• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

からけんのブログ一覧

2010年10月27日 イイね!

人殺しよ!!タダで帰れると思うなよ。百式防空戦闘機の鉄槌をうけよ!!

人殺しよ!!タダで帰れると思うなよ。百式防空戦闘機の鉄槌をうけよ!!B29爆撃機搭乗員の感想は異口同音にこうだ。「退屈だった」
P51護衛戦闘機のパイロットも同様に、「退屈だった」

乗り組んだ米兵たちは成層圏も近い上空であるというのに、エアコンのきいた気密室のおかげで兵舎にいるときのようにくつろいでいた。グアムからの米軍の放送は軽妙なジャズをながしていた。DJは、テキサス、オハイオ、・・・全米各地からの家族や恋人の手紙を読み上げ、リクエスト曲をながしていた。コーヒーを飲んで雑談する。およそ戦場とはかけははなれた光景だ。300機編隊のすべてのB29の気密室の中で、この光景が展開されていたといえよう。恐怖であるべき戦闘行為がこのB29の中では、単なる消化すべきたいくつな作業だった。

富士山が見えだすと日本の米軍向け放送、あの東京ローズの悩ましい声が鮮明に入ってくる。ヤンキーたちにはローズの、“You welcome” という皮肉すら何の価値も持たない。B29というTokyo expressは、いままでなんの歓迎も受けたことはなかった。しいていえば遠雷のようにはるか下方の空で音をだす日本軍のいう高射砲の黒煙だけだった。

編隊を解くこともなく一丸となって東京焼却作業に向かった。

そのころ、東京の下町では20万人の市民たちが、あと数分の命とも知らずバケツでナパーム弾を消す気でいた。100万人の市民たちが、数分後に負うやけどによって生涯にわたって苦しめられつづけるとも知らず、庭の手掘りの粗末な防空壕の中にいた。500万人が肉親を失うとは夢にも思っていなかった。東条はいった。「帝都には一機の敵機も入れません」

地上の地獄図はいうまでもないが、運よく命を永らえた者がいるにはいた。ところが、東京市民の誰一人例外なく「深い悲しみ」を免れたものはいなかった。

偵察機をあわてて邀撃機にしたところで、まさに蟷螂の斧だ。

狼に襲われた兎の家族のなかに生き残った赤ちゃんウサギがいた。果敢にも体当たりで向かっていったが、300匹もの狼の多くは気がつくこともなかった。


戦争物はこれで最後にします。プラモデル作りはもうきついのです。
Posted at 2010/10/27 19:59:47 | 日記
2010年10月20日 イイね!

鬼畜米英!!百式司令部偵察機の時速600キロを思い知れ!!

鬼畜米英!!百式司令部偵察機の時速600キロを思い知れ!!福岡県の筑豊地方にこの百式司偵の乗組員に武富という方がおられた。シンガポールに進駐した偵察部隊は、この機の長足と高速を利用してインドやニューギニアに偵察に出かけたそうだ。生還した武富さんは、自宅の一部を改築して庶民と兵士の戦争博物館を開設して無料で公開されていた。いまは行政が受け継いで平和祈念館とか何とかいうものを作っている。

敵機に追われても全然恐怖を感じなかったことを話していただいたとき、武富さんの眼はキラキラしていた。

あるとき、現地の方からスイカをもらったので百式司偵に積んで8000メートル上空を30分ぐらい飛んだそうだ。するとスイカは芯まで冷えてとてもおいしかったとおっしゃっていた。またあるときは2機飛ばしておたがいの写真を撮りあったこと、陸軍の偉い人から感謝状をもらうほど活躍したこと、・・・

武富さんの話はつきなかった。武富さんの話は、アジア解放の聖戦の一翼を担った誇りに満ちていた。

僕は思う。

思い出は美化される。思い出が嘘だとは言わない。真実に違いない。でも、もっと多くの忘れたい真実もあるはずだ。

米軍にP51が参加するようになると、百式司偵の未帰還率が飛躍的に増加した。敵は12.7ミリ6門、2000発、12000メートル上昇、時速はなんと800キロ近い、まさに Cadillac of the sky !!
時速200キロの差で上空から1秒間に数十発の弾丸を浴びせる姿はもはや戦いではない。単なる殺戮だ。

ただ僕は、よくやったよくやったと言い聞かせつつこのプラモデルを作った。





Posted at 2010/10/20 02:50:56 | 日記
2010年10月18日 イイね!

343空の紫電改よ!! 大刀洗を襲ったB29を許すな!! 

343空の紫電改よ!! 大刀洗を襲ったB29を許すな!! 福岡県大刀洗には戦前、東洋最大の飛行場があった。朝鮮や中国大陸へ民間機も飛んでいた。

戦争中は米軍の重要な爆撃目標となり、小学生約30名を含め多くの民間人が犠牲となった。非戦闘員を殺しているのは明らかな戦争犯罪であるが、この民間人殺戮が断罪されたことはない。軍民あわせて1000人以上が殺された。

大刀洗は何度も空襲を受けているが、あるときの空襲で友達とはぐれたしまった人がいた。B29爆撃機が去ったあとその友人を探していると、屋根の上にいるのを見つけた。空襲なのになぜ危険な屋根に上っていたのか不思議に思いその屋根に行ってみると、友人は体が飛散し顔だけがそこにあった。

いまは農地やキリンビールの工場となり、その敷地の一部はコスモス畑となっている。

昭和20年5月5日の空襲の際、米軍のB29爆撃機は70機以上が飛来しているが、撃墜されたのは先日のブログで書いた体当たりによる1機を含めわずか2機とされている。

撃墜されたB29搭乗員は住民により殺害されたものもいたが、助かったものがいた。「殺してしまえ!」と襲いかかる群衆に敢然と対峙し、阻止した駐在の勇気に敬意を表する。6名が捕虜となった。

その捕虜の多くが熊本でさらし者にされたあげく福岡の現九州大学医学部に連行された。

医学部とは人の命を助けるところと思っていたが、そうではないことを知ったときには背筋が凍る思いがした。

医学部で最も残虐に人が殺された。

捕虜たちは生きたまま解剖され臓器ごとに分けられた。

画像は、大刀洗飛行場跡付近に咲く今日のコスモスです。









Posted at 2010/10/18 00:02:19 | 日記
2010年10月15日 イイね!

見よ!! 大日本帝国海軍零式艦上戦闘機 52型丙 の勇姿を!!

見よ!! 大日本帝国海軍零式艦上戦闘機 52型丙 の勇姿を!! 朝鮮、元山の我が帝国海軍航空隊はグラマンの急襲をうけた。敵は地上の旧式となった21型ゼロ戦なぞ目もくれず、離陸したゼロ戦52型丙に襲いかかる。歴戦の技量の高いパイロットを殺せ。米軍パイロットが受けていた命令だ。彼らは脱出した日本軍パイロットのパラシュートの糸を切り着水したパイロットを銃撃して殺した。

我が軍には本土決戦に備え兵力温存の命令が出ていたのだ。離陸したゼロ戦はただ逃げ回ることしか許されていない。このゼロ戦の中に、のちに僕の数学の先生となる井上少尉がいた。

逃げても逃げても速度にまさるグラマンは追い付いてくる。井上少尉は切り替えして何度もグラマンを照準にとらえた。しかし弾を打てないのだ。帝国軍人は命令を守る。「クウチュウタイキセヨ」

撃墜される僚機を横目に見ながら井上少尉は逃げ続けた。しかしついに被弾し着水する。グラマンは攻撃をやめない。撃ち込まれる機銃弾で舞い上がる水煙があたりを覆った。殺害をあきらめたグラマンは去り井上少尉は負傷したが生還する。

軍は負傷して戦闘能力の劣った井上少尉を特攻という自殺攻撃に志願させた。出撃のその日整備兵がシリンダーの中にスパナを置き忘れたので、始動後すぐエンジンが壊れた。
僕は、わざとスパナを入れてくれたのだと思う。

戦後井上先生となった海軍中尉は、多くを語らなかった。しばらく彼の家に間借りしていた僕は、もっと話を聞き出しておくべきだったと思った。



生産機数  52型丙  300     グラマンF6F  12000
Posted at 2010/10/15 11:59:56 | トラックバック(0) | 日記
2010年10月12日 イイね!

