• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

からけんのブログ一覧

2012年01月26日 イイね!

外交かくあるべし 佐藤尚武

外交かくあるべし 佐藤尚武佐賀県はその人口に比しすさまじい数の偉人を出している。僕が最も尊敬する外交官に佐藤尚武がいる。佐藤は生まれは大阪だが佐賀市内の勧興小学校に通っている。大学は現一橋大学の出身だ。

松岡洋右は日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。佐藤は一時彼のもとで書記官として働いている。

有名な国際連盟脱退の場面ではニュース映画に佐藤の姿も映っている。この脱退で帝国は東洋の孤島となったのだが国民は「堂々の退場」という字句に狂喜乱舞した。この後の歴史に判断とか選択というもののはいりこむ余地はない。ただ狂った石が坂道を転がり落ちたのだ。

松岡の気が狂った大陸拡張政策は軍部や国民の支持をうけたが、佐藤は一外交官として戦争回避に全力を尽くした。関東軍は、満州分離ひいては傀儡満州独立を企図していたので、佐藤の平和外交と対立した。

軍、右翼、狂気国民はさかんに満州は日本の生命線であると喧伝した。「バスに乗り遅れるな」、北進してソ連をたたけ。威勢のいい言葉が蔓延していたが、降伏するときはそのソ連に仲介を頼もうとした。哀れさがあふれる大本営の無定見だ。

道は一本道ではなかったのだ。巷の右翼が絶叫していたが、そう事は単純ではなかった。帝国はいくらでも選択肢を持っていた。低能達にはその道が見えようもなかった。

日華貿易協会経済使節団の一員として佐藤は蒋介石とも会談している。なんとか軍部との衝突を避けるための実績を積もうとしたのだが、一枚岩でない日本の態度に支那は不信をつのらせる。このとき、話のまとめ方、運ぶべき方向、力点、譲歩すべき点、新たなイシューの位置づけなどに佐藤の評価は高い。

日本は軍国主義者ばかりではなかったのだ。ただ皇国臣民は軍国の臣民であり全員が死ぬ気でいたしそれが美徳だった。つまりそれが多数だった。つまりそれが民主主義だった。一部の優れた理性の持ち主以外は、帝国がただのがれきになるまで狂い続けた。

大本営は敗戦が確実となると佐藤をソビエト大使にする。終戦工作を頼んだのだ。じゃあ今までなぜ非国民扱いをしたのか。都合のいい時だけ利用して、と僕なら思うのだが数段頭のいい人間は振る舞いもスマートだ。

佐藤は、ソビエトが参戦の意思を固めていることをいくつかの彼の情報網から判断し、ソビエトに和平の仲介を頼むことはいかに馬鹿げているか、何度も外務省に緊急電を打つ。本省からの返電には和平交渉を進めよと繰り返されるばかりであった。

松岡は開戦二日後に「欣喜雀躍」したと本人が書きのこしている。アメリカ生活の長い彼でもそうだったのだ。700対1の生産力でどうやって勝つのか。国民はどうでもだまされる、どんな熱狂でもする。その時正しい冷や水をさせるのが、より多く理性を磨いた人間の務めだ。

国際連盟時代、佐藤は少数民族問題で着実に実績をあげていた。日本は常任理事国だ。連盟内での彼の評価は高かったが、上司の松岡が脱退だというとハイというほかなくさっと荷物をまとめ帰国した。

可能性のないソビエトとの和平交渉もやれと言われれば全力でモロトフ外相と交渉した。ただ全く可能性がないということを、東郷重徳外相に対して諭すように機密電を送っている。

「すでに抗戦力を失ひたる将兵および我が国民が全部戦死を遂げたりとも、ために社稷(国家)は救はるべくもあらず。七千万民草枯れて上(天皇)御一人安泰たるを得べきや。(中略)過去の惰性にて抵抗を続けおる現状を速やかに終止し、以て国家滅亡の一歩手前にてこれをくい止め、七千万同胞の塗炭の苦しみを救い、民族の生存を保持せんことをのみ念願す。」

戦時中に、しかも外交官が、こういうことを言うことは、場合によっては致命的な発言になることを意味していた。

現代の外交官にまったくないモノ、それが愛国心と勇気だ。
Posted at 2012/01/26 20:35:29 | 日記
2012年01月25日 イイね!

