2015年04月18日
毎度、お馴染み「ぜーたの熊本弁講座」です。
熊本弁は筑後弁、佐賀弁、長崎弁と共通項が多いと思いますが、少し離れている博多弁とはどれ位違いがあるのか、少し考えてみました。
熊本弁と博多弁の間に挟まっている筑後弁も含めて考えてみようと思います。
単純に「熊本弁」や「博多弁」と言った時に、どの地域で使っている言葉なのかは、意見が分かれると思いますが、今回は
熊本弁⇒熊本県全域で使われている方言
筑後弁⇒福岡県の内、旧筑後国全域で使われている方言(久留米弁、柳川弁)
博多弁⇒福岡県で旧筑前国の内、現在の筑豊地方以外で使われている方言
とします。
熊本県は阿蘇郡、天草郡、球磨郡等で方言が違いますが、福岡県に比べると全体の差異が少ないので、旧肥後国(現在の熊本県)で使われる方言を熊本弁とします。
福岡県の内、筑豊地方は半分が旧豊前国だった事や、炭田があった事で他の地方から移入が多く、本来の方言が失われて、新しい方言が出来ている地域だと思うので、博多弁とは別と考えます。
本来は「博多」という地域で使われていた言葉が「博多弁」です。
(筑前最南端の筑紫野で使われてる言葉が博多弁と言われると「ん~」となりますがね。)
大牟田市も熊本弁の影響が多い筑後弁を使う地域ですが、両方の間にガッツリ挟まっているので、筑後弁を使う地域に含めます。
■尊敬語
博多弁⇒なざす系、なさる系、なる系、しゃる系、らっしゃる系、てある(ちゃる)系
熊本出身の私ですが、まず博多弁のイメージとして「来んしゃる」の「しゃる系」があります。
「~しゃる」という言い方は博多以外では佐賀で使いますが、筑後や熊本では使いません。
[例]しんしゃる、食べんしゃる、入りんしゃる
[例]来んしゃる、来んしゃった(過去形)、来よんしゃる(進行形)
「しゃる」が「しゃあ」となる事が多々あります。
[例]おらっしゃる⇒おらっしゃあ、しんしゃる⇒しんしゃあ
「おんなさる」や「来なさる」という「なさる系」の敬語があり、これは筑後でや熊本でも使いますが、敬意がかなり高い言葉ですので、日常会話ではあまり出てこないかもしれません。
少し砕けた方で「なる系」があり、「おんなる」や「来なる」となり、敬意が下がります。
一番敬意が高いのが「なざす系」という博多独自の表現です。
「おんなざす」や「来なざす」となり、過去形は「おんなざした」や「来なざした」となります。
筑後弁との共通項で「らっしゃる系」があります。
「帰らっしゃる」や「食べらっしゃる」というように使いますが、「帰りんしゃる」や「食べんしゃる」の「しゃる系」と併用します。
[例]おらっしゃる、せらっしゃる、飲まっしゃる
[例]おんしゃる、しんしゃる、飲みんしゃる
もう一つ筑後弁との共通で「てある系」があります。
「してある」や「食べてある」のように「てある」を付ける事で尊敬語表現になります。
博多弁の場合、「てある」が「ちゃる」と短くなる事がありますが、これは筑後弁では起こりません。
筑後弁⇒なさる系、なはる(らはるを含む)系、らっしゃる系、らす系、てある系、召す系
博多弁にあった「しゃる系」は使いませんが、代わり熊本弁と共通の「らす系」があります。
[例]せらす、食べらす、入らす
敬意の高い「なさる系」を使いますが、熊本弁と共通で「なはる系」もあります。
熊本だと、完全に「~なはる」となるところが筑後では「~らはる」と微妙に変化する事があります。
[例]しなはる、しなはった(過去形)、せらはる、せらはった(過去形)
筑後の内、旧柳川藩領域で「召す系」があります。
「し召す」や「食べ召す」等、独自の方言が残っています。
[例]食べ召さんかんも?(お食べにならないでしょうか?)
日常で一番優位なのは「らっしゃる系」で、次に敬意の低い「らす系」がよく使われます。
熊本では使わない「らっしゃる系」が筑後弁を特徴付けています。
熊本弁⇒なさる系、なはる系、なる系、らす系、らる系、申す系
一番勢力が強いのが「なはる系」で、県北では間違いなくこの言い方です。
目上の人には「~なはる」を使わないと怒られます。(笑)
[例]食べなはる、食べなはった(過去形)、食べよんなはる(進行形)
次によく使うのが「らす系」です。
敬意が高くないので、基本的に対人では使わず、第三者の事を言う時に使いますが、天草郡や長崎県の方では対人でも使います。
県南に行くほど、敬意が高くなる印象です。
「らす系」の仲間に「らる系」があります。
「おらる」「おらいた(過去形)」や「しよらる」「しよらいた(過去形)」のように使い、基本目下に使う軽蔑表現となりますが、天草等では敬意が残っている地域もあります。
「申す系」は球磨地方では使われる尊敬語で「おんなはんもす」「おんなはんもした(過去形)」のようになります。
鹿児島弁の影響が強い言葉です。
■まとめ
偏見だらけの内容だったかもしれませんが、ご了承下さい。
尊敬語は熊本弁と博多弁で同じ表現は「なさる系」と「なる系」しかないようですね。
多分、熊本で博多弁を使っても通じますし、その逆も大丈夫だと思いますが、間違いなく「おっ?!」となるような違いがありますね。
気さくな感じに聞こえる博多弁と、喧嘩してるように聞こえる熊本弁、「ばってん」「ばい」「たい」「くさい」「ごたる」等、同じ肥筑方言に共通の言葉が沢山ありますが、その奥は深いです。
次回に続きます!
