万葉集講座の時間です。令和の典拠である万葉集について述べてきました。前回までで、どうして万葉集の和歌ではなく序文が出典になったかという所まで行きました。さらには仮名の誕生までのべてきましたので、もう終わりにしても良いのですが、一部の人から好評をいただいていますのでもう少し続けたいと思います。
日本人は仮名を発明したことによって、現在私たちも使用している漢字仮名交じり文というものを作り出しました。仮名についてもう少し考えたいことがありますので一緒に考えていきましょう。
片仮名と平仮名
どうして平仮名と片仮名の2つの仮名が生まれたのでしょうか。新しい文字は1つでも良いはずです。それについて考察していきましょう。
私たちの現在での仮名の使い方を見ていきましょう。考えるまでもなく平仮名が圧倒的に多く使われていますよね。では片仮名はどのような時に使うでしょうか。日常では外来語を書く時ですよね。パソコン、マウス、ブログなどです。国名もそうですね。アメリカ、フランス、イギリスなどです。また英単語そのものを指す時にも使用しますね。レイン、オープン、ラブなどです。でもこれだけではちょっと説明が付きませんね。
皆さんは六法全書を読むことがあるでしょうか。かつては私の本棚にありましたが今はありません。法律の条文がどのように書かれて知っていますか?私が高校の時に見た時には漢字とカタカナで書かれていました。文章も文語体でとてもわかりにくいものでした。法律の多くの条文は明治時代に作られたのですが、それがずっとそのまま残っていたのです。
「別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外公示催告手続及ビ仲裁手続ニ関シテハ其性質ニ反セザル限リ民事訴訟ニ関スル法令ノ規定ヲ準用ス」
どうです?読めますか?理解できますか?こういうものをわかりやすいものに変えていこうとなったのは、なんと平成になってからでした。
紀貫之の登場
時代が平成まで来てしまいましたが、また昔に戻ります。でも万葉の時代(奈良時代)ではなく、平安時代です。平安時代に1人の天才が登場します。紀貫之という歌人です。百人一首には次の歌が選ばれています。
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
貫之は『古今和歌集』の撰者の一人です。醍醐天皇の勅命によって作られた勅撰和歌集です。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人ですが、貫之が中心であったようです。古今集には102首の和歌が入っています。これは歌人の中でトップの数です。
撰者・・・和歌を選び集めて歌集を編集する人。
勅命・・・その国の最高位の人の命令。日本では多くは天皇の命令。
古今集には真名序と仮名序という2つの序文があります。ここまで勉強してきた皆さんはもうわかりますよね。真名序とは漢文で書かれた序文です。紀淑望が書いたと言われています。そして平仮名を使って書かれた仮名序を書いたのが紀貫之でした。
やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。
冒頭文はこんな風に始まります。その後に続く文章では和歌について論じています。初めての歌論と評価されています。
古今集には真名序と仮名序があったということは注目に値することです。このへんにカタカナとひらがなの生まれた意味が隠されていそうです。
『土佐日記』の冒頭
紀貫之は『土佐日記』の作者でもあります。その冒頭はあまりにも有名です。知らない人はいないはずです。
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
ここは高校の古文の授業で一番力が入る所でした。ここがきちんと理解できれば高校での古文の勉強もそれほど苦痛でなく受けられるようになります。ここの理解度が低いと古文の時間が辛くなってしまいます。文法的にも文学史的も重要な要素が詰まっていますので、この一行で2時間くらいかけてじっくりと学習させたい箇所です。詳しくやると眠くなってしまいそうなのでポイントを絞りたいと思います。
(現代語訳)
男の人が書くと聞いている日記というものを女の私も書いてみようと思って書くのだ。
知っている人は「ああ、あれか!」と思うでしょうが、知らない人、忘れちゃった人には現代語を読んでもわかりづらい文章です。「女の私も書いてみよう」ということは作者は女ですよね。でも紀貫之はもちろん男です。ニューハーフでもありません。これは何を言っているのでしょうか。女のふりをしているのです。現在でも男がネット上で女のふりをしていることがありますよね。知りませんでしたが「ネカマ」というそうです。高校の先生はそんな言葉は使いません。「男性である貫之は女性に仮託して土佐日記を書いた」なんて説明します。
さて、貫之さんはどうして女性のふりなんてしたんでしょうか?
カタカナとひらがな
ここでもう一度2つの仮名について考えます。奈良時代から平時代の日本社会は天皇を中心とする貴族社会です。貴族が政治や文化の担い手でした。もう一つの知識階級として僧侶がいました。仏教は当時の最先端の科学、哲学だったのです。その人たちが新しい文字である漢字を習得しようとしたのは当然のことでした。現在でもお経は漢字ばかりですよね。でも貴族も僧侶という知識人たちも漢字には苦労しました。勉強する上でのメモ書きも必要となりました。その時に使われたのがカタカナだったのです。カタカナは漢文に深く結びついているのです。
貴族たちは政治を行っていく上で漢文を利用しました。同じように漢文とカタカナを利用して毎日の出来事を書き記したりしました。漢文、すなわち漢字とは権威の象徴だったのです。漢字と密接な関係にあったカタカナも同様に考えられていました。そして、その権威を持っていた貴族や僧侶は男性です。漢字は真名というのはすでに勉強しましたが、男文字、男手とも言ったのです。
それに対してひらがなは主に女性たちが使いました。ですからひらがなのことは女手ともいうのです。女性たちがひらがなを使用したのは取り扱いがやさしいからというのが理由でしょうが、漢字とひらがなを比較すると他の理由も見えてきます。漢字は直線が多く使われていたり角張っていて、ごつごつした印象です。ひらがなは曲線が多く、丸みが感じられ優しい印象です。女性たちはそんなひらがなを好んで利用したのだと思います。
話があっちこっちに行ってしまい、まとまらない文章になってしまいました。飲酒の時間ですのでこの辺で終わりにしたいと思います。次回はとりとめのないこの文章を紀貫之さんにまとめてもらいたいと思っています。
Posted at 2019/05/31 18:48:35 | |
トラックバック(0) |
勉強 | ビジネス/学習