piezoelectric effect (ピエゾ効果)

piezoelectric effect (ピエゾ効果)jawayさんレベルになるとあほらしくてきっとこんな文章読んでられないと思う。でも非破壊検査や潜水艦のソナーや100円ライターやイヤホンと、フュエルインジェクターが関連あると知ったとき僕は衝撃を受けた。

工作大好き少年だった僕は4011や555などを使ってロッシェル塩から音を出して喜んでいた。いろんな周波数は不可能で1000ヘルツのみのピ、ピ、ピ、と消え入るような音がした。

福岡(天神)には電子パーツ屋があってそこのジャンクは楽しみだった。だんだん自作派は消え無線機で言えば聞きっぱなし、クルマで言えば乗りっぱなしが増えた。

いろんな乗り方があって当然それでいい。のでヒューズすら変えない人もありうる話だ。ただその人からこちらもとやかく言われる筋合いはない。

最新のクルマのメーターの位置やライトの位置は知らないがメカには気を使っている。朝鮮人みたいにつりあがった目をしたライトが、はやりのようだが勝手にしろ。ただクルマからメカが消える日はない。

たしかに整備士のようにスムーズにはいかない。でも修理のついでに、パッドは大丈夫かローターは大丈夫かシャフトのがたはないかオイル漏れはないか錆びは出てないかとクルマとの対話を楽しめる。

か弱きロッシェル塩よ、か弱きイヤホンよ。その力でヂーゼルのシリンダーに燃料を射出するのをコントロールするという思いつきは物笑いの種だったろう。ソレノイドならいくらでも強くできる。しかし、即応性や電力消費などを考えソレノイドは採用されなかったのであろう。

ありうるだろうか。100円ライターのカチッという消え入るような火花が今やトラックを動かしている。ガソリンエンジンの射出は4Mパスカルだから安上がりなソレノイドになったのだろう。電磁石でコツコツ動かそうとしたのだが、ディーゼルは200Mパスカル必要だそうだ。しかも一回の射出を数回に分ける正確さを持っている。

お家のガスレンジをパチパチパチとつけるとき、物質に圧力を加えると電圧を発生するということを知らずにやっているが、重要なのは電圧を加えると物質にひずみが生じるということだ。これによってクルマは燃料の開閉を行っている。

ピエゾ効果のおかげでクルマが走る時代が来る。

Posted at 2012/01/25 20:24:23 | 日記
2012年01月24日 イイね!

ハリマオ、ハリマオ、僕らのハリマオ。

ハリマオ、ハリマオ、僕らのハリマオ。昭和の時代。ほとんどの日本人家庭にテレビがなかったころ、近所のテレビがある家にテレビを見に行っていた。テレビが家に来ると、今度はみんなが見に来るようになった。

子供はみんな正義の味方が好きだ。白昼夢のように夢と希望で現実を作ってしまう。ハリマオのおじさんはいつも僕たちの味方をしてくれる人だ。ハリマオはブラウン管を飛び出して僕らの仲間になっていた。

僕は驚いた。すぐ近くの出身じゃないか。近くの実在の理髪店一家じゃないか。こんなところに正義の味方がいるのか。

マレーに移住したハリマオ一家を悲劇が襲う。支那人ゲリラが満州事変の復讐にこの日本人を襲う。ハリマオ自身は日本の徴兵検査に不合格となっていた。マレー語の方が日本語より堪能なほど努力してマレー語の習得に努め、本人もマレー人として生きていこうとする矢先だった。だが中国人には日本からの侵略者に映ったのだ。

支那人はハリマオの妹の首を切り持ち去ったのだ。さらにハリマオを失望させたのはどこに訴えても相手にしてもらえなかったことだ。英国はむしろ妹の悲劇を訴えるハリマオを投獄した。

それならおれが仇をとってやる。こう考えるのは当然の流れではないだろうか。もともと親分肌で部下の面倒見がいい彼の周りにはたちまち多くの反中国反英国の感情を持った不満分子が集まった。

千人近くの部下を従え華僑や英国人の邸宅を襲った。列車爆破まで行うようになった彼はもうマレー全土を手中にしていた。部下は3000人となり一つの街を形成した。谷豊という日本名を捨て完全にハリマオとして通した。

