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2022年12月25日 イイね!

幼少時の追憶 その②;タイホーとオアシスとイチコーのルーチェと。



 クリスマス&コロナ禍の中、こんな超ローカルでおかしな追憶記事を書いている自分、本当に「なんだかなぁ」と思いつつ(苦笑)、書き進めさせて頂きます・・・ 




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 わたしはtwitter民ではありませんので直接お礼はできないのですが、まずはじめに、このような貴重な資料の存在を知らしめて下さいました;

 https://twitter.com/supertaiho

 の主の方に深謝申し上げますm(_ _)m 。

 なお、今は無きこの地元スーパーの概略につきましてはwiki;

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%BC_(%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)

 などに詳しいのでご参照下さいませ。




 さて、今では見るかげもありませんが、昭和時代のK市において繁栄を誇っていた「六ツ門」界隈。


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 (写真はwikiより拝借)

 井筒屋デパート(2009年閉店)や・・・・



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 (写真は上掲書より拝借)

 あけぼの商店街~サンロード六ツ門といったアーケード街。またその一角には・・・



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 (*適切な写真がないため本書より低画質変換の上紹介しますが、関係者より著作権のご指摘があれば削除させて頂きます)

「栄養通り」という、柳橋連合市場や旦過市場のミニ版のような市場などで賑わっておりました。




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 そしてかつて「ショッパーズダイエー」であったこの店舗。ここには昭和53年まで・・・



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 (写真は上掲書、およびいつもの航空写真1975年度版より拝借)

 上記の地元スーパー本店が存在しておりました。

 わたしは、この店舗写真をずっと探していたのです・・・・(泣)。長らく忘却の彼方にありましたが、たしかに隣には駐車場があったような記憶が、この写真を見て脳裏の奥底から浮上して参りました。そしてこのスーパー、

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/41229775/

にも昔話を少し書いたことがありますが、ここの1階入口付近には、いずれも当時珍しかった「瓶入りスコール」の自販機(これは、流石にネット検索しても今のところ画像が見つかりません)や・・・



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 (写真は、当時の自販機のオモチャw のオークション画像をキャプチャー)

 「オロナミンC」の自販機、そして・・・



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 (写真はメーカーHP;https://www.hoshizaki.co.jp/company/history.html  よりキャプチャー)

 現在に至るまでここでしか見た事のない、伝説の「オアシス」の自販機がありました。確か、一杯20円だか30円であったように記憶しております。


 そして店内は、1Fが食料品、2Fはたぶん衣類など、そして3Fがおもちゃなどの売場であったと記憶しており、上階には・・・・



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 上掲の;
 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/blog/41229775/
 にも以前書いたように、1人分の幅しかない狭いエスカレーターで上っていったものです。



 幼稚園の年長であった昭和51年か52年、知人の方に3階のおもちゃ売場で買ってもらったティントーイ。既にもっと新しい車種のものもあったに違いないのに、あえて「これ、他では見た事ない!」とコーフンして買ってもらったのが、そう、




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 (写真は某オクの出品画像よりキャプチャー)

 イチコーの初代ルーチェセダンでした♪。旧車好きの心、これだけは本当に三つ子の魂の頃から現在まで全く変わるところはない!と、断言できるものです。





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 閑話休題。そんな懐かしいタイホー六ツ門本店、上掲書によれば昭和40年に増改築されたという比較的新しい建築物であったにもかかわらず・・・・




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 六ツ門地区の再開発のため昭和53年11月に閉店(当時も十分に多くのお客さんで賑わっていた記憶があり、経営難というより、ここにも書かれておりますように創業者の地域開発への貢献のためあえて「一歩引く」判断であったものと信じられます)し、跡地には「ショッパーズダイエー」ができて賑わっておりましたが、今では・・・(以下略)。





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 タイホーではその他、学生時代の通学路にあった西町店や・・・



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 十三部店や自衛隊の近くにあった国分店、また、



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 以前の拙ブログ;

 https://minkara.carview.co.jp/userid/549571/car/1357988/4489051/photo.aspx

 にも記載した、愛しのスクラップヤードを消滅させた憎っくき店舗である(苦笑)八軒屋店などが懐かしく思い出されます・・・






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 タイホーの、というよりその創始者であった故・靍田松男氏の経営理念、正に「これに尽きる」といった感であり、今でも色褪せることはありません。




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 (写真向かって右から2番目が靍田氏。真中はこれもK市の戦後の発展に多大な貢献を果たした近見元市長)


