![父のマツダ愛 父のマツダ愛](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/042/969/677/42969677/p1m.jpg?ct=b14268f3d99c)
昨日は「父の日」でしたね...。
そこで、この場をお借りして父との思い出を少しだけ綴らせて頂きたいと思います。
私の父は昨年2月に75歳で他界しました。
定年退職するまでマツダに約40年勤務し、身を粉にして私たち家族を養ってくれました...。
性格は至って真面目で几帳面。
何事もコツコツと打ち込む職人気質な人でした。
亡くなって1年4ヶ月が経ちますが、主人を失った実家には今もある冊子が定期的に届き続けています。
「MY MAZDA」と「Friendly」
「マツダ」と「マツダ労働組合」から発刊されている社員や退職したOBへ向けた冊子です。
一度、投函を止めて頂くように連絡をしましたが、誤りなのか今も届き続けています。
私自身、マツダ車を所有したのは後にも先にもRX-7(FC3S)の1台のみです。
25年以上も前のことですが、ある日エンジンがかからなくなり、ディーラーで検査をしたところ、原因はローターの頂点にあるアペックスシールの破損による圧縮抜けでした。
別に父のせいでも無いのに、どこか申し訳なさそうな表情が今も印象に残っています。
私の知らないところでは、会社の上司に頭を下げて「13B」のリビルト品を探してくれていました...。
そのおかげも有り再びセブンを走らせる事が出来ました。
そして死期が迫った一昨年の夏、明らかな体調の悪化...。
それまでも肺炎を繰り返していたのですが、「認知症の妻を残し入院はできん...」と受診を拒み続けていました。
やっとの事で受診した総合病院での検査結果はステージ4の膵臓癌...。
自力での車の運転も困難となり、私が父の足となっていたのですが、何故かプラドには乗ろうとせず、通院やその他の用事の際の足は何時も父の愛車デミオでした。
父が永眠してデミオは父の行きつけのディーラー(アンフィ二)に買い取って頂きました。
暫くして偶然にも中古車サイトで父のデミオが掲載されているのを目にした瞬間、何とも言えない胸が張り裂けそうな思いと、父への罪悪感で潰れそうになりました...。
父はハッキリと口にはしませんでしたが、父が亡くなった後も私に引き続き「デミオに乗って欲しい...」その思いを分かっていたからです。
癌にも逃げる事なく最期まで毅然と立ち向かった姿は、父の人生そのものだったのでしょう...
闘病中の半年間で父の"生き様,,を私は見ました...。
それと......
分かっとるよ......。
頑なにプラドに乗らんかった理由も......
苦楽を共にしたマツダは......
父の誇りであり......
父の人生そのもの......。
あなたは生粋のマツダ戦士でした!
ありがとう!オヤジ!
☆最後まで読んで頂き有難うございました!<(_ _)>
Posted at 2019/06/17 19:30:15 | |
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