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狩猟犬のブログ一覧

2019年07月03日 イイね!

ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!

ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!最近、部屋に眠っていたVHSテープを引っ張り出して見ていますが、そんな中で〝再会〟したのが'92年のF1モナコGP。なぜかみんカラではF1に触れた事はありませんが、中嶋悟が日本人初のフルタイムドライバーとなり、同時にフジテレビが全戦中継を開始した'87年 (当時小5) から、アイルトン・セナが死んだ'94年まで、私はF1ウォッチャーでした。中でも最も記憶に残るレースが'92年のモナコGP。同年 圧倒的な強さで開幕5連勝を果たしたウィリアムズのナイジェル・マンセルが、残り7周で緊急ピットインした事によって生まれた、永遠に語り継がれるであろう〝伝説のバトル〟です。

御存知ない方はぜひ動画を見て欲しいですが、マンセルのタイヤトラブルによるピットインで前に出たマクラーレンのセナを、マシンポテンシャルで上回るマンセルがアッという間に追い詰め、残り3周はテール・トゥ・ノーズのドッグファイト。三宅正治アナの渾身の実況も名勝負を盛り上げました。彼は今でこそ『めざましテレビ』のイメージが強いですが、'90年代は有能なスポーツ実況アナで、個人的には競馬中継でもお馴染みの存在でした。そんな三宅アナがファイナルラップで興奮の余り、セナに肩入れする余り、実況者の原則たる〝中立・公平〟も忘れて口走ったセリフが『ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!』です。

このレースは結局、セナがその手腕をフルに発揮し悪質なブロックもする事なくマンセルを抑え切って優勝しましたが、テール・トゥ・ノーズになってからの3周はF1史全体から見ても五指に入る名勝負ではないでしょうか。

アイルトン・セナは約10年のF1キャリア中、6度もモナコGPで優勝しました。これは死後25年が経過した今も破られていません。また〝雨のセナ〟とも呼ばれ、雨中のレースも得意にしていました。市街地で行われる為コースがとても狭いモナコGPや、スリッピーな雨中のレースで強かった事は、セナのドライビングテクニックが如何に卓抜していたかを如実に物語っています。

さて私自身は前述の通り、F1は'94年で見るのをやめてしまいました。'91年の中嶋悟引退で惹き付けを一つ失い、 '92年はモナコGPこそ盛り上がったものの全体を通してはウィリアムズの独壇場で (セナが勝てないから?) 面白味がなく、この年限りでホンダが撤退した事で更に惹き付けを失い、′93年 (アラン・プロストがウィリアムズで年間王者) はほぼ全く見ず、'94年にセナがウィリアムズに移籍し「チャンピオン返り咲きか」とやや興味が甦ったものの、蓋を開ければ開幕から2戦連続リタイア。そうして迎えた第3戦サンマリノGPにて、悪夢のアイルトン・セナ事故死。 その分析などを読むため久々にF1専門誌を買ったりしたものの、セナに代わるミハエル・シューマッハとデイモン・ヒルの争いに惹かれる事もなく、結局見なくなっていきました。'94年はF1と同じく熱心に見ていたプロレスも見なくなったので、18歳になろうかという〝子供から大人へ〟の変革期だったせいもあったかもしれません。

私が見なくなった間に、日本でのF1中継は地上波からBSに、BSからCS&ネットに縮小して行きました。新しいHDDレコーダーを買った際にスカパーを2週間無料視聴できるので、フジテレビNEXTでF1中継を録って見ましたが、ハミルトンvsベッテルにもやはり私を惹き付ける要素はありませんでした。人はこうして、記憶に囚われ新しいものが入って来なくなり〝おじさん化・おばさん化〟してゆくのかもしれません。

でもまぁいいです。私の中で、中嶋悟やアイルトン・セナは永遠に輝き続けるのですから。
Posted at 2019/07/03 23:23:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | クルマ
2019年06月01日 イイね!

【私的名車列伝】第37弾 マツダ・ファミリア(5代目/BD型)

【私的名車列伝】第37弾 マツダ・ファミリア(5代目/BD型)5/24にマツダ・3が国内発売されましたね。さしたる興味もないので言及は控えますが、この宣材写真はどうしてドアが凹んだ事故車を使って撮影しているのでしょうか。え? 違うって…? (´ε`)

みんカラを始めて14年。『愛車紹介』やブログで一度取り上げただけで、当ブログの看板コーナー?の『私的名車列伝』で、マツダ・3の先祖にあたる我が5代目(BD型)ファミリアをまだ取り上げてなかった事に、今更ながら気が付きました。

なんせ万人が認める名車中の名車なので、記述も膨大になってしまいそうですが....ここで書いとかなくては後悔しそうなので、書いておきましょうか。

※ ※ ※

5代目(BD型)マツダ・ファミリアがデビューしたのは1980年6月。当時の1.5リットル級ハッチバックの日本車は…『自動車ガイドブック 1980~'81』によると、トヨタ・カローラがFR、シューティングブレーク風のリフトバックターセル/コルサはFFながらもエンジンは縦置き、ノッチ付きの中途半端な3ドア。日産・サニーもFR、クーペと「カリフォルニア」と称するクーペベースのロールーフワゴンのみ。パルサーはFF/横置きながらもOHVでパッとしないデザイン。姉妹車のラングレーはBD型ファミリアと同月デビューながらもパルサーと同じ。ホンダ・シビックはFF/横置きながらも丸っこい旧態依然なデザイン。その上級版クイントはリアクォーターウィンドウ付きのBD型ファミリア 5ドアにそっくりな(と言ってもファミリアより4ヶ月先だが)5ドア。三菱・ミラージュはFF/横置き、角張ったスクエアフォルムでファミリアの先駆けとも言えるデザイン()、スバル・レオーネはFF/4WDの「スイングバック」があったが、エンジンがOHVで如何せん地味。

....といった所。そう、日本における『FF(エンジン横置き)2BOX』は決してファミリアが元祖ではなかった。ホンダ・シビックが1972年に種を蒔き、1978年に三菱・ミラージュと日産・パルサーがその畑を耕し、そして1980年にマツダ・ファミリアが大輪の花を咲かせた....そんなイメージだろうか。

かくして5代目ファミリアは大ヒット。特に3ドアのスポーティなトップグレード『XGの赤色が若者に爆発的に売れ、サーフィンをする訳でもないのに屋根にサーフボードを固定し女の子をナンパする〝陸(おか)サーファー〟なる流行語をも生み出し、1980年6月の発売から1983年2月まで33ヶ月連続で販売台数を更新し続けるという信じ難い売れ行きを見せ、1982年に3度、1983年に5度、当時の〝絶対王者〟カローラを上回り月間販売台数1位を獲得する等、一躍〝日本を代表する車〟に躍り出た。1980年度の第1回 日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。

そんな若者に人気だった〝スポーティファミリア〟はその後、1983年6月にターボモデルを追加。前年に出ていたシティターボらと共に〝ボーイズレーサー〟(今でいうホットハッチ) の嚆矢となり、後のフルタイム4WD DOHCターボモデルへと受け継がれてゆく。

※ ※ ※

さて、私の父がこの5代目ファミリアの『5ドア 1500XE』を購入したのは、1983年1月のマイナーチェンジ直後。母の記録によると、1月末にディーラーで契約を済ませ、我が家に来たのは3月末。当時、私は小学校に上がる直前だったが、日曜昼に『たのきん全力投球!』(最終回だったらしい) を見ていた時に玄関のチャイムが鳴った事だけよく覚えている。自分でも驚きだが、それだけ子供だった私にとって〝最大級の喜び〟だったのだろう。

父は他に前述のホンダ・クイントやトヨタ・スプリンターカリブなども検討したそうだが、このファミリアを選んだ決め手となったのは、父が当時購読していた『ベストカーガイド』誌面で、当時の自動車評論家界の第一人者、徳大寺有恒氏が「ゴルフを模範にした素晴らしいクルマ」と絶賛していたから、だそう。私は今でも〝自動車評論家と言えば〟徳大寺有恒の名が真っ先に浮かぶほど氏を敬愛しているが、それはこの様にして父から受け継がれたものだった。

しかしながら、父が購入同年に登場したトヨタ・カローラ 5ドアセダンホンダ・シビックシャトルを気にしていた姿も覚えている。そのシビックシャトルの2代目に、将来息子が乗ることになろうとは...(笑)

※ ※ ※

かくして父とファミリアは、母と私を毎週末ドライブやファミレスなどに連れて行ってくれた。ボディカラーはサンビームシルバーメタリック。ショルダーラインにXE専用装備のブラックストライプが入っていた。Wikipediaにもある通り1983年春に当時の運輸省がドアミラーを解禁。フェンダーミラーから市販の社外ドアミラーに替えるのが大流行したが、父も同じく購入直後に自分で社外ドアミラーに換装していた。それ以外は最後までフルノーマル。鉄チン(スチールホイール)のままだった。内装色はブルーという名のほぼグレー。父が割とオーディオに五月蝿い為、カーステレオはディーラーOPで2DINの上等なAM/FMラジオ&カセットプレイヤーが奢られていた。まだ1983年だった為、スペアナのハシりのようなカラフルなバーが付いてて、下段左側にはスピーカーの前後左右調整レバー(フェーダーコントローラー)が生えていた。そしてこれも当時流行っていたのか、リアウィンドウには黒のブラインドがディーラーOPで着けられていた。

オーナー(とその家族)しか分からない点で言うと、何年か乗って気が付けば、インパネ内の間仕切りモールがぐんにゃりと歪んでいたり、フロントドアサッシュの内張りのコーナー部分の撓み処理が雑だと父がドライブ先の休憩中に指摘したり、父もまだ30代前半でアホだったのか、郷里に帰省する際にアウトバーンを高速でカッ飛ぶVW・ゴルフの真似をして、高速道路を140km/hでぶっ飛ばしてエンジン不調に陥ったりとまぁ色々あったが、そんなことは所詮〝些細なこと〟に過ぎず、あのバランスの良い佇まいを思い返す度に「良いファミリーカーだったなぁ…」との思いを新たにする。

そんな我がファミリアの最期は、私の小学校卒業を目前に控えた1989年2月頭の日曜夜、父と(場所は失念していたが、父によると)足立区入谷の中古車店に飛び込みで訪れ、車検目前だった為、たった3万円で引き取られて行った。舎人ライナーが通る遥か前、当該地は〝陸の孤島〟と呼ばれており帰りはバス。薄暗く狭いバスの座席で、凄く寂しい思いに囚われた事だけは今も覚えている。最期の家族ドライブは前年の暮れ、1983年の開園以来なぜか一度も訪れていなかった東京ディズニーランドだった。

※ ※ ※

あの時、マツダ・ファミリア 5ドアハッチバックを選んだ父の選択は、当時の父の年齢を優に超えた今になって思うと とても尊敬できるものだったと改めて思うし、父が選んだファミリア 5ドアハッチバックは正に〝ベストファミリーカー〟と言えるものだった。そう言えるような国産車、個人的には2代目カローラスパシオトヨタ・ラクティス辺りがパッと浮かぶが、現行だと日産・ノートe-POWERホンダ・フィットHYBRIDマツダ・デミオディーゼルトヨタ・ポルテホンダ・フリード辺りだろうか。シエンタはこねくり回したようなデザインがどうにも好きになれないし、今の時代〝ファミリーカー〟と言えば世間的にはハイルーフミニバンなのだろうが、仕事で何度も駆った上で思ったのは、一人乗車の時のあの途方もない無駄を背負っている感覚。三世代同居もしくは祖父母と近居でもなけりゃ、あれ程のスペースが必要とはどうしても思えない。

ともあれ、自動車メーカーには格好つけて若者に媚びるだけでなく、あのとき父が選んだような〝ベストファミリーカー〟をいつまでも造り続けて欲しい。

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マツダ・ファミリア 3ドアハッチバック 1500XG [FF/5MT] (1980.6~1983.1) ※前期型
全長3955mm×全幅1630mm×全高1375mm ホイールベース2365mm 車両重量820kg
1490cc(85ps/12.3kgm)※グロス  10モード燃費16.0km/L  車両価格103.8万円
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マツダ・ファミリア 5ドアハッチバック 1500XE [FF/5MT] (1983.1~1985.1) ※後期型
全長3955mm×全幅1630mm×全高1375mm ホイールベース2365mm 車両重量825kg
1490cc(85ps/12.3kgm)※グロス  10モード燃費16.0km/L  車両価格118万円
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Posted at 2019/06/01 03:56:55 | コメント(0) | トラックバック(9) | 車 - 私的名車列伝 | クルマ
2019年04月24日 イイね!

“あの日” から20年。

“あの日” から20年。あの日....シビックシャトル ビーグルを中古車店に引き取りに行った日から、4月24日で丸二十年が過ぎた。そう言えばみんカラにはまだ〝あの日〟のことを記していなかった。もう忘れてしまった部分もあろうが、更に忘れゆく前に....ここに書き残しておきたい。

きっかけは、私が1998年9月に普通自動車免許を取得したことだった。実は前に一度〝失敗〟してて、最初は1995年春、18歳の時に民間のドライビングスクールに通って取得を目指したが、民間のため学科試験を一切ケアしてくれなかった為、実地試験をパスしたまま等閑になり、親に出してもらった約30万円をドブに捨ててしまった。これに懲り、二度目は学科試験もケアしてくれる地元の公認教習所に通い、実地も学科も幸いな事にオールストレートでクリア、22にしてようやく普通自動車免許を取得。当時私はフリーターだった為、親に工面して貰いつつ人生初のマイカーを手に入れようという事になった。当然、中古車情報誌『カーセンサー』を買って物色したが、その中で目に飛び込んできたのが『シビックシャトル ビーグル』だった。シビックシャトル自体は初代も二代目も知ってはいたが、もろ〝RVブーム〟を当て込んだ装飾モデルが存在した事はそれまで知らなかった。ノーマルのシビックシャトルでは商用4ナンバーの『PRO』と大差なく地味過ぎるものの、見ようによっては〝幼稚〟とも取れる派手な装飾を施した『ビーグル』に、私は心を奪われた。他にどんな車種を検討したのか全く覚えていないので〝一目惚れ〟といった感じでビーグルにしか目が行かなかったのだろう。

免許取得後の'98年秋からビーグルを買う'99年春にかけ、片手じゃ足りない程レンタカーを借りてドライブに行ったが、時期も場所も失念したが 両親とドライブに出かけた帰り… 私はまだ運転技術が未熟だったので少しだけ運転し、父の運転で帰路の高速道路を走っていた時のこと。前方にシビックシャトル ビーグルを見つけ、父に「後を追って!」と懇願した。父は冷めた人なので、余り追ってくれなかった気がするが…。

'99年初春はひたすら『カーセンサー』と睨めっこ。条件に合うビーグルを探し続けた。条件はATで走行距離5万km以内。年式は比較的新しいもの。(ビーグルの販売時期は'94年7月~'96年2月)そんな条件にぴったりマッチする物件が3月になってようやく見つかった。場所は隣の神奈川県の平塚市。

1999年4月10日(土)、私は父を連れ(運転の練習がてらだったのか)電車ではなくレンタカーのEKシビック 3ドアで、神奈川県平塚市のその中古車店にシビックシャトル ビーグルを見に行った。やはりまだまだ運転技術が未熟(そして道も知らない)なので、ほぼ父の運転だったように思う。

店の前まで来ると、駐車場に居並ぶ中古車たちの中に青緑のシビックシャトル ビーグルを見つけ、すぐに 「これだ」 と分かった。如何にも〝街の中古車屋〟風情で、店員たちも〝元暴走族ヘッドの店長と子分が二人〟といった趣。挨拶を済ませビーグルを見せてもらったが、事前に電話していたにも関わらず、荷室には鉄パイプだのといった店の備品が置いてあり 絶句したことを覚えている。他に良い物件も早々ないのでそのくらいで見限る訳にも行かず、店長と交渉。カーセンサーに載っていた車両本体価格は64万円だったが、気付けばコミコミ100万円で父と私は契約書にサインをしていた。カーセンサーで目にする〝諸経費〟は大抵15万円ほどだが、父も私も値引きなど出来ないお人好しなので、いま思うと足下を見られてぼったくられたのかもしれない。そう言えば、中古車購入時の常識と言われる試乗も、前述のような状態だったので断られたのか、出来ず終いだった。

ビーグルを引き取りに行ったのは二週間後の1999年4月24日(土)。今度は当然レンタカーで行く訳にも行かず、父と東海道線で平塚駅まで、そこからタクシーで現地に行った。4/10の初来訪時と違って詳しく覚えてはいないが、その時のビーグルは店(と言ってもちんけなプレハブ小屋)の前にピカピカの状態で停められていたはず。父の援助を受け、100万円は一括で払った。なぜか特大のウォッシャー液をサービスしてくれたが、後にウォッシャータンクが破損している事と車体左前方が修復済みの事故車だった事が判明。もう細かくは覚えていないが、交渉時の店長の説明に「事故車」という文言はなかったように思うし、サンルーフ車という事もカーセンサーには記載されておらず、4/10に実車を見て初めて判明。(これは結果的には開放感のあるカーライフを味わえて良かったが)改めて書くと悪質店以外の何者でもない(笑)

引き取りを済ませ、父の運転で家路を走った。店からR129に出て北上、GSで満タンにし、厚木ICから東名道に乗り、すぐの海老名SAで撮ったのが上の画像。当時はまだ携帯電話もデジカメも無く『写ルンです』で撮ったはずだが、思いの外よく撮れている。なぜすぐ海老名SAに入ったのかはもう覚えていないが(父のたばこ切れかトイレ?)、上の画像には傘を差した父が写っている。気象庁公式サイトのデータによると、当日は大雨。海老名の15時の気温は14.6℃で、肌寒い日だったようだ。地元に着き、予め契約を済ませた駐車場で運転を代わり、車庫入れの練習をした。ビーグルを見に行く時に借りたEKシビック 3ドア(CVT)はアクセルが急で、ビーグルも同様なのか不安があったが(二代も違うしCVTでもないので当然だが)全くそんな事もなく、至って自然なアクセルだった。これからどんなカーライフが待っているのか....否が応でも胸が躍った。

※ ※ ※

それからは、首都高を始めいろんな所にドライブに行ったし、2年後の2001年には生まれて初めて出来た彼女とビーグルでいろんな所にドライブデートにも行った。その翌年には社会人入学した夜間大学にビーグルで4年間通い、卒業もした。どれもビーグルが無ければ出来なかっただろう。私の生活にビーグルは溶け込み、2006年4月27日に手放すまでの7年間、ビーグルと共に歩んだ人生だった。それから早、ビーグルと過ごした月日の倍近い13年もの月日が流れた。金銭的理由が主だが、東京都23区という生活上 車が無くても困らなく、かつ高い駐車場代等の理由も相まって、結局一度もマイカーを購入する事なく現在に至った。 ....と言うか、ビーグルのように〝ビビビッ〟と啓示が下りるような車にも巡り逢えなかった。そりゃあ金があればマイカーを買っているだろうが、思えばビーグルの晩年はちっとも出掛けず、バッテリー上がりを防ぐ為に嫌々ドライブに出かける事もあったし、今はカーシェアでのたまのドライブで満足してしまっている自分が居るのも事実。

そんなこんなで、ビーグルを取りに行った〝あの日〟が尚のこと懐かしく思える。件の中古車店は、Googleストリートビューによると2011年までは存在していたが、次の2013年の画像では無くなり駐車場に。その次の2015年では駐車場も無くなり只の空き地に。私が昨夏に直接見に行った時も空き地のままで、雑草が生い茂っていた。夜だったせいもあってか、当時の面影は何も感じられなかった。

※ ※ ※

ビーグルを手に入れてからの数年は、私にとって正に〝青春〟だった。あの頃と比べ、今はあまり楽しいとは言えない。四十路を迎え、加齢によるセロトニン低下のせいなのか睡眠障害気味で、体調も芳しくない。老け込むにはまだ早い年齢....何とかしてもう一度、あの頃に負けないくらい充実した日々を送りたいものだが....。
Posted at 2019/04/24 23:04:37 | コメント(0) | トラックバック(3) | 車 - 狩猟犬のカーライフ | クルマ
2019年04月11日 イイね!

【私的名車列伝】第36弾 日産・スカイラインGT-R Nür ミレニアムジェイド

【私的名車列伝】第36弾 日産・スカイラインGT-R Nür ミレニアムジェイドこれもなぜ未だ取り上げてなかったのか....R34 GT-R最後期の'02年2月、1,000台が限定販売されたNür(ニュル)の、限定色ミレニアムジェイド。貧乏人の私は試乗した事もなけりゃ道で見たのも一度きり。まだビーグルに乗っていた'04年か'05年、場所は忘れもしない第二京浜『清正公前』交差点上り先頭で信号待ちしていた時。目の前をミレニアムジェイドのNürが横切り目黒通りに入って行った。私は「あ!」と声を上げたに違いないw 後にも先にもミレニアムジェイドのNürを見たのはその一度きり。

私は現行R35 GT-Rのすんぐりしたスタイルがあまり好きではなく、R34 GT-Rの “THEクーペ” とでも言うべき “ベタな” スタイルの方がより好みなので、販売終了後17年を経ても尚、R34 GT-R Nürへの憧憬は消える事なく燻り続けている。

また “いつもの台詞” になってしまうが....この車も叶うものなら所有してみたい車の一つ。

スカイラインGT-Rの限定車「M・spec Nur」「V・spec II Nur」を発売 (公式リリース)
日産公式サイト WEBカタログバックナンバー
ロペライオ(中古車販売) YouTube

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日産・スカイラインGT-R M・spec Nür [4WD/6MT] ('02.2) ※1,000台限定
全長4600mm×全幅1785mm×全高1360mm ホイールベース2665mm 車両重量1580kg
2568cc(280ps/40.0kgm)  P/W レシオ5.64kg/ps  車両価格630万円
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Posted at 2019/04/11 05:55:13 | コメント(0) | トラックバック(2) | 車 - 私的名車列伝 | クルマ
2019年04月09日 イイね!

【気になる1台】ジャガー・XJR(X350系)

【気になる1台】ジャガー・XJR(X350系)デイムラー・ダブルシックスのブログを書いたから思い出した訳じゃなく、以前からずーっと気になる存在だったジャガー・旧XJ の、最強モデルがこのXJR。クラシカルなボディスタイルと、406psを発揮するV8 4.2Lスーパーチャージャー搭載の凶暴さの融合が、えも言われぬ魅力を醸し出している。又、個人的には2010年に登場した現行XJ よりも断然、旧XJ の方が好みな事も、この車への憧憬を高めている。

※ ※ ※

ダブルシックス同様、この車についても語る資格がないので各自ロペライオの動画でも見て欲しいが、やはりロングトランク&ショートキャビンのクラシカルスタイルのせいか、ホイールベースが3m超もある割には後席足元が狭い。まぁスペースよりもデザイン重視の車なのだから、それは仕方がない。

10年以上落ち故に本体価格だけなら買えなくもない金額だが、故障が多そう&各パーツも高そうで部品交換代が馬鹿にならないだろうし、なにせ燃費もリッター5kmも走らないだろう。

生きてる間に手が届くかどうかも分からぬ “高嶺の花” だからこそ、憧れを抱けるのだろうし、そんな車が減り続ける中、改めて 死ぬまで “憧れを抱ける車” を持ち続けたいものだなぁと思う。

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ジャガー・XJR [FR/6AT] ('03.5~'10.5) ※最終モデル
全長5100mm×全幅1900mm×全高1460mm ホイールベース3035mm 車両重量1780kg
4196cc(406ps/56.4kgm)  P/W レシオ4.38kg/ps  車両価格1305万円
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Posted at 2019/04/09 14:25:44 | コメント(0) | トラックバック(1) | 車 - ちょっと気になる1台 | クルマ

プロフィール

「初めてPCじゃなくタブレット/スマホから投稿 (フォトアル) してみたが、余りのやりづらさに呆れた。ニコ動と一緒でPC時代からスマホ/タブレット時代に上手く移行できなかったクチですね、ここも。」
何シテル?   05/15 07:24
80's Kidsで'80~'90年代の日本車を礼賛するような記事ばかり書いてきましたが、ネタが尽きてしまい放置中です。 '00年代の10年は、私にとって...
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ホンダ シビックシャトル ホンダ シビックシャトル
1999 (H11) 年4月24日、 中古車店にて購入。 (初回登録1995 (H7) ...
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  1979年10月、父が弟(叔父)から譲り受けた車で、我が家にとって初のマイカーだった ...
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  父が乗っていた1983年型ファミリアです。 大ヒットし社会現象にまでなった5代目 ...

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