 氏は占守島の戦い~シベリア抑留から帰国した真の苦労人であり、経営難に陥っていた旧・十合ストアの経営再建を引き受けタイホーとして発展させ、その他、今に続く「水の祭典」や歩行者天国の開催に尽力するなど様々な地域貢献を行った事でも知られるなど、地域で一目置かれる存在であったそうですが1994年没。その後「経営の柱」を喪ったタイホーは徐々に衰退し(各店舗に訳わからんサブネームを付けるなど、その末期は迷走の極みでした)、イオン九州への店舗譲渡という形で2008年に消滅、今や記憶の彼方です・・・








 湿っぽく終わるのも何ですので(汗)、タイホー~ショッパーズの時代からその道向かいに存在するラーメン屋さん。店舗は建て替わり、味も臭い(笑)も時代を反映してややマイルドにはなりました(幼少時のここは、それこそ100m手前からとんこつスープの臭いが漂っていたものです)が、今も健在なのは喜ばしい事です!! ではでは。

Posted at 2022/12/25 11:30:05 | 昔の追憶 | 日記
2022年12月18日 イイね!

幼少時の追憶 その①;「開かずの踏切」とサシ481-9


 ご覧の皆様、先日来の書き散らし拙ブログへの多くの「イイね!」、誠にありがとうございます。

 こちらも皆様への御礼訪問&イイね!付けをやってしまうと泥沼にはまるので(汗)、十分時間のある時にしかそれは行えません事、悪しからずご了解下されば幸いです・・・m(_ _)m 。


 さて、またまた昔話の鉄ネタをば。






 全国各地に「開かずの踏切」というのは存在しますし、幼少時のわたしの身近に存在したのは、


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 このカオスのような西鉄花畑踏切でありました。が、F県K市にはもうひとつ有名な「開かずの踏切」がかつて存在しました。





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 それが、国鉄K駅そばの「京町踏切」。とくに昭和49年に長門石橋が開通してからは交通量が激増し大きな問題となり、昭和50年代前半に立体交差工事が行われた結果、現在のような姿に至っております。


 時を遡るは自分が幼稚園の年長くらい=昭和51年頃。まさに長門石橋が開通してから立体交差工事が行われるまでの期間でのできごとです。当時「川向こう」には


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 リバーサイドパレスという娯楽施設があり、とくにK市に中央市民プールのなかった時代には夏休みの子供たちの遊び場のひとつとなっておりました。

 ある日、母や兄とタクシーに乗ってこのリバーサイドパレスに出かけたのはいいものの、この踏切超えにえんえん時間を費やしたものです。そしてタクシーが踏切の最前列で停車したところ、久留米駅に向かってすべるように走ってきたのが特急「有明」でした。勿論先頭は赤スカートのクハ481!



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   (写真は同型車のものを当時の雑誌写真より拝借)


 そして編成の中にわたしが見た食堂車・・・そう、それが「サシ481-9」であったことだけは、当時のその他の記憶がきれいさっぱり喪失しているにもかかわらず、何故だかどうしてか、わたしの脳裏に焼き付いているのです(苦笑)。





 ちなみに昭和52年頃の有明は10往復中、食堂車を営業していたのは3往復分のみであったそうで、54年頃に見た編成は既に「食堂車抜き」であったような記憶があります。そして55年10月のダイヤ改正で有明の食堂車は全廃。サシ481-9を含むサシ481初期ユニット群も廃車の運命を辿りました。





 この名著によると、サシ481-1~9 までの全車が鹿児島で終焉を迎えたとの事です。







 ちなみに当時の某誌より。これでは廃止されるのも仕方ありませんやね・・・







 さらにさらに時は流れ、昨年3月のダイヤ改正では、とうとう「有明」自体も廃止となり(写真は昨年3月12日に撮影した最終列車。酷い写真ですが「撮り鉄」ではないもので・・・)、今では全てが追憶の彼方です。






 貴重な写真を残して下さったup主に感謝申し上げますm(_ _)m 。ではでは。

Posted at 2022/12/18 00:03:46 | | 日記
2022年12月15日 イイね!

言うことなし!


 皆様こんばんは。新型コロナ「第8波」が急速に流行してきましたね・・・お互い健康管理にはくれぐれも注意いたしましょう。


 さて今夜、my Megane の外装磨き・各部タッチアップ・コーティング作業が終了し、カービューティープロ スプレンダー様より引き取らせて頂きました。



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 拙い写真で恐縮ですが・・・とにかく素晴らしい仕上がりです!!



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 クリア層の劣化が酷く仕上がりが懸念されたルーフも、ギリギリのところまで攻めて頂き、もちろん完全なミラーフィニッシュとまではいきませんが、わたしの見る限りでは艶々極上です。



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 ちなみに今回施行して頂いたコーティングは「EXE evo1」。詳細は;

 https://www.cbp.co.jp/procoating_evo1/

 に詳しいですが、要は「一番高いのもってこい!」精神(笑)&スプレンダー様のご推奨を信頼して施行して頂きました。

 スプレンダー様曰く「今でしたら、福岡で一番輝いているメガーヌⅡだと自信をもって言えます」とのこと。わたしも確かに自信があります(笑)。



 ここまでキレイにして頂いたので、もっと丁寧に扱わなければ・・・と反省するとともに、できる限り長く乗り続けたいと心を新たにした次第です。







 ああ、早くリヤバンパーモール入荷しないかな・・・・ ではでは。

Posted at 2022/12/15 23:23:52 | Renault Megane | 日記
2022年12月11日 イイね!

13年目の罪滅ぼし。





 鉄ネタの仕込みも色々やってはおりますが、本日はmy Megane の近況報告をば。






 2009年の新車購入以来13年、一応は屋根付き車庫保管&無事故ではありますが、とくにF31を趣味車としていた10年ほどはほぼアシ車としての扱いとなり、新車購入時に施行した5イヤーズコートも長期にわたりメンテナンスなど放置、また数年前まではGSでの手洗い洗車中心だったのですが、そのGSも閉店してからは洗車も高速洗車ばかりと、年々雑になる扱いのため(恥)、徐々に塗装面の劣化が懸念されてきました・・・








 さすがにこれではいかんと反省し、今年はその罪滅ぼしのためにもきちんと外装を補修しようと思いたち、その第一弾として先日は「デントリペア スピリット」様で素晴らしいデント作業を行って頂きました(店主様、その節は本当にありがとうございましたm(_ _)m )。






 そして現在、いよいよ本ちゃんの磨き・タッチアップ・ボディーコーティング等について、いつもの「カービューティープロ スプレンダー」様にお願いしております。






 F31時代からかれこれ10年以上お付き合いさせて頂いております故、その技術には全幅の信頼をおいておりますし、長いお付き合いの中で「ここは事前に自分で手を入れておくのが吉」という部分もまた分かっております(そういえばyamada様、お元気でしょうか・・・)。






 それが(劣化した)ウインドウモール。ボディーコーティングの後の作業だとシンナーや保護ツヤ出し剤のボディへの付着に気を遣いますし、コーティング前にここを自前で作業しておくことで・・・





 仕上がったクルマが、よりバリッと見えるであろう事も期待できるというものです。







 という事で、コーティングへのお預け当日に早朝起床して作業を行いました。
 表面劣化の目立つウインドウモールは、シンナーで拭った後・・・





 オートグリムの「Vinyl & Rubber Care」で表皮を保護し、さらに・・・





 残ったムラ・シミをメラミンスポンジでこすって整え・・・






 まあまあキレイになりました。これに気をよくして、







 樹脂パーツやタイヤも軽く Vinyl & Rubber Care で拭っておきました。


 スプレンダー様での作業は今週中頃までかかる予定です。製造後13年超、市場価値ゼロの車両に、普通のクルマの車検費用ほどの金額をお支払いする予定&そこまでやってもクリア層劣化のため完全なミラーフィニッシュにはならない(それを目指すと下手すれば下地が出るリスクがあるし、もとよりそれを目指してもおりません。スプレンダー様にいつも作業をお願いするのも「無理に追い込まずに一歩手前で引く」この頃合いが絶妙だからであります)可能性が高いのではありますが、普段使いのクルマとして他に欲しいものもありませんし、この車はもはや、わたくしmeganet の「Icon」みたいなもの&娘が1歳の時から生活を共にしてきた道具ですので、今回は費用を出し惜しみすることなく作業をお願いしております。仕上がりが楽しみですが、それまでは・・・・










 いつもの代車、軽自動車界のセルシオを満喫することにいたします。







 ただし、あわせて新品交換予定であったリヤバンパーモール、ディーラー様に発注中(1コのみ残っていた国内在庫部品を取り寄せたところキズだらけのため返品→本国発注となっております)なのですが発注後2ヶ月以上たっても入荷せず(先月のディーラー6ケ月点検の際にも確認しましたがまだ未着とのこと。。。)、ここも早く交換したいものです・・・


 来年はATFやFロアアーム、それにタイヤの交換なども予定しており、燃費も含め「費用対効果」という意味において完全に所有継続は非経済的なのですが(汗)、命あるものは可能な限り使い続けたいと思っております。

 作業完了の暁には改めて報告させて頂きます。ではでは。

Posted at 2022/12/11 21:55:00 | Renault Megane | 日記
2022年12月03日 イイね!

