もう これで最後 m(_ _)m
帯広で
実家の跡地を見た後、高速に乗る前の話。
まだ薄暗い中を デミオで農道を走っていた。
運転中に眠くならないよう気を使ってくれているのか、後席の伯母が話しかけてくれた。
同じく後席に座った従妹からは いびき が聞こえてきていたのに (笑
聞いたことのある昔話に混じって、
そもそも あの土地は、日露戦争の褒賞として お国からいただいたものだから・・・
てなことを さら っと言った。
それは初耳だ(0_0;
でも、
戦争から帰ってこれたと思ったら 「
褒美をつかわす ( ̄へ  ̄ 」 と のたまわれて、未開の蝦夷地に放り込まれるって
それは本当に褒美なのか???
日露戦争って、明治の半ばだったよな。
まだ北海道では屯田兵の時代だよな。
土地が平らなら まだ救いもあろうが、それでも良くて林。 自然と生えそろった木々を切って引っこ抜いて、例えば わずか 1ha を開墾するだけでも どれだけの時間を費やしたのやら。
とりあえず食っていける だけの面積を開墾するのに何年 ・ ・ ・。
まぁ、北海道へ開拓に入ろうなんて思ったのは十中八九、内地に居ても食える見通しがたたないか、何かやらかして内地にいられなくなった人々だと思うから、広い土地を自由にできると思うだけでも夢見れたのだろうな。 母方のご先祖様は、何を夢にみたのかしらね (=_=;
ただ結局、開拓に入った人々の2~3代あとの子孫達の多くは、北海道では食っていけなくて内地に移住して行くという ある種のUターン。
持って生まれた貧乏人というのは、世代を超えて流浪の民なのかしらね (-_-メ
一方で、父方はといえば、先の大戦でソ連に追われて樺太から北海道へと。。。
樺太へ渡る前は内地で ・ ・ ・ ・ やっぱり、内地に居ても食える見通しがたたないか、何かやらかして内地にいられなくなった人々なのだろう。
そう考えると、
我が先祖は 母方も父方も、最期は
ロシア絡みで北海道に渡ったのね ( ̄▽ ̄;
Posted at 2021/11/13 06:31:06 | |
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本当に独り言 | 日記