
3/11 14:46に発生した大地震ですが、なんとか無事生き残りました。
家族も友人も無事でした。良かった。
宮城県沖地震が来る事は前々から予想されていましたが、まさかこんな大地震がこようとは・・・。
地震発生時、私は夜勤明けで休みだった(3/11朝に帰宅した)そして4号線の万代書店でマンガを立ち読みしてました。私は店の真ん中より奥の辺りに居ました。
で、初期微動が来ました、体感では震度2程の揺れです。でも揺れ方が何となく違う。すぐに揺れ方が大きくなってくる。
これはまずい!と思った。直感です。
周りの人はまだ様子を見ている。揺れに気づいてから約5~8秒ほど経った。
すぐに本を棚に戻し(律儀にも・・・)出口に向かって走り始める。私だけが走っている状態だ。
出口に近づくころには揺れがかなり大きくなっている(震度で4~5位になっている)
その頃になって皆走り出す。
出口だ。揺れは震度6程になっている。出口は一箇所しかなく、出口に近かった人が既に何人か居る。揺れに足を取られ、かつ人も居た為、人にぶつかるのを避けたら、出口のドアにちょっとぶつかった。その拍子で眼鏡を落としたが、近くの女の人が拾ってくれた。ありがとう。
外に出る。外はすぐ駐車場だ。とにかく上に物が無く、看板等が倒れてこない所へ移動する。
外に出たら揺れはピークに達した、大きな横揺れだ。経っているのが苦しいくらいの揺れだ。私は周りの安全を確保したので、揺れが収まるまで、しゃがんでいた。それが2分程続いた。とにかく長かった。
地震が収まり、思う。会社の装置は間違いなく止まったな。自宅は無事だろうか?
携帯電話で連絡を試みる。通じない、やはりか。
周りはまだ呆然としている。ふと思ったが、上に物が無い所まで移動した人は僅かだった。
多くは入口付近に固まっている。そこは屋根(雨どい)があるので危険だと思ったのだが・・・。
これからどうするかを考える。会社か家か・・・。
会社は海沿いだ(仙台港)、震源は分からないが間違いなく津波が来る筈だ。
家は山の上だ。家に誰か居ただろうか?ばあちゃんが居る可能性が高い。
ガソリンも心もとない、会社まで行くには距離がありすぎる。この日に給油するつもりだったので、空ッ欠だ。
家に戻る事にした。
道路の信号が止まっている。電気が死んだようだ。
家に戻るとやはりばあちゃんが居た。私が付く直前にじいちゃんも帰ってきたようだ。
母・父・姉には連絡とれず。
家に損傷はない。うちの土地はかなり地盤が固く、地震には強い。
とにかく余震が来る。大きいかもしれない。
今のうちに準備をする。貴重品を身に付けさせ、食料や飲料、防寒着等をかき集める。ガスや火元の確認を行う。
そうこうしているうちに母が帰ってきた。地震時は会社に居たようだが怪我等はなし。
こんな時はあと何をすればいいのか考える・・・。
明るいうちに懐中電灯と電池もかき集める。
大きな余震も相次いで起こる。
父も帰ってきた。
現状を伝えたら、「準備がいいな」と・・・パッと思いつく事はやったさ。
電気は使えないが、水もでるし、ガスも使える・・・。なんでだ?
とりあえず風呂に水を貯めた。
暖房は石油ストーブが一台あったので暖は取れるし、灯油もそれなりにある。これは何とかなるだろう。
結構経ってから姉も帰ってきた。職場の友達が山本町の人で帰れないからと連れてきた。
こういうときは助け合いですね。
ラジオで情報を集める。
やはり津波が来た。仙台港で10m!?そんなバカな。
とんでもない津波が起こった。会社の人生きてるだろうか・・・。
連絡も取れない。
地震の震度はM8.8から9.0に修正された。世界でもトップクラスの大地震だ。
そして大震災1日目の夜は懐中電灯の明かりを頼りに過ぎていった・・・。
考えてみれば水が出たのは家は山の上なので、貯水タンクに一度水を揚げて、各家庭へ供給される方式だ。
タンクに残っている水が自圧で来ているのだ。結局4日目の朝まで水は使えた。
ガスは3/12日の朝には付かなくなっていた。残圧があっただけなのだろう。
この3週間色々なことがありました。
全部書いてるとキリが無いので、ピックアップで書きます。
水に関しては4日目の朝まで使え、15日の昼には出ました。錆び水なので実際の使用は16日からでした。
で、タンクの水が尽きるのは何日後か計算してました。3日で尽きると予想していました。3/11の午後から3/14の朝まで使えたのでほぼ計算どうりでした。
電気は13日の夜に回復しました。
電気が使えない期間は私が趣味でLEDライトを複数所持していたので6人家族で一人1個持ってもあまるくらいありました。電池もかき集めたら結構あった。
また、テレビが見たい(ラジオだと分かり辛い為)何とか見れないか画策し、予備の自動車バッテリーと車内でAC100Vが使えるインバーター(ファンのついた結構大容量のやつ)を持っていたので、ブースターケーブルで繋いでTVを見れるようにしてました。
7時間くらい見れた。車趣味が活かされた瞬間だった(笑
ガスは26日の昼に復旧しました。
生活はガソリンを節約する為徒歩で店を巡り、並び、食料確保していました。
日本は暴動も起きず、皆黙って長蛇の列に並ぶので立派です。国民性を実感しました。
会社の方は16日に連絡とれました。被害は甚大。でも社員に死者はなかったようだ。
結局会社に行ったのは22日でした。
当日勤務だった人は大変だったようだ。車も皆流された。
もし私が勤務の日だったらインプレッサは無残な姿になっていただろう。
不謹慎だが自分にとっては不幸中の幸いだったと言える。
会社の状況は物凄い。津波にやられてる。どうするんだコレ状態。
今は復興に向け作業をしてます。
私自身は命も家も車も無事で、難を逃れた(会社は壊滅的ですが・・・)ので、被災者としては極軽微な部類です。
あまりにも規模の大きい震災で多くの命が失われました。命は助かったが、家がなくなった方も多くいる。
この震災で亡くなられた方へご冥福をお祈り申し上げます。