小ネタ連発 その③;キハ82は、国鉄DC界のキャデラックである。


 小ネタの第3弾です・・・m(_ _)m 。


 国鉄車両の名設計者であった星 晃氏。長命を全うされて、早いものでまもなく10年になります。
(星氏のご業績については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%99%83 などをご参照下さいませ)







 中学生の頃に買って以来、わたしの鉄道観のバイブルとなった「回想の旅客車 特ロ・ハネ・こだまの時代」。結婚~実家の取り壊しの際に(今となっては超貴重な文献・資料の山々と一緒に。。。)処分して以来なかなか再読する機会がありませんでしたが、某図書館に蔵書がある事を知り、「読みたい発作」が出るたび時々借りてきております。





 そんな星氏の晩年の著作であるこの本、わたしも大好きなキハ82について・・・・




 このような記述がなされておりました。
 フツーの人であれば「そうかそうか」と読み飛ばすところでしょうが、「50代になっても廚二病」のわたしはひと味違います!(あいかわらず偉そうw)。






 1961年にデビューしたキハ82、ライトケース周囲のデザインについて当時の米車をモチーフとしたのであれば、それはおそらく1957~58年式のモデルだと考えられます。というのも、
・当時の米車のデザイン的変遷として、ビッグ3の1957年モデルの一部から4灯式ライトが導入~1958年には大部分のモデルに拡大
・一方で1959年になるとGM系を中心に、いわゆる「フラットデッキ・スタイル」の方向にデザインが変化してくる上、米車の1959年モデルを参考にして1961年式の鉄道車両のデザインを決定するというのは、CADなど存在しない当時としては時間的にあり得ない
と考えられるためです。

 そこで1957~58年の米国乗用車メーカー、すなわち;
・GM系;Chevrolet, Pontiac, Oldsmobile, Buick, Cadillac
・Ford系;Ford, Mercury, Lincoln, そして忘れてはならないEdsel(笑)
・Chrysler系;Chrysler, Plymouth, Dodge, そしてDeSoto
・Studebaker / Packard
・AMC系;Rambler, Nash, Hudson(1957年まで)
・あと、純粋な乗用車ではないけどCheckerも(笑) 
 以上、計19ブランド・2モデルイヤーについて・・・・











 「1958 Chevrolet(*1957年は2灯式)」から始めて・・・「1957 Mercury」・・・「1957 DeSoto」・・・最後は「1958 Checker Taxi Cab(笑)」 まで片っぱしから画像検索した結果、






 1957年のキャデラックが、一番「それらしい」ように思われました!







 もっとも比較してみれば一目瞭然のように、キハ82のライトケースはキャデに「似せた」とか、ましてや丸パクなどでは全然なく、まさしくご本人が仰られたように「切れ長になったようなライトケース」から「デザイン上のヒントを得た」上での素晴らしい創造物、会心の一作であろうと、心から思います。

 また、黄金の昭和30年代国鉄における「特別急行列車」=国鉄DC界の「頂点」として相応しいトップレベルの風格・品格をデザイン面から突き詰めていった際、世界ナンバーワンの米国、その高級車の頂点であったキャデラックからデザイン的なインスピレーションを得た、というのは、まことに頷ける話だと思います。



 いまの鉄道デザインといい自動車のスタイリングといい、ここまで神経を注いだものは、はたしてあるでしょうか・・・・






 ではでは。

Posted at 2022/12/03 00:46:07 | | 日記

プロフィール

「吾輩は鈍牛のように反芻する その③;2輪に乗りはじめた1987年は高性能バイクブームの最中。同級生にもCBR250やFZ250乗りがいたが雲の上の存在。自分はAR50に跨りつつこれらの書籍で勉強したものだ。当時の中免少年の最高峰バイクNC24、これのロスマンズカラーに憧れたなあ。」
何シテル?   04/20 20:33
ファーストカーであるメガーヌ・ツーリングワゴン1.6(2009年購入、ph. 2.5) に加え、2011年に縁あってF31レパード・アルティマターボを購入し、2...
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