庶民のものには手をかけないいわゆる義賊として彼の噂は広がった。

はたしてそうであったのかは分からない。確実なのは日本陸軍が彼を利用することを思いついたことだ。帝国の策略は巧妙だ。ハリマオこと谷は日本の徴兵検査に身長が足りなくて不合格になったことを心の底で気にしていた。俺は帝国軍人にはなれないのか。

そのかれのこころのすきまにきりこんできたのが藤原岩市のF機関である。藤原は戦後陸将にまで上り詰める。彼は言葉巧みにマレー作戦に先鋒としてハリマオを利用する。ハリマオの組織は粉骨砕身日本軍に協力し道案内から共産党の討伐まで活躍する。

マレー作戦は思いのほか順調に推移するが、ハリマオは重篤なマラリアにかかってしまう。ハリマオは没する。

ハリマオの影響を受けた労働者は、ハリマオの呼びかけの呼応して大英帝国に対する大規模なストライキを行う。日本軍の進撃が速かったのは十分にその影響があったと考えられる。ところが占領をすました日本軍とタイミングを合わせるかのようにハリマオは病死する。利用価値がなくなった者は消される。どんなに貢献しても。

僕らの英雄は、本当はどこにもいなかった。






Posted at 2012/01/24 20:25:08 | 日記
2012年01月23日 イイね!

なんと素敵でなんと怖い僕のベレッタ

なんと素敵でなんと怖い僕のベレッタ僕の家にあったフェートンを哀れに思ったのだろう。進駐軍は庭にジープをのこしていった。工具類をみるとグリスガンが包んでセットになっていたのを覚えている。今思うと客観的には暗いのだが、その時のゼネレーターは驚異的明るさで闇を照らしているように思えた。

フェートンのダイナモはアイドリングの時、消えいりそうな明るさしか出せなかった。とーちゃんは無免許だった。かろうじて橋を渡っている西鉄バスを横目に、ジープはその橋をジャンプして追い越した。からけん兄弟はシートをたたいて喝采をあげた。

間抜けな日本、それでどうやって戦争に勝とうというのか。得意の自殺攻撃か。帰り道は僕が運転した。警官がいても大丈夫。早く免許取ってくださいよ。といわれるだけだ。当時の僕の年齢で免許とれるわけなかろうが。もうフェートンにはだれも乗りたがらなかった。ばーちゃんですらジープを好んだ。

全浮動式、ラダーフレーム、センターデフ、幌、リーフスプリング、リッター5キロ走れば上等だ。米軍はなぜそんなクルマを好んだのか。モノというものは何のために存在しなければならないのかを十分意識していたからだ。

あの頃の地方の道路事情は絶望的だった。街灯はない。舗装すらない。大きな穴がなんの警告もなく開いている。バラスの山が突然出てくる。こんな状態ではいまのクルマは走行できない。アメリカという国は占領後の低開発国の道路事情までよく研究していた。

この頃38式歩兵銃をほめるものが出てきて寒心している。そんならその銃で勝ってみろ。撃たずにものを言うな。自衛隊の銃のすばらしさは38式と断絶したところにある。

ベレッタという銃がある。この銃も、モノというものは何のために存在しなければならないか、考えつくされた銃だ。たしかに美しさという観点だけから見れば、美しい銃は日本製の銃だ。しかし銃というものは弾が出て敵を殺すものである。美しさは関係ない。

失火(Miss fire)した時はかなりの確率で自分が死ぬ時だ。100mを8秒で走るイノシシに向かって撃たれた弾が失火すると、銃手は確実にあの世生きとなる。2発目を打つことはできないし(薬室にまだ弾がある)失火した後はいつ暴発するか分からない。多分2秒後に怒り狂ったイノシシは銃手の腹をえぐる。

ゼロ戦のような工芸品は美しいと思う。まさにそのように日本の銃は不必要に磨き上げ丁寧に彫刻を入れる。職人技だ。しかし失火したときすべてが終わる。ある日本のミシンメーカーの銃を愛用していたが失火した。いまでもいい銃だと思っている。だが僕を殺そうとした。

僕はベレッタの失火を知らない。(失火=撃鉄をひいても弾が出ないことでいつ暴発するか分からない状態が続く)
Posted at 2012/01/23 21:13:07 | 日記
2012年01月22日 イイね!

