『When Audi deployed Mikkola to help a US title bid』
ハンヌ・ミッコラは1984年、アウディでフルシーズン戦って来たのでもう十分だと思ったかもしれないが、最後の旅をするように頼まれ、彼はカーソンシティに向かうことになっていた
40年前、引退するチャンピオンをネバダ州に呼び寄せたのは何だったのか?
それは単純明快で、WRC(世界ラリー選手権)でタイトルを獲得したクワトロに、もう1つのタイトルをもたらすチャンスだったからで、カーソン山脈に囲まれたこの街は、SCCA プロ・ラリー選手権の最終ラウンドの開催地となった
クワトロ S1をドライブするミッコラは、アウディのドライバー仲間であるジョン・バッファムを手助けするためにこの街に出向いた
バッファムはそのシーズン、タイトル防衛に成功しそうな勢いで臨んでいたが、第2戦オリンパス・インターナショナル・ラリーと第7戦プレス・オン・リガードレス・プロラリーでリタイアしたため、マツダのロッド ミレンとのタイトル争いで貴重なポイントを失った
オレゴンでの最後から2番目のイベントで勝利して差は縮まったが、タホ湖の東側の道路で行われたイベントでは、RX-7 4WD がまだリードしおり、アウディはバッファムとミレンの間に車を入れる必要があった
SCCAシリーズには馴染みがあり、前シーズンのプレスオンリガードレスでの米国デビューで優勝したミッコラは、喜んで手助けした
ミレンは街中のステージでリードし、先制点をあげたが、イベントが砂漠のようなグラベルに移るとすぐに、フィンランド人ドライバーが優位に立ち始めた。トランスミッションの故障でミレンはリタイアを余儀なくされ、一方ミッコラとコドライバーのジョン・ダヴェンポートは最速タイムを連発し、タイトルを決めたバッファムに7分差で勝利した
40年前、ネバダ州で興味深いエントリーをしたのはミコラだけでは無く、マゥロ・プレグィアスコはミケロットが用意したフェラーリ308GTBを駆って出場したが、残念ながらSS2でドライブシャフトが壊れてレースを終えた
----------
前年ドライバーズタイトルを獲得したミッコラだったが、この年は惜しくもチームメイトのスティグ・ブロンクビストに次いで選手権2位に
そんなミッコラは、アウディからの申し出でアメリカでのタイトル獲得に一役買っていたんですねぇ
まぁ、結局はロッド・ミレンがリタイアしてジョン・バッファムがタイトルを獲得したのですが、タイトル決定後は速さを見せ付けるとは、流石はミッコラですよね
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2024/12/14 16:52:46