市販車ベースの最高峰レースのスーパーバイクでは、やはりこのフレームが難しいらしく、MotoGP同様、なかなか良い戦績が残せていないようです。

ドゥカティジャパンの社用車は親会社となったアウディになったようです。



今回の嬉しかったことは、何と言っても、元世界チャンピオンの原田哲也さんにお会いできたことです。ツーショット写真を撮らせていたでき、また握手もしてもらっちゃいました。
原田さんは、92年に全日本チャンピオンになり、93年から世界GPの250ccクラスに参戦しました。TZ250Mという市販レーサーベースにワークスパーツ組み込んだマシンで、参戦初年に世界チャンピオンとなったのでした。この辺りは懐かしくなったので、別途書きたいと思います。

(中野さんとのツーショットに引き続き宝物です)


帰りは、アクアラインと保土ヶ谷バイパスの大渋滞にはまり、家に帰り着いた時は、ヘロヘロでした。翌日からは筋肉痛に。

もうちょっとうまく走れるようになりたいので、来年も参加しようと思った次第です。
Posted at 2013/11/23 11:44:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | クルマ
2013年11月15日 イイね!

金沢に行ってきました。

金沢に行ってきました。仕事で金沢に行ってきました。
通っただけというのも含めると、最近では3回目です。

小松行きの飛行機が取れなかったのでで、新幹線で米原まで行き、そこから特急しらさぎで金沢に入りました。
この日は全国的に冷えた日でしたが、無茶苦茶寒かったです。コートを着てきたのですが、それでも寒かったです。神奈川での真冬の格好が必要でした。

同行したメンバーに金沢カレーを知らないというやつがいたので、昼に金沢駅で金沢カレーを食べることに。(チャンカレは、駅の近くにはないので別の店で)。メンチカツカレーのLを食べました。チャンカレは近江町市場のフードコートに店ができましたね。写真は前回に出張でチャンカレ食べた時の写真です。


仕事の後は観光の時間があり、長町武家屋敷跡→兼六園→俵屋(飴屋さん)→ひがし茶屋街と金沢を堪能しました。
兼六園では紅葉はしてましたが、あと1〜2週間後がピークという感じでした。
(私、実は岡山出身で、前回、兼六園に来た時は、後楽園の方が広いしイイという感想でしたが、夕方に行ったというのもあり、兼六園の風情もよかったです(







金沢は、北陸新幹線で盛り上がってます。富山駅もそうでしたが、高架はほぼ完成している感じです。新幹線ができると、東京ー金沢の時間がぐっと縮まりますね。(羽田ー小松線がなくなりそうで怖いです)
(思わず、チラシをもらってしまいました)


次の日はサンダーバードに乗って京都方面へ移動しました。
初めて湖西線を走りましたが、ずっと土手の上というか高架を走るので、琵琶湖の景色を堪能できました。(近江と言われるあたり、全く分かっておりません。今度攻めてみたいです)


京都方面での仕事の後、また奈良に宿泊しましたが、早起き観光作戦は、雨のために断念。


(今の時期、京都のホテルは混んでるし、高いし、泊まれません。)
次に来れそうな時は、紅葉は終わっているかも。残念。
Posted at 2013/11/15 20:09:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | 旅行/地域
2013年11月05日 イイね!

秋田新幹線こまち

秋田新幹線こまち仙台出張に、E6系に乗りたくて、わざわざこまちに乗りました。








(E5系との連結部)

在来線を走るので、車体幅が狭く、座席は2+2で、車外にステップが張り出してます。(ステップは走り出してからパタンと下に倒れ格納されます)
車内は落ち着いた雰囲気です。



あきたこまち繋がりで、壇蜜さんです(車内広告ですよ)


伊達の牛たんで朝食に牛タン定食を食べ、

街中を歩くと、仙台はやっぱり盛り上がってます。(牛タン屋の店員さん、イーグルスのユニフォーム着てました)
Posted at 2013/11/05 10:10:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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