Hard to starbord(面舵を切れ)

Hard to starbord(面舵を切れ)20ノットで走る巨体が行き足を止める(船の速度が0になること)までには30分以上を要した。タイタニック遭難事故である。氷山との衝突という究極の事故に際し船長は的確な指示を出さなかった。この優柔不断は少なくとも数百名の命が無駄にニューファンドランド沖に消えることに貢献した。無能のなせる悪魔への貢献だ。

油のように凪いでいる海面には安全に、まさに演習のように救命ボートを下ろすことができたはずだ。上級船員を集めろ。救命胴衣を全員につけさせろ。船員を救命ボートに配置して秩序だったボートへの乗り組みを誘導しろ。無線が生きているうちに遭難信号を打て。下級船員は乗客の誘導にあたれ。

ところが、何もしないかもしくは手遅れだった。今回の座礁事故をおこしたイタリアの船長のようだ。あと100年は笑いものになるな。

船長には警察権と裁判権がある。僕のような小さな船でも逆らうやつは射殺すると前もって言っておく。コスタコンコルディアの船長さん。お食事途中だから船に残ろうとしたの。食べ終わったから若い彼女と逃げたわけね。タイタニックですらあの程度だったから、まあその程度かな。

乗客の中には心洗われる人がいる。

まずはよくない話から。タイタニックには1178人分の救命ボートがあった。当日は凪いでいたので両舷から上手に脱出すれば2000人は救命ボートに乗れた。総乗客数は2223人だった。あと200人ぐらいは家具をつなぐなりなんとかして浮遊体が製作可能だった。Hard to starbord(氷山をよけよ)の見張り員の叫び声からすれば十分すぎる時間があった。2時間40分。

全体の連絡に不手際が多い。処女航海から乗客を詰め込まないのは軍艦だってすることだ。しかし救命ボートに乗って助かったのは諸説あるがとにかく700人ぐらいだったようだ。その25人乗り救命ボートの中にはわずか16人しか乗ってないものもあった。しがみつく乗客をオールでたたき落とすものもいた。ほかのボートに乗客を移しまだ海上に浮いている乗客を助けに戻ったのはたった一隻だった。

ここで国籍によって生存率が違うことに言及したい。イギリス人は10%低いのだ。僕はここに、ノブレスオブリージュの精神を見た。彼らはこう考えている、すなはち自分はSCIENCEについて幸いにも十分触れる環境にあった。だから先に死ぬのだ。これは日本人には分からない。500ドルも出した俺が死んで、何でたった4ドルしか出してないお前なんかが助かるんだ。この考えいかがですか。自分は教養も積みマナーを身につけ多国語の中で育ち上品な妻がいて上品な子供がいる。なぜおれが死んで夜中に回転ずしにいく無教養が助かるんだ。

これが違うんですね。だからこそ自分は多くの人に優先して地球上の富を獲得したから、今度は僕がこの富で得た教養をみんなに帰す時がまさに今なんだという考え方です。

遠い世界のことと思って読み飛ばしているでしょう。そうです。確かに。あの上品さはまだ遠い世界のことです。

救命ボートに乗り組む乗客をボランティアで手伝う二人のイギリス人がいた。乗客が乗り移ってしまうとボート側の船員が乗り込めと手招きするのを断った。沈みゆくタイタニックに残ったのだ。こう言った。

Es ist gut.
(これでいいのです)
Posted at 2012/01/22 20:09:29 | 日記

プロフィール

「目新しいものを求めてさまようカモ http://cvw.jp/b/849485/48568574/
何シテル?   07/28 20:30
続けて読んでいただく方々に感謝しております 裏切り者、舞い上がった者、偉そうなバカと戦うブロガーであり続けます ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/1 >>

123 4 5 6 7
8 9 10 1112 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 262728
293031    

愛車一覧

アバルト 595 (ハッチバック) アバルト 595 (ハッチバック)
乗り降りが楽な革シートにしました。燃費は意外とよく最低でも15㌔/㍑走ります。(田舎です ...
その他 アラヤツーリスト その他 アラヤツーリスト
堅牢さと美しさにひかれて今日買いました。 自転車キャンプに挑戦しようと思っています。 ...
フィアット 500 (ハッチバック) からけん号 (フィアット 500 (ハッチバック))
やっと望んだ車に出会えました。クルマと会話できるのが、クルマの楽しみのひとつですね。 ...
スズキ GSR250 からけん号 (スズキ GSR250)
中華バイクが最近まじめになっていることに気づきました。かつての日本車のように頑丈に出来て ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2010年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation