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1ベイカー11のブログ一覧

2012年06月15日 イイね!

198X年 N市内A興業

198X年 N市内A興業198X年春。

俺は故郷を離れ学校を卒業し、大都市圏にある会社に就職 晴れて社会人1年生となった。
30近くの拠点が点在する中の一支店(N支店)に配属されたが、地方出身者はほぼ全員 社員寮に入って新生活が始まるのだ。

寮の隣にはA興業と言う広域指定の任意団体(三次or 四次?定かではない)事務所があった。






Scene 1:

・・・会社にも寮生活にも慣れた頃だったと思う、ある朝出勤しようと玄関を出た俺にA興業の社長が声をかけた。
『おう、1B11君!良い処に来たな。バッテリーが上がったんだが、コレどうすればいい?』

・・・見れば、事務所前に社長の前期型マーキュリー・モナーク・セダンがボンネットを開けて止まっている。
救援車がモナークの前に居たはずだが、それが何であったか既に記憶が無い・・・とにかく俺は社長の持つブースターケーブルをつないでエンジンを掛けてやった。

一件落着・・・その後、社長が新品のバッテリーに換えたかどうかは不明だ。

Scene 2:

夏の夜、俺たち新米寮生は先輩達にアイスクリームの注文を聞いて廻り、近所の食品店へ買出しに出るのが習慣だった。
近所の食品店・・・当時コンビニなるモノが出始めた頃で、ソレは現代のように全国津々浦々に浸透してはいなかったから、八百屋という表現が適切かも知れない。

そんな時、いつも事務所の窓を開けて 外を眺めている 50歳代と思しきスキンヘッドのA興業社員に

『いつものヤツ、買って来てくれ。』

と、千円札を渡されるのだ。

いつものヤツ・・・とはワンカップの清酒^^
(事務所詰め・・・いや勤務中(笑)の時に酒なんか飲んでイイんかな?)と毎回思いつつも、買って来て手渡すと
『はい、ありがと ありがと』
と言って受け取るのだ。

近所で大きなイベントがあった時、会場の満杯駐車場を締め出された何も知らない一般マイカーがA興業の前に駐車しようとしたのだが、例のスキンヘッドが

『おい、おいっ!!こらぁ!!!!!』
と、窓越しに恫喝し、気づいたそのマイカーが慌てて逃げて行ったのを見た事がある。

例えそれが一般道であっても、事務所前はモナーク・ギアの駐車スペースなのだ。

Scene 3:

12月のある日の事、俺がS30Zで出掛けようとしたら A興業社員の一人が

『ワックスを買いたいから、○○(近所のカー用品店)まで乗せて行ってくれ。』

と言うので、乗せて行った。

店であれこれ選んで(多分2~3千円分)、俺に

『お前も何か買えや。』

と言う・・・

『あ、俺はイイっすよ。持ってますし・・・』

と答えたが彼はレジでメモ紙に

『12月○日 A興業 ××』

と書き込んで店員に

『年末に払うから、取りに来てくれや。』

と平然と言ってのけたのだ。

(メモ紙かよ!)

俺はそう思ったが、その時は彼のお供だったし、彼に異論を唱えられる筈もないではないか。
店が集金に来たのかどうか、俺はいまだ知らない。



余談ながら

先輩がちょっとした交通事故を起こした。
相手がゴネ始めた・・・どうやら相手は品行方正で善良な一市民ではなさそうだった。
その時、誰も頼みもしないのに A興業の社員が出向き

『ウチとは近所付き合いさせてもらってる。』

の一言で事態は穏便に収まったのである。











Posted at 2012/06/15 01:19:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ
2012年01月18日 イイね!

198X年 別れのランプウェイ

198X年 別れのランプウェイ198X年春。

俺は故郷を離れ学校を卒業し、大都市圏にある会社に就職 晴れて社会人1年生となった。
30近くの拠点が点在する中の一支店(N支店)に配属されたが、地方出身者はほぼ全員 社員寮に入って新生活が始まるのだ。その社員寮ももちろん複数存在したが、俺の入ったK寮はH支店とN支店の両社員が生活していた。


既に入社式は10日ほど前に済んでいる。そしてこの日K寮への引越しも終わり
『いよいよ明日から初仕事』
と言う3月末日の夕方・・・。
無論その日 寮の管理人とは接触していたが、肝心の先輩達とはまだ未遭遇・・・初めての仕事、会社、先輩、寮生活・・・(これからどんな事が待ち受けているのだろう?)

西陽の射す寮内の談話室で、ただひとり不安に駆られながら見知らぬ誰かの帰りを待つ俺・・・・・。

その時、ドアが開いて一人の男が入って来た・・・痩せて浅黒い顔、ちょっとチンピラ風。
俺は立ち上がり挨拶をして名乗った。
「福井県出身の1B11です、よろしくお願いします!」
彼は頭を下げる俺にこう言った・・・
「お前、どっちだ?」
これはもちろん前述の通り、H支店とN支店のどちらに配属か?と俺に訊いている訳だ。
「ハイ、N支店に配属です。」
と答える俺に、彼は僅かの沈黙の後
「そうか、H支店だと良かったのにな。俺はH支店のS川だ、まぁせいぜい頑張れや。」
ニッコリ笑うと同時に、そう言い残して彼(=S川先輩)は出て行った。

あの日の記憶はたったこれだけ。同期入社で同じK寮に入った者とも、他の先輩方とも自己紹介などがあった筈だが全く覚えていない。唯々S川先輩とのこの最初の会話だけが鮮明に脳裏に焼きついている。
それも当然かも知れない・・・不安と緊張の中、一人待っていた俺に最初に声を掛けてくれたS川先輩・・・。
あの短い会話でどれだけ心が救われた事か!

いま考えると、あんな夕方の早い時間、まだ誰も帰って来てなかったのに 、S川先輩って何やってたんだろ?と、疑問も残る。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その後、ようやく仕事や先輩方との寮生活にも少し慣れて来た頃・・・多分5月頃ではなかったか、
S川先輩が会社を辞める事を知った。

彼が故郷の九州へ帰る夜、寮の皆で見送る事になった。
S川先輩の愛車は渋過ぎるエンジ色の鮫ブル、つまりブルーバードUの2000GTハードトップ(GTかGTXか定かでは無いし、改造の有無も不明のままだ)だった。
俺達残った寮生は数台のクルマに分乗して都市高速の環状線を彼と一緒に一周した後、ジャンクションで別れる手はずになっていた。

俺はH支店のN先輩の白いケンメリ4ドアの助手席に・・・その他諸々の中にはU先輩の330-4ドアHT、E先輩の230-2ドアHT、S先輩の230-4ドアHT等が居たのを覚えている。

さて隊列は別れのランプウェイへ来てしまった・・・
(さよなら、S先輩!お元気で!)=クラクションの雨嵐!!!
俺は泣いてしまった、N先輩も運転しながら泣いていた。

あの初出勤の前日以後、この別れの日までS川先輩と接触した記憶はなぜか無い。
そしてS川先輩が「H支店だと良かったのにな。」と言った言葉の意味も、俺が後輩を持つようになってから何となく理解し またそれが決して正論ではなかったとも思っている。
とにかく彼は皆に愛されていた事は確かだ。

あの夜、緩やかに降りるランプウェイから見えた 直進するS川先輩の鮫ブルを俺は決して忘れない。
Posted at 2012/01/18 08:30:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ
2011年12月04日 イイね!

198X年 N市街

198X年 N市街80年代の中頃、学生時代から仲の良かった俺達3人組は、偶然にも同じ会社に就職。

同じ会社と言っても30近くの拠点が大都市圏に点在しており俺達は各々違う拠点に配属されていたのだが、この土曜日の夜「久々に会おう」と言う事になったのだった。

中の一人、Fがおそらく仕事の都合だったのだろう、社有車のV330、すなわちグロリアバンでやって来た。
俺はS30Zもう一人のSはケンメリHTを持っていたのに、3人は何の躊躇もせずこの白いバンに乗り込んで夜のドライブに出た。

市内を爆走。

ある交差点ではホィールキャップが飛んだ(笑

吉野家で牛丼をかっ喰らい、また目的もなく走り出す。

深夜に別れ各々の住処へ帰って行く・・・たったそれだけの事、若かれし頃の戯れ。


緩かったんだよなぁ、当時は、会社も社員も(笑
Posted at 2011/12/04 09:32:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ
2011年11月23日 イイね!

1980年頃 福井市毛矢大通り付近

1980年頃 福井市毛矢大通り付近1980年頃、当時Z400FXに乗っていた友人から聞いた話。

既に正確な日時や季節すら覚えてはいないが、深夜と言うか未明と言うかとにかく皆が寝静まった頃だったと言う。
当時はコンビニなども無く、世間全体が今のような夜型ではなかった筈だ。

彼は夜の街を愛機の赤いZ400FXで走っていた・・・何故彼がそこに居たのかも今となっては不明。
しかし走りたい年頃、キザな言い方をすれば味わいたいのは「マシンとの一体感」、目的地も無くただただ走ってた・・・と言う事にして置こう。

キッカケ、これも今となっては「忘却の彼方へ」だ。
多分一旦停止を怠ったか信号無視をやらかしたか、そんなとこだろう。

どこから現れたか、一台のパトカーがサイレンと赤灯を点けて彼を追って来た。
これもよくある話だが、彼は(逃げてやる)と決意して愛機のスロットルを大きく開けたのだった。
県警のパトカーは、と言えば当時はクラウンかセドリックの鈍重なセダンしかなく、例えそのパワーソースが警察仕様の2.6Lや2.8Lの若干チューンされたモノであったとしても、中型自動二輪に追いつけるはずも無い。

(直ぐに引き離して まいてやる)

とタカをくくっていた彼は、余裕で逃げるのだが「そのパトカー」は100m位後ろの交差点を「ギャ~!!」と物凄いスキッド音を撒き散らしてフルカウンター?あるいは4輪ドリフト状態で追って来るではないか!!まさに♪明かりの消えた街角で♪ だ。

(え?何?)

彼はマシンを倒し、交差点を闇雲に右左折して逃げるのだが「そのパトカー」はやはり交差点でも速度を落とさず、相変わらずアメリカ映画並みの追跡の手を緩めない。

(そんなバカな!)

彼は焦った。

(敵ながら凄いテクニックを持っている、ひょっとしたら適わないかも?)

やはり加速で有利な自動二輪、さすがにお縄を頂戴するほど両車の距離は近づいては居なかったが、精神的に焦れば焦るほど転倒する等 危険も増える。
どのくらい走っただろうか?福井市中心部から数km程度、彼は毛矢大通りで路地に入ってエンジンを止め様子を伺った。
彼は「口から心臓が出そうな程」の恐怖を覚え、暗闇でかなりの時間 身を潜めて居たと言う。

「そのパトカー」が通過したのか、もう追って来なかったのか それも今となっては定かでは無いが、とにかく彼は無事に家に辿り着き事なきを得た。

ただ単に彼のマシンの操り方が下手だっただけなのか?
それは俺にも判断できないが、こんな素晴らしい追跡をやってのける「パトカー」が福井県警に居たと言う事実・・・彼らにしても追跡が原因で相手に事故られたら問題になるし、ビビらせて大人しく捕まれば「めっけもん」、逃げ切られて「当たり前」 だったのかも知れない。

県警さんよ・・・今でも こんな追跡出来ますか?

フンッ ゼロクラじゃ出来まい。

・・・アホどもが。
Posted at 2011/11/23 07:47:16 | コメント(5) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ
2011年08月15日 イイね!

GTV vs SSS

GTV vs SSS1982年冬のある夜
俺たち数人のグループは、アルバイト先の大きな工場で簡単な流れ作業をしながら、車談義に花を咲かせていた。
セリカ、カリーナ、レビン/トレノ、スカイライン、ローレル、ブルーバード、サニー、GTO、サバンナ、ルーチェ・・・タイヤを買い 車高を落とし キャブを換え ゼッケンを入れ・・・。
「俺たち」とは、皆それぞれに無い金を捻出して愛車をコツコツと仕上げていた連中だ。


おそらく世間は言ってただろう、「暴走族のガキ」と。
しかし彼らはこう反論しただろう、「俺たちは愚連隊ではない」と。

若いエネルギーが、たまたま野球や音楽や魚釣りや山登りに向かなかっただけなのだ。
いや、言い訳はすまい。もう過ぎてしまった事・・・時は遡れない。

さて、俺と彼はタイヤの話になった。俺はセリカGTVにポテンザRE47を履かせていて、当時としてはその強烈なトラクションとウェットグリップに絶大な信頼を寄せていた。
彼はブルーバードUのSSSにアドバンHFを愛用しており、両タイヤともに70~80年代に登場したハイパフォーマンス・タイヤの草分け的存在だった。



彼はアドバンの方が「喰いつく」と言って聞かず、俺はポテンザの方が「滑った後も粘る」と言って譲らず・・・結局、その夜アルバイトが終わってからタイマン勝負することになったのだ。タイマン勝負と言ってもアルバイト終了後には、毎夜数人の 駐車場へ向けてのル・マン式スタートでレースが繰り広げられていたのだが。

コースはアップダウンこそ少ないものの、田んぼや畑の中を縫う様にして走るコーナーが連続する農道だ。見通しは悪くないが街灯もなく 幅もそれほど広くは無いから、慣れてなければ法外な速度で走破する事は難しい。
たしか1.5~2km程の区間で何もアルバイト先への行程で通る必要は全く無かったのだが、コーナーを攻めたい一心でこのルートを皆が好んで走ったものだった。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

俺はある程度の車間を保ちつつもSSSのテールにピッタリ喰らいついて決して離れない。
彼が先行しているが抜く事は不可能だ、道幅は狭く両車のパワーにも極端な差は無いから。彼もそんな事は充分に承知している筈。

と、その時だった。
たぶん用水路か狭い川が横切っている所、そこだけがコンクリートで盛り上がった橋のような状態になっている。かなりのスピードでそこを乗り越えたSSSは、着地した瞬間に腹を当てて派手な火花を散らしたのだ。
そう、一瞬サスペンションのフルボトムに近い状態が 起きたのだろう。

(今の衝撃でマフラーやオイルパンにダメージがあってもおかしく無いな)

後ろから見ていた俺はそう思ったほどの激しい火花だった。
彼は徐々に速度を落とし停車し、俺もSSSの後ろにつけてクルマを降りた。
真っ暗闇の中、ヘッドライトとテールランプの明かりだけが煌々と点いている。

「参った、降参!」・・彼は笑っている。俺はSSSのフロア廻りが心配で(笑ってる場合か?)と思ったが、「な?ポテンザの方が上だろ」と答えた。


実は、結構 追走するのに一生懸命だったのだが、彼には30年近く経った今でも この事を伝えてはいない。
Posted at 2011/08/15 01:05:13 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | クルマ

プロフィール

「トヨタ・カムリ2025のオーナーがシートの欠陥を告発、メーカーの品質に批判の声

日本はオワタ」
何シテル?   06/17 21:57
★時々「クルマいじり」しますが、新しい物には疎いです。 ★アメリカ車、旧車も好きです。 ★このHN見てピンと来た人は趣味が合うかも!?
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