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くにじろうのブログ一覧

2009年09月14日 イイね!

妻が旅に出て。

妻が旅に出て。今日の朝、妻が旅支度を始める。といっても前日にいろいろと用意を済ませてあるのだから、余りすることもないのだが。妻が、台所に立つと、直ぐ横に伏せをする。着替えに脱衣所に行くと、直ぐ横の廊下で伏せ。旅行バッグを確認しに行くと、和室に入って妻の動作をじっと見つめている。妻について歩いている。

妻が、今日の朝の散歩はすごくゆっくりゆっくり歩くのよ、という。そうなんですね、陸は妻がしばらく家を空けることが解っているようだ。妻が、りっちゃん、明後日には帰ってくるから、それまでお留守番よろしく。といっても、陸がイマイチ元気がない。

私は妻を、駅まで送り、家へ帰った。陸はさびしそうに私を見る。しばらくして陸は2階に上がった。私たちのベッドで伏せしながら寝ている。いや、起きているのだ。妻の匂いが残るベッドで寂しそうにしている。

妻は大分へ2泊3日の旅なんです。3泊したいと言ったけど、それはちょっとご勘弁をと。妻が作り置きしたカレーと味噌汁が鍋にいっぱいあります。妻が帰るまで食べきれないような予感が。ま、好きだから、いいんですけど。

それにしても家の中は気怠い状態。猫の殿も籐椅子から全然動かないで寝たっきり。夜も状態は同じだった。ま、しばらくの辛抱だよ、殿ちゃんも陸君も。
Posted at 2009/09/14 22:26:38 | トラックバック(0) | 日記
2009年09月14日 イイね!

中学生の頃は、よく先生に殴られた。

もう40数年前になる。小学生の頃は勉強においてほめられることが多かった私も、中学生になると生徒は多い。勉強の科目も新しくなる。それでも授業をしっかり聞いていれば、成績は上位の方に入った。私は、算盤や書道をはじめ、勉強塾などは一切通わなかった。

中学2年くらいになると、教師から私たち生徒に対して旗色が変わる。とにかくよく殴られるのだ。余所見をすれば立たされてバチンとビンタ。数学の問題で解らないと、こんなことも分からないのかと拳骨で頭をゴン。英語、国語、数学の教師から、今で言うならば体罰の嵐。

それが中学校3年のある時期から、ビンタや拳骨がなくなった。高校受験をはっきりと意識した時期だったんだろう。第一志望の高校にも合格したので、中学校時代は良くも悪しくも、私にはいい思い出となっている。

私はなんで殴られたのか。それはおそらく、そんなことは授業を真面目に聞かなくても理解できる、あるいはそれ以上聞いても解らないから授業を聞いてもムダ。がはっきりしていたんだと思う。だから先生に授業を舐めていると、取られたんだろう。高校に入ってから、英語と国語の苦手科目がはっきりした。

今の学校で生徒にビンタなどしようものなら新聞沙汰になる。叱ることができなくなってきた。これでは生徒は増長するだろう。適度なビンタや拳骨はあった方がよい。子供を叱らない親が増えている。親自体が叱っていいこと、叱ってはいけないことが解らなくなっているのではないか。そのしわ寄せが学校に来る。教員の負担となる。

教師というのは現場、生徒への対応力である。もちろん指導力も必要だが。中学においては、いい高校に行くための学力を養うのか。社会人に必要な基礎知識をしっかり身に付けるのか。当然両方が必要だ。今、大学生のレベルの低さが危惧されている。中学卒業時に身に付いているべき教養すらない大学生が多くいる。だから教員免許更新制よりも他に、もっとやることがあるはずだ。
Posted at 2009/09/14 14:49:56 | トラックバック(0) | 日記
2009年09月13日 イイね!

40数年ぶりに聞く、父の戦争話。

40数年ぶりに聞く、父の戦争話。先日、妻と一緒に父のマンションを訪れた。度々訪れては父の部屋で小一時間を四方山話で時間を潰すのだ。その四方山話の中で、私がトイレに立って戻ると、父は妻に戦争、つまり戦地に赴いた時の話しをしていた。私が小学生くらいの時によく聞かされた話だ。父は一兵卒として、今のインドネシアのハルマヘラ島に上陸した。父が24歳くらいのときだったという。本当はニューギニアに向かったのだが、行く手を阻まれてやむなくその島に到着したという。もしニューギニアにたどり着いていれば父は生きて帰れなかった。

上陸した島では椰子の木が青々として南国情緒いっぱいだったが、すぐにその島は猛爆撃に晒されることになり、椰子の葉っぱは吹き飛ばされ、木の幹だけが無惨に残されたという。そして父の口か出てくるのは死の話ばかり。とある日は、まず上空から爆撃がある。それがすむと、今度は低空から対地戦闘機が銃撃を浴びせる。航空機から銃撃を浴びせるアメリカ兵の顔がはっきりと見えたという。それが終わると再び上空から爆弾の雨が降る。

米機の襲来を避けるために、夜中に水たまりを探して米を研ぐ。日が昇って再びその場所に行くと、水たまりの中に爆死した日本兵が死んでいたという。爆撃の後は、至るところに遺体が転がっている。やがて、それらはたまらないほどの臭気を放つという。埋めるにしろ、島の土壌は硬い。火葬にすると、米軍の標的となる。いちおう遺体の遺骨を残すことにも尽力したらしい。最初は、腕だけを火葬に。次は手首だけ。さらには指だけ。それらを火葬にして箱に残しても、すべては空襲の爆弾でまた吹き飛ばされたという。