車はマニュアル、時計は手巻き、カメラは銀塩に限るのか、but, 時代の波には逆らいがたし?

車はマニュアル、時計は手巻き、カメラは銀塩に限るのか、but, 時代の波には逆らいがたし?オートマチックのクルマに始めて乗ったとき、こんな遊園地のゴーカートがはやるなんて、僕とは異質の人間が多数派なんだなと思った。ところがゴーカートどころか時代は進み、ブレーキも自動化され「おさるの電車」状態になった。

いいことだと思う。

いちいちクラッチを踏むこともなくなり、構造に疎い人も上手に運転できるようになった。

ただ仕組みがわかって乗ると、あのオートマチックなるもののぬるぬる滑る感じは吐き気がする。そんなに楽な運転をのぞむなら、いっそバスの乗客になればいい。とにかく勝手にギアが変わるのは我慢ならん。

と、こだわってきたが、あまりかしこい生き方ではなかった。しっかりコペンのオートマに乗っている。それなりに面白い。大排気量のMT車よりはるかに燃費もいい。しっかりマニュアル気分を味あわせてくれるなんとかという装置まで付いている。ギアのつなぎ目のぬるぬる感をとろうと痛ましいほどの努力がわかる。

こだわりほど損なものはない。人生の時間は限られているのだ。

僕は、ほかのことにもこんなむだなこだわりを繰り返している。

時計だ。

人それぞれに好みがあるので、こと自分に限っての話だが、電池がいやだ。ソーラーでも電池がいやだ。ましてやよそからの電波でコントロールするなと思う。私の時計だ。

便利さをとるならソーラー電波時計できわまったようだ。

ルイモネは月も日にちも曜日もわからない。たいした防水ではない。毎日ねじを巻かないと止まってしまう。正確さもクウォーツに劣る。

しかし、だからどうだって言うのか。

十万年に一秒違ったら困るような切羽詰まった人生を送っているつもりはない。それどころか月も曜日も時計に頼ることはない。長針と短針があれば十分だ。そんなことより、ルイモネでなければできないことが一つある。

ブレゲが培った上品さで私をつつんでくれる。

買いに行ったとき、デビ夫人がいた。  モンテクリスト  2/250





Posted at 2010/10/12 15:07:43 | 日記

プロフィール

「目新しいものを求めてさまようカモ http://cvw.jp/b/849485/48568574/
何シテル?   07/28 20:30
続けて読んでいただく方々に感謝しております 裏切り者、舞い上がった者、偉そうなバカと戦うブロガーであり続けます ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2010/10 >>

     12
3456 78 9
1011 121314 1516
17 1819 20212223
242526 27282930
31      

愛車一覧

アバルト 595 (ハッチバック) アバルト 595 (ハッチバック)
乗り降りが楽な革シートにしました。燃費は意外とよく最低でも15㌔/㍑走ります。(田舎です ...
その他 アラヤツーリスト その他 アラヤツーリスト
堅牢さと美しさにひかれて今日買いました。 自転車キャンプに挑戦しようと思っています。 ...
フィアット 500 (ハッチバック) からけん号 (フィアット 500 (ハッチバック))
やっと望んだ車に出会えました。クルマと会話できるのが、クルマの楽しみのひとつですね。 ...
スズキ GSR250 からけん号 (スズキ GSR250)
中華バイクが最近まじめになっていることに気づきました。かつての日本車のように頑丈に出来て ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation