
先日、富士スピードウェイのイベントに行った時、初めてランボルギーニテメラリオを見ました。
~過去の印象~
Wiki画像の黄色よりやや薄い黄色の個体のそれを見て、ふと現代社会を深く考え込んでしまいました(そんな深くはない)。
皆様、ランボルギーニと聞いてどんな単語を思い浮かべますか?ボクの場合は、蘇る勤労(金狼)、織田無道、ミウラ多角形で曲がる(あれ?違うっけ?)、ボクサー薬師寺、、、
それを形容詞などに変換した場合、異端、異形、破天荒、、、そんな文字に変っていくと思います。
フェラーリとの確執など、伝説に尽きないブランドですが、乗る人にも尋常でない伝説が付いて回る、無茶なメーカーです。
(蛇足:ホントのところ、創業者は品質にこだわったけど無茶苦茶なデザインは要求してないらしい。初期の350GTVなんかは確かに先進的部分もあれど、意外とオーソドックスでもある。)
~現在の立ち位置~
そのランボルギーニの最新作が写真のテメラリオなのですが、これはガヤルドから続くベイビーランボの系統で、シリーズ初のプラグインハイブリッドでもあります。
V8ツインターボにモーター出力を足して920馬力、電池での走行も20kmくらい可能らしく、現代のスーパーカーの要件を満たした凄いクルマです。
そう、要件満たしてる。
ホームページを見れば先頭ページにきちんとCo2排出量と燃費は表示されていますし、環境に配慮をした事をきちんと証明しています。PHVのコンバインド燃費を見ると、まるで一昔前の普通のセダンくらいの燃費なのです。
そこで感じたのは「同調圧力」です。
日本社会における話題ではよく出る単語ですが、実際問題車社会にもそれはあって、所詮販売台数は僅少、乗る距離も僅少のスーパーカーに対しても同調圧力がガッツリ入りました。
結果として生まれたのが昨今のPHVハイパーカーですが、じゃぁこの車達がどれだけ環境に貢献するかと言えば、多分ほぼゼロでしょう。
ただ、こういう悪目立ちするクルマが「ボクも多様化考えてます」とメッセージを発することは実際問題大きな影響はあるので、そういう効果はあるのでしょう。現実的には年間1000kmとかしか走らない、年間3000台も作らない車の燃費を良くしても、地球に影響はありません。
むしろ個体で見れば、どこもエコじゃないです。重たい。
乾燥重量約1.7tと発表されていますが、走行可能状態に持っていくと限りなく1.8t、乗員二名足せば1.9tを超えます。重たい。
それもそのはず、PHVのシステムに追加したせいか4.7Mまで伸びた全長は、もはやガヤルドサイズとは別物です。充電して、短距離であれば既存モデルよりはガソリン消費量は少ないと思いますが、ガヤルドほどの長持ちはしない車でしょうから、生涯的環境負荷においてはむしろ非エコである気がします。
最新の制御システムと最新のタイヤで、あたかも重量を感じさせない加速と横Gを実現しているのは間違いないのですが、もはや型を押したようにそこかしこで見かける内容なので、サウンドや見た目の差異で勝負するしかない現象がこのクラスにも波及したように思えます。
~社会的に溶け込む必要は?~
で、これは個人的な印象ですが、なんか見た目が、、、
実物を見て一番に思ったのはデザインがやり切った感があるというか、ムルシエラゴやガヤルドで目覚めた新世代ランボルギーニのデザインに、過去のオマージュとかを足してこねくり回して結果なんだかどれにも似てないけど何かに似ているような車になった気がします。
そして、ディティール以前に受けたのが全体的なぼやっと感。なんかウラカンまではあったエッジ感が妙に少ない。プレスラインやキャラクターライン、あと面が微妙に膨らんでいるような感じなんですね。
これ、勝手な推測ですがPHVの機能や過給機の追加と補器類の追加で内部が相当にパンパンで、スペース不足の結果として外面が膨らんだんじゃないですかね?
そうなると、外板に若干外への曲線が出たり、そうなると切れのある鋭いエッジを入れる事が難しいし、抉ったり割いたりする大胆な構成も難しい。なのでライト類などはそこに相反して先代比で鋭いデザインにも見えるし、フォグなどに目立つ細工を入れているのは、部分的なところでデザイン的先鋭感を出すためなのかな?と。
ライバルであるフェラーリ296GTBが6気筒にしたのは、もしかするとこういう意味もあるのかもしれません。あれはこれよりもエッジが効いています。好きか嫌いかは別にして。
結果として、この車、地味な色にすると案外目立たない気もします。
~自分勝手には生きられない~
この手の車を乗る人は意外と都内に置かずに他の場所で保管して、休日に移動して乗っている事が多くなったようです。昔なら成功の象徴や富の象徴として街中でブイブイ言わせていたわけですが、今そんな事をしている人は、人から何を言われても気にしない又は気にする必要もない仕事・立場の人に限られている気もします。
もちろん、人の目線を気にする必要は本質的にはあまりないはずですが、メーカーがこんなですから、世界的にどこでも人は人を気にすることが増えた気がします。
結果として、掛け始めから爆音はしない、とかそんな事になったと思うのですが、自分本位で破天荒であるはずのランボルギーニがこれなので、なんともなぁと思います。
自分の人生を自分に使うって、個人的にはホント難しいと思うのですが、何故かそんな事をテメラリオ見ていたら思ってしまって、、、派手な塗装色がむしろなんだか侘しさを感じさせるというか。
破天荒でいられたランボルギーニとは内容も見た目も随分変わったように思えます。
~贅沢を捨てられるのか?~
多様化と環境問題が大きくクロースアップされる中で思うのは、もし地球を持続させるのであれば、多分人類は今手にしている贅沢の2~3割を捨て去る覚悟は最低限必要なんだろう、ということです。
電気の使用量もそうだし、資源の使用量もそうだし、飽食の世界もそうだし、人道危機や食糧支援の必要なエリア以外の先進国と呼ばれる世界を筆頭に、地球のリソースを思うがままに使うエリアの人々が等しく2~3割貧しくなるのは多分必需でしょう。
耳障りの言いエコロジストのいう共生とか、あんな甘っちょろい対策では本質的に効果があるわけなく、あんなのただのエコテロリストで先鋭的経済活動家にすぎません。だって、コロナ禍最悪期に全く稼働しない工場や飛行機のおかげで前年対比7%以上Co2排出量減ったのに別に気候変動に効果なかったですから。
もし、温暖化などを本気で止めようとする場合、あれ以上の経済活動減を、単年でなくて継続的に行うことでやっとこさ効果が表れるかもしれない、そんな計算が成り立つはずです。
そうなると、とんでもない貧困が生まれたり経済不能が生まれて、多くの餓死者や犯罪者や考えもつかないディストピア化が進行するはずです。多分、この地球の資源と現在持ち合わせている技術では、この贅沢さと人口を支える事は不可能なんじゃないでしょうか?
テメラリオばかりを出汁にするのは申し訳ないのですが、この車は作った側も誰一人地球への本質的影響に寄与するなんて思ってもいない、でも経済活動と開発分野の維持を考えたら生まれてきた産物なんだと思います。
人は一体どっちに舵を切るのか、ランボルギーニがもしメーカーとして無くなったら、それはもしかすると本当の共生へ向かい始めるのかもしれないし、過去の4リッターV12ノンターボへ戻ったら、人類は共生を諦め破滅が待っているかもしれない享楽の世界を突き進むのかもしれません。
ま、うまい事人も地球もハッピーになれば、それに越したことないんですけどね。