Posted at 2015/04/18 19:15:04 | |
方言 | 日記
2015年04月10日
毎度お馴染み、ぜーたの熊本弁講座です。(・∀・)
肥筑方言で有名なのが、「けれど、しかし」を意味する「ばってん」です。
熊本県以外の福岡県(北東部以外)、佐賀県、長崎県でも使われます。
これとほぼ同じ意味で、最近では使われなくなった言葉に「ないどん」があります。
動詞等に続く時は「~んどん」や「~いどん」となる事があります。
「ばってん」は「ばとて」から変化したものですが、「ないどん」は「なれども」が変化したものです。
「今、食べてるのだけど。」を方言で言うと下記のようになります。
「今、食べよるとばってん。」
「今、食べよるとばって。」
「今、食べよるないどん」
「今、食べよるんどん。」
※「ばってん」は「ばって」と言う事もあります。
この「ないどん」ですが、佐賀県や長崎県、熊本県の八代郡以南で「ばってん」と併用して使われており、熊本県の球磨郡では本来「ばってん」を使わずに「ないどん」のみを使用していました。
しかし、現在では「ばってん」の勢力が広がり、「ないどん」は若・中年層ではほとんど使われなくなっています。
鹿児島県等では似た言い方で「じゃっどん」や「やっどん」という言い方が残っています。
■例文
「若かいどん、しっかいしといなる。(若いけれども、しっかりしておられる。)」
「きゅうは寒かいどん、おんなはっかぁ?(今日は寒いけれども、おられますか?)」
「仕事ばしぎゃ行きよるんどん、道の混んどるばい。(仕事をしに行ってるけれども、道が混んでるよ。)」
「少し早かないどん、食べよっでね。(少し早いけれども、食べてるからね。)」
私の出身地の熊本県北部では聞くことがありませんが、こういう言い方をする地域があるのは、興味深い事ですね。
基本的に「ばってん」を使う熊本県北部でも、阿蘇郡では「けんど」や「けんどん」を使う地域もあるそうです。
熊本弁講座のサイトは腐るほどありますが、「ないどん」を紹介しているサイトはあまりないようですのて、ここで紹介しておきます♪(・∀・)
Posted at 2015/04/10 21:09:03 | |
方言 | 日記
2015年04月06日
たまに思う事があるのですが、
「自分は恵まれてるなぁ…。」
という事です。
私は小さい頃、喘息持ちで、とても体が弱かったです。
肺炎で何度も死にかけました。
それでも、私が風邪を引けば、どんなに仕事が忙しくても、父は駆けつけてきてくれました。
わざわざ熊本市内の評判の良い病院まで連れていってくれました。
母は少し厳しくて、欲しいものがあっても我慢させられ、一切買って貰えなかったです。
ですが、専門学校に行かせて貰ったりと、我が家の家計をしっかり管理してくれたおかげで、今でも私はお世話になりっぱなしです。
それでもお金を稼いでくるのは父なので、私が一番尊敬する人はやっぱり父です。
私は体も弱く、性格も暗かったですが、何不自由無く今まで生きて来ました。
ボロッボロの六畳二間のアパートに1歳半から13年間住んでいましたが、中学3年の時に、私が駄々をこねたせいで、今では実家は立派な一軒家になりました。
本家の祖父母も、私が長男の長男であった為か、とても可愛がってくれました。
私だけが特に可愛がられるせいで、周りには少し嫌な思いをさせた事もあるかもしれません。
熊本県の菊池市に生まれた事は、自分にとって誇らしい事です。
今はあまり賑やかではありませんが、古くは歴史があり、水源等の観光地もおり、何より住んでる人は優しいし、最高の故郷です。
日本に生まれて、
九州に生まれて、
熊本に生まれて、
菊池に生まれて、
本当によかったなぁと思います。
父の祖父母も、母の祖父母もめちゃくちゃ元気というわけではありませんが、皆生きています。
戦争の話を聞かせてもらったり、私が幼い頃の話を聞かせてもらったりと面白い話も盛り沢山です。
ハンディも無く、大した悩みも無く、大きな失敗も無く、そうやって私の人生が進んでるのを考えると、
「私は恵まれてるんだなぁ」
と思います。
私は神社は好きですが、特に宗教熱心なわけでもありません。
都合があえば仏事等の行事には参加しますが、全くと言っていいほど詳しくありません。
それでも思う事は色々あって、
誰かが「何事にも感謝しなさい」と言うのは、そうした方が絶対うまくいくからだと思います。
人生70年か80年か、いつまで生きれるかはわかりませんが、やっぱり楽しい人生が良いですね。
私は悩む事がありますが、悩んでばっかりの人生なんて嫌ですよね。
私は単細胞なので、複雑な事はわかりませんが、それでいいと思っています。
単純な事でいいんです。
Posted at 2015/04/06 21:27:07 | |
戯言 | 日記