同じタイトルのブログを昨日UPしたのだけど
スマホでぽちぽちやってたら消えてしまったので
再掲します。
同じ文章は書けないので今日なりに。
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親権を持てなかった母親に対して
世間の目はとても厳しい。
私の場合は身内の方が厳しかったけど。
色々と、理由があるんだよ。
ただでさえ子供と引き離されて心神喪失なのに
身内にも他人にも詳しく説明なんかできない。
自分の内側を抉るようなことなんかできないよ。
こんなコラムをnetで見つけた。
親権をもてなかった母親への冷たい視線――子どもと別居する苦しさと葛藤
自分と同じ思いをしている人達がいるのだと、胸が痛んだ。
彼女たちも私も、望んでそうなったわけではない。
だから私は、
職場や周囲の人に質問されるとこう答えてた。
「結婚は?」
----離婚しました。
「ああ、お子さんは?」
----いません。
本当は、いませんなんて言いたくない。
胸を張って「息子がいます」って言いたかった。
だけど、そこまでいうと、さらにそれ以上をほじくられる。
子供とは別居していて親権もなくて。。。
ってなると途端に自分を取り巻く空気が変わるだろう。
それ以前に、息子の話をすることは
精神的にとてもきつかった。
結婚の有無は色々と必要な情報でもあると思うけど
それ以上のことを他人に話す必要はないと思う。
上記リンクのコラムで刺さる文章があった。
・「母親なのに」「母親のくせに」という世間の視線に深く傷つく母親も多い。
これは身内から物凄く攻撃されたワード。
私の言い分など聞かずに、ひたすら責められた。
自分の母が生きていたらきっと理解してくれたのにと泣いた。
・「まさか元夫がこういう形で親権を振りかざしてくるとは思いませんでした。でも、それを見抜けなかったこと、復縁を断ったことは、私のせい。すべて私が悪いんだと思ってしまい、自分のすべてに自信がなくなりました。
自らも自分を責めて苦しむ。
いくら引き取りたいと言ってもどうにもならなかった。
・いちばん傷ついたのは、『私だったら耐えられない』『私だったら死んでしまう』という言葉でした。耐えられなくても耐えるしかないし、そう簡単に人間って死ねないですよ。
子供と2度と会えない現実で暮らしたことがないからそう言える。
心臓を破られて命を持っていかれるような辛さと苦しみ。
何も食べられず記憶もさだかでなく
このままじっとしてれば死ねるかなと思った。
でも、どんなに悲しくても簡単には死ねない。
お腹が空いてご飯を食べ、排泄をし、
耐え難きを耐える気持ちを無視して、体は生きる活動をする。
余計に涙が出た。
・家族のかたちは一つではない。母親のありようはさまざまだ。かつて、子どもを保育所に預けて仕事をする母親を「育児放棄」と蔑む時代もあった。
同性結婚や片親や夫婦別居婚など
色々な家族の形が認められつつある中で
離婚後に子供を引き取らない母親の存在は
全く変わっていないと感じる。
かつて安室奈美恵さんが離婚した際
親権を旦那様が取り、子供を引き取らなかったことで
世間からは厳しい言葉をたくさん投げかけられていた。
彼らには、私たちにはわからない事情があって
両人とも納得したからそのようになったのだと思う。
・子どもが誇らしいと思える母親になりたい。困ったとき頼れる母親でいたい。
この思いのみで生きてた気がする。
いつか息子に会える日が来たら(会えないとしても)
彼に対して恥ずかしくな生き様をしていたいと思ってた。
会うまで「楽しい」って思ったらいけないとも思った。
親権を取れなかった母親を
私は穏やかに理解してあげたいと思う。
責める人がいたら
色々理由があるのよ、と諭したい。
人の数だけ人生はあって
それぞれが深くて濃い。
ひとつひとつの生き方を
お互い認め合えるようになるといいね^^
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余談。
離婚後の深く沈んだ毎日の中
ロードスターを手にした時から
人生が変わった気がする。
「楽しいって思ってもいいんだ」って癒された。
ロードスターは私の人生と並走してくれた。
だから、ただの車じゃないんだよ^^
Posted at 2021/03/28 21:04:27 | |
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