2020年10月09日
ニュースでもネットでも話題になっている池袋の事故の話。
色々な意見が出ていますが、掲示板のようなものを見る限りは加害者側への非難が大半ですし、処罰のレベルにまで言及したり、同様に不幸になればいいというような意見が散見されます。
もし、自分に降りかかれば、、、例えば被害者の側であれば、、、自分なら一切報道にも答えず閉じこもり、修羅にでも鬼にでなって私刑に走り、その後自死するでしょう。家族を失うというのは、自分のほぼ全てを掛けてきたものを失うわけですから、もう現世に生きる意味合いを失います。ボクじゃぁとてもじゃないけど、これを活かして二度と起きないように、みたいな啓蒙活動とかは出来ないでしょうね。とてもじゃないが、辛い。
加害者側であれば、社会的制裁にも良心の呵責にも耐えられないでしょう。贖罪するべきでしょうが、果たしてそれにも耐えらるか、、、生命保険の受取人を変えて自死するかもしれません。
いずれにせよ、どちらの側になっても不思議でない世の中に生きているわけですから、表立って一方的かつ過剰な意見で何かを攻撃したり、当事者でもないのに加害者に制裁を求めたり行う事は止めた方が良いとボクは思います。
そもそも、確固たるエビデンスがない報道やネットの記事を頼りに判断していること自体が怖いです。
事実として間違いないのは、車が高速度で信号を無視し走行、他車と歩行者を巻き込む衝突事故を起こしたこと。その際、不幸にもきちんとルールを守っていた市民が亡くなってしまった事。
フレンチに遅れそうだった、とか、救助をしなかったとか、そういう補助的要因は事の本質を濁らす可能性があるので基本的には排除して考えるべきだとボクは思います。
まず、ボクが事実の中から一つ思ったのは「加害者が免許を更新出来て車を公道で走らせていた事実」です。
80代後半というと、間違いなく筋力は衰えていますし、脳細胞の劣化等も含めて反射神経も格段に鈍っています。間違いなく運転に関しては相当なビハインドを前提に考えなければなりません。
ところが、日本の老齢運転者に関しての規制は最近やっと認知症などの検査があり、かつ運転自体の検査も入りますが、個人的な考えだと基本的には「落とす」検査ではなく「通す」検査のように感じます。
例えば、踏力の試験がありません。フルブレーキをするのに相応の踏む力が必要なはずですが、それを図る試験はありません。そもそも、フルブレーキをさせる教習もしないので、なんなんですが、まともにブレーキを踏めるかどうか、筋力があるかもわからず免許を短期とはいえ更新させてしまうわけです。
そして、反射神経の検査。何やらライトの点滅を追っかけたりするのはあるようですが、例えばアクセル踏んでからの踏みかえ動作の試験はありません。シュミレーターで簡単に再現できると思いますが、例えば飛び出し画面が出たら即座に一定程度の基準で踏みかえてブレーキを踏めるか、それを繰り返して試験することは、ボクは必須に思えます。
そもそも、アクセルとブレーキには段差がありますから、踏みかえは意外と筋力が落ちるとやりずらいのです。アクセルから足を離して、その足を真横にスライドさせるだけではブレーキペダルの横に当たり踏みかえが出来ません。足を上げて踏みかえる動作は老齢者には存外に難しい事です。
最低でもこの二つは検査項目に入れないと、ただでさえ視力も落ちているわけで危険極まりない免許の更新が続いている、そう言えると思います。
老齢者を落としてしまうと日頃のアシが無くなる、子供もそばにいないから不便、理由は解りますが、老齢者の不便がまかり通るのは選挙に行く人がじじばばばかりなのを見ればわかると思います。結局は票田になっている人に冷たく出来ないのが、政治と行政なのです。
仮にもネットで加害者叩きをするなら、まず選挙に行ってますか?走行中に携帯は使ってませんか?きちんとタイヤの溝をチェックしてますか?信号を歩行者の時でも守ってますか?と思うわけです。
老齢者から足を取った後どうするのか、答えはありませんがタクシーみたいなものの普及や何かしらの対策は出来るはずです。というか、先の長い人の命を奪いかねない老齢者の行動は制限するべきです。敬老の精神は別の次元でするべきです。
さて、もう一つ思うのは、やはり道路行政。
信号無視をしている車が暴走して事故を起こしたら、歩行者が巻き添えになった。何かしら道路と歩道に対策があったら、、、もしかしたら多少でも被害が軽減できたのでは?と思うのです。
もちろん、飛んできた車を防ぐような歩道の設計は困難を極めますし、横断歩道を全部歩道橋に出来るわけもないですが、それにしても歩道と車道の区切れさえ無いような道ばかりのこの国の道路は最低レベルのままだと思います。
自動運転を開発しようとかいう前に、まともな道路作れよ、と国交省には思います。
あと、これは蛇足ですが、仮に全国民がリッチで趣味もたくさんあって、毎日楽しく過ごしていたら、ネット自警団みたいな人って僅少じゃないですかね?今の日本の格差の広がりによる不幸感の高まりがネットでの釣り仕上げや社会的制裁の行動要因になっているのは一つあると思います。
上級国民という実に不快な単語はそういうところから生まれてくるのでしょう。
「昔の日本は良かった」そんな事を言う場合がありますが、戦前の日本は餓死者がまだいましたし、食べるのにも大変だから地方の子女が売られたり、東京は浮浪少年少女だらけでした。
輝かしいといわれる高度経済成長時は、労基法もまともじゃないし、パワハラセクハラ男尊女卑は当たり前の、確かに金だけは何とかなりそうな自体でしたが、今よりモラルハザードな時代でした。
まず、餓死者もおらず識字率も高いこと自体が実は結構幸せなことで、今の時代の根底にあるベースが割合幸せであることを感じるべきだと思います。中にはとんでもない不幸に見舞われ無戸籍を強いられたりするケースもありますが、それはとてもレアですし、基本的に大半の日本人は「生きてるだけでも丸儲け」というベースはあると思います。上見たらキリないけど・・・。
こういう事件事故が起きるたびに、今の日本のベースに何だかイビツな行政や政治の汚いペンキの塗り重ねが限界を迎え、ボロボロと零れ落ちていく様を見ているようで、悲しい気持ちになります。
それ以上に、亡くなった方や、その家族の方々には哀悼の気持ちしか生まれません。
多くの人が幸せを感じ、その一端に自動車がある未来が来ることを祈ります。
Posted at 2020/10/09 12:58:25 | |
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