
ジジィは醜い、人間は老いてみじめになる前に死んだほうがいい!と豪語した割に長生きした挙句に年寄りになって「俺も戦争に行くぞ!」と傭兵部隊に入ろうとしたアンドレ・マルローの小説「王道」では主役が最後に「ああ俺が死ぬ」といって死んでいきます(うろ覚えですが)。
例えば家族がいようが子供に囲まれていようが友達がいようが、人間は死ぬときは究極的に研ぎ澄まされた感覚(例え意識が朦朧としていようが)で自分自身が死んでいくのを体感するんだとボクは思っています。不意のアクシデントで急死する以外、何かがすーっと消えるように、死んで自意識が無くなる瞬間は絶対的な一人が必ず訪れるんだろうと思っています。
よく、一人で死にたくないからパートナーが欲しいとか言って熟年結婚したり、事実婚したりする人がいますし、俺は一人で何でもできるから一人で死を迎えるつもり、という人がいます。でもどっちみち、死ぬ時は究極の一人が必ず訪れると思うし、仮に一緒に心中しようが、死を迎える孤独感や恐怖感は二人や三人で電子的なリンクを用いて共有出来るわけもなく、やはり死ぬ時は一人になるんだろうとボクは思います。
パートナーや子供がいるだとか、そういうのは死を迎えるにあたっての状況の違いであり、自分自身の終末期をどう過ごすか、ということであって、一人で死にたくないから云々てのはボク個人とすれば違う、と確信しています。
なので、成人してから社会に出て考えてしまい、今もそれに向かって一直線に進んでいるわけですが、どう自分が個として死んでいくのか、これは最大にして最重要の自分のテーマです。
この日は5シリーズに乗って移動していたのですが、知り合いは「こんなツマラン車はさっさと売り払ってベントレーにしよう!ついでにフェラーリをみんなで買おう!」と能天気な発言を繰り返していました。
とか言いながら、彼は普段どこにでもいる白い30プリウスに乗って経営者をしており、ボク以上に持っている資産を誰にも悟られないアンダーステートメントな生き方をしていますから、何言ってんだこのボケ、と思ったのですが、いつ迎えるか解らない死に対しての生きざまとしては実に直情的かつ直感的なので、うーん・・・悪くはないなぁと思ったりもしました。
街中を移動していると、赤血球のようにいろいろな車が移動していて、みんな大きな社会の中のコマの一つなんだよなぁと思いつつ、色々なコマがあるんだよなぁ・・・と感じます。たまたま隣に並んだRRゴーストがいて、運転手の人はブルートゥース電話なのか、難しい顔で延々何かを話していました。
多分いい会社のオーナーなんでしょうか、この人の代わりは多分この人の社内にはいないんだろう、とか考えました。でも、社内に変わりはなくても、例えばこの人が死んで会社がつぶれても多分業務自体は跡形もなくどっかの知らない誰かが代行して、あれよあれよと記憶からも情報からも消えていく・・・
所得や職業や資産の多さの違いはあれど、誰もが変わらぬ無くてはならない人であり、でも無くなっても変わりは大きなマクロの中においては必ずあって、即座に埋め合わせられてしまう、人間の生きている世界はなんて複雑怪奇で生物的でないんだろうと感じます。
ロールスとはそこでお別れして別の道を走っていきましたが、きっと彼も人生のその瞬間を本気で生きているんだろうと思いました。次に信号待ちで並んだ、口を半開きにして携帯をいじるアクアのお兄ちゃんはどうなんだろうか、と思いました。
5シリーズがつまらんかどうか人それぞれですが、ボクにとってはこれで移動して業務を遂行するのは中学二年生としては最良の選択だと思っているし、これまでも多くの車に乗ってきたのはチャンスがあれば許される範囲でどんどん色々乗る、という信念があったからです。
買えなかった言い訳はしたくないし、買わないで後悔もしたくないし、でも破滅してしまうような無理をしてまで買うものではないと思っています。予想外に死を身近に招くような真似は馬鹿のすることです。
移動した後、某所にてアフタヌーンティーをいただいてましたが、横は学生起業家の面談、逆サイドは丸眼鏡にヒゲという横文字系の職業でもしていそうな中年が女子大生くらいの女の子とチューしている。どっちもこのラウンジの利用方法をちょっと間違えている気がしつつ、価格も内容もハイエンドなハイティーをしていると、待てよ、俺はこれでいいんだっけ?とか考えたり。
この前知り合い三人が同時に三台フェラーリを買って、ボクも四人目になろうよ、と言われたのですが、あいにく希望の青がなくて買う事は無かったんですが、待てよ本当は俺も横のおっさんみたいに本当はここで上品ぶってないでおねーちゃんとチューしたいのかも知れないし、いい子ぶってフェラーリはちょっとキャラじゃないとか言わないで、ド派手なスパイダーで派手にやっちゃいたい気持ちがあるのか・・・
そこにふっと水を差してくれるのが社会のつながりであり、家族であり、友人であり、経済です。
一人で考える、というのは大体は一人で総合的に色々考えていることで、一人だけで自分の事だけ考えるってことは非常に少ないです。当たり前なんですが、それくらい自分を自分のものにするというのは難しいことなんでしょうね。
ふと、今年で終わる平成という単元ですが、会ったことも話したことも今上天皇にはありませんが、父が背負った贖罪の意識を自分も背負い、最善であろうことに人生を尽くした方でしょうから、難し事でしょうから譲位の後は自分が自分を考える時間を持っていただけたらな、と思いました。
あの車の助手席、取っちゃおうかな、笑。
PS
でもいいホテルのラウンジでチューはしたくないわ・・・ただのアホだよな・・・
Posted at 2019/01/28 16:25:43 | |
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