脚の太モモほどもある蛇。沼地に這い回るワニ。それらの野獣に襲われて亡くなった兵士も少なくない。何よりも補給が止まって食べ物がなったことが悲惨さに輪をかけたという。食料がないから、池に手榴弾をぶち込んで浮き上がった魚を食べたり、木の根っこなどもかじったという。父はそれで、歯をなくした。したがって戦闘よりも病気で亡くなる兵士も多かったという。

父の話は、まだまだ続きそうだ。しかしそろそろ陸の散歩。私は、父の話を遮って、もう散歩の時間だから帰ると告げた。死の淵から帰り着いた父。だから今の私が存在してるんだろうけど。子供の頃は、なんかお仕着せがましい話しに聞こえた。でも私は零戦や隼、戦艦大和がかっこいいと思ってプラモデルに夢中になった。50代半ばを過ぎて、体験のない私が過去の戦争をどう振り返るか。やはり父の話にもっと耳を傾けなければ。

ネットで調べると、1944年に9月15日にハルマヘラ島の北東にあるモロタイ島に米軍が上陸した。数日で航空基地を完成させたとある。その基地からは、主にボルネオ島に空爆に行ったようだ。そして落としきれなかった爆弾を、ハルマヘラ島の日本軍基地に落としたらしい。この時点で補給船による食糧輸送が止まったとある。戦地から奇跡的に生きて帰って89歳になる父。60数年前の残酷な記憶が今も父の中に生きているから。

Posted at 2009/09/13 14:46:13 | トラックバック(0) | 日記
2009年09月13日 イイね!

雨が降って、ぶるっとする。

雨が降って、ぶるっとする。秋らしい気候ですね、などと悠長なことを言っていると雨が降り始めて、ぶるっとする寒い風が吹いている。私は長袖をしっかりと着込んでいる。いやあ寒くなったもんだと。

久しぶりの雨中の散歩。激しい雨の中、10分ほど歩いて陸が一瞬立ち止まる。強い雨の勢いに行こうか戻ろうか考えたようだ。りっちゃん、お父さんが竹輪くれるから、いこうよ。後ろを振り返りつつ、段々と納得した様子。雨の中、あまり匂いを嗅ぐこともなく陸は先を急ぐ。

そして父のマンションにたどり着き、竹輪を食べさせてもらって帰る。1時間20分くらいの散歩だったが、今日はまったく散歩のワンちゃんを見かけることがなかった。

よく見かけるご夫婦に、今日は連れていないんですか、と聞くと。レインコートもないので家に置いてきたという。雨だと散歩を嫌がる犬もいるだろうけど、こうも見事に遇わないのも不思議だ。奈良のワンちゃんは雨嫌いか、それとも飼い主が、などと勘ぐってしまう。そんなワンちゃんは家の中でどうしているんだろう。雨はやだなあと、部屋から雨が降り注ぐ空を見ているのだろうか。ウンチは、しっこは。ま、いいか、犬それぞれ。

明日はカラッと晴れ上がる、いい天気らしいですよ。あっ、もう今日か。こんなところで風邪を引くのは馬鹿馬鹿しい。しっかりと布団を掛けて寝てください。もうみんな寝ているか。そんなんで私も寝ます。
Posted at 2009/09/13 02:44:04 | トラックバック(0) | 日記
2009年09月12日 イイね!

ユニクロが栄えて、国が滅ぶ。

朝日新聞をパラパラとめくっていて、ふと気になった雑誌広告の見出しだった。雑誌は文藝春秋。ユニクロが栄えて、国が滅ぶ、か。なるほど、言い得て、的を射ている。7年くらい前に、初めてユニクロに行ったことがある。ジーンズが3000円くらいと安いので一度買ってみようかと。で、自分のサイズを探り当てて、商品を手に取った。あれっ、何かが違う。ジーンズにしては、すんごく軽いのだ。生地が薄い。デニム地にしては薄すぎる。やはりメイドイン・チャイナの証しだ。

私が主にずーっと愛用してきたのはビッグジョンのジーンズ。29インチのスリム。それが、だんだんとジーンズ専門店でも見つけられなくなった。だから、どうでもいいやで、とにかくサイズのあったジーンズを履いている。

3年前に結婚した妻が岡山の出身。岡山はジーンズの生産地です。だから妻は故郷を離れる前に、私にフィットするジーンズを何着か買い揃えてくれた。それでも深いインディゴブルーのデニムジーンズはなかった。さすがに国産品はフィット感に文句はない。

さてユニクロ。最近行ったが、デザインとかは豊かになった。前は、インナーというか人に見せられる衣装ではなかったが。でも、一見よくなったファッションも所詮はメイドイン・チャイナか、その他の東南アジア製。海外で安く作らせて、日本で高く売る。原価はもっと安いだろうな。

今やユニクロだけじゃない。シューズショップに行って商品を手に取ると、ほとんどがメイドイン・チャイナ。日本製のシューズなど見あたらない。ホームセンターに行っても、メイドイン・チャイナばかり。10年前にメイドイン・チャイナの突っかけを買ったら、1年もしない間に切れてしまった。そして探して探して日本製の突っかけを買った。その突っかけは今も健在。さすがの日本製だ。結局、海外の粗悪品って直ぐにゴミの山となるだけなのに、今は良質の日本製さえ見あたらない。このままじゃ〜日本は滅ぶかも。
Posted at 2009/09/12 15:08:04 | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「夏はうちわ、池田含香堂の団扇。 http://cvw.jp/b/497851/38233254/
何シテル?   07/17 21:15
はじめまして、くにじろうです。
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