
前ブログ、'63東宝のコメディ映画「日本一の色男」 の一コマ。
幌を降ろした真っ赤なスカイライン・スポーツを運転するのは、団令子さんと言う女優さんですが、そのシフトレバーに注目。
映画の中では、ちゃんとマニュアル操作を行っていて、ステッキタイプのサイドブレーキも直接は映らないものの、明らかにその操作を行っているのが見て取れます。
スカイライン・スポーツは・・・
プリンス自動車が当時の
スカイライン(
よくグロリア
と言われているが)のシャーシーをイタリアに送り、ミケロッティがデザインしたクーペとコンバーチブルをカロツェリア・アレマーノが製作、
1960年11月のトリノショーで発表。
1961年秋の第8回東京モーターショーに出品。
翌'62年4月発売~
'63年、総数60台程で生産中止
・・・と言う激レア車です。
スポーツと名が付くのに、コラムシフト&ステッキタイプのサイドブレーキでは「場違い」のように感じますよね?
しかし、コラムシフトは手元で簡単に操作できる事から、「リモートコントロール」だとか「ハンドルチェンジ」だとか呼ばれ高級装備だったと聞きます(実際リンケージ類が複雑でコスト高だったとか・・)。
日本のモータリゼーションはまだまだ暗中模索状態だったはずですし、この車自体もスタイルに主眼が置かれたパーソナルカー的性格でしたから、当時これはこれで良かったのかも知れません。
スカイライン関連のあるビデオでは、式場壮吉氏と生沢徹氏、そしてインタビュアーとして徳大寺・大センセイを加えた3人が当時を語る場面がありましたが、その中で生沢徹氏が「みんな、こんなん なって(コラムシフト操作の手振りを交えながら)レースやってたんだからね」と笑い話をしてました。
もちろんコラムシフトは他にも沢山ありましたが、のちのスカイラインGTはもちろんフロアシフトでしたし、この逸話は第一回日本GPの時のスカイライン・スポーツの事ではないかと思うんです。
生沢選手は10位、もう一人の外人が7位と言う結果だったそうです。
何処のものかハッキリ読めませんが、ナンバー付けたまま走ってますね(汗
しかし、ノスヒロ別冊 プリンス&スカイライン('06/12刊)に紹介された青いコンバーチブルは・・・・・
なんとフロアシフトじゃありませんか!!ハッキリとウッド製シフトノブが見えています。サイドブレーキはステッキタイプのままみたいですが。
また他の個体でよく見かけるラジオやヒーターコントロールパネルのようなモノも一切見当たりません。
もう一つ、グリルが違う・・・荒い、まるでグレーチングの様に荒い。プロトタイプもスクリーンに登場する個体もみな、細かいメッシュなのに・・・そして
これもノスヒロ別冊 プリンス&スカイライン('06/12刊)に掲載された写真ですが、製作を担当したスポーツ車課の面々が'63/11に多摩川で撮った記念写真だそうです。
このコンバーチブルもグリルが荒く、その上ボンネットにはエアスクープが!!!
フード中央を走るはずのクロームモールディングもありません。
なんと6K型3.0Lエンジン搭載(!)とされていますが詳細な説明は無し(エアスクープはその為か)。
針金で吊った様なナンバー「5738」は仮ナンバーではないでしょうか?別のページにはやはり針金吊りの「5737」をつけたクーペの写真があります。
陸運事務所名の漢字が入らないナンバーが、いつ頃まであったのか知りませんが、少なくとも5とか4とか3、そして平仮名は付いてたはずですよね。
生産が立ち上がる初期には、まだあらゆる試みがなされたのか?
手作り故に、顧客の要望に限りなく答えることが出来たと言う事か?
謎は深まるばかりです。
追記:スカイライン関係のあるビデオ・・・YouTubeにUPされてました。
Posted at 2009/02/23 00:30